第54話:久しぶりの家
村へ帰る日の朝、俺は少し早めに起きた。
昨日のうちに荷物は大まかにまとめておいたので、あとは持っていくものと、宿に置いていくものを分けるだけだ。着替えと食料、それから水。棒と盾はいつも通り持っていくことにして、それ以外の荷物をまとめて帳場へ下りた。
「ボノさん、これお願いします」
「おう」
ボノさんは預ける荷物を受け取り、帳場の奥へ置いた。
「何日くらいだ?」
「まだ決めてないです。家と畑の様子を見てからかなと」
「気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
そっけないが、いつものように送り出してくれた。
宿を出て町の門へ向かいながら、久しぶりの村のことを考える。
前に帰った時は、町へ来てまだそれほど経っていなかった。今回は随分と間が空いているので、家も畑もどうなっているのか少し心配だった。
◇
村までの道は、よく知っている。
初めて町へ向かった時は、背負った荷物の重さや手持ちの金のことばかり考えていた。帰り道も、買ったものをどう使おうかと考えていた気がする。
今回は荷物も少なく、歩くのは楽だった。ただ、途中で林の近くを通る時には、何となくそちらへ目を向けるようになっている。
枯れ草を踏む音や、枝が風で擦れる音が聞こえるが、特に変わった様子はない。何か音がしたからといって、林の奥まで確かめに行くつもりもなかった。
以前なら、何も気にせず歩いていた道だ。
……今思うと、随分無警戒だったなと怖くなる。
道の曲がり具合も、途中の小さな坂も変わっていない。何度か休みながら進み、村が見えてきた頃には昼を過ぎていた。
畑が続き、その向こうに家が並んでいる。冬の間は作物がないので、どの畑も少し寂しいが、それでも見慣れた景色だった。
村へ入ると、道の脇で薪を運んでいた男が顔を上げた。
「おお、ライアスじゃないか」
「こんにちは。久しぶりです」
「帰ってきたのか。町でどうしてるかと思ってたぞ」
「何とかやってます」
男は俺の背中を見て、少し目を丸くした。
「お前、その盾どうした?」
「町で買いました」
「へえ。冒険者らしくなったじゃないか」
そう言われると、少しくすぐったい。
「まあ、まだ大したことはできないですけど」
「魔物には遭ったのか?」
「……一応は」
「ほう! で、戦ったのか?」
「いえ、戦ったのはほかの人です。俺はほとんど守ってもらってました」
「何だ、そうなのか」
「はい。正直、怖かったです」
男は俺の顔を見てから、笑った。
「まあ、無事ならいいさ。ところで、手が空いてるなら、これをちょっと持ってくれないか?」
そう言って、足元の薪の束を指差した。
「もちろんです」
棒を脇へ置いて薪を一束抱え、男と一緒に家の裏まで運ぶ。荷物を下ろすと、男は満足そうに頷いた。
「助かった。町で力もついたんじゃないか?」
「どうでしょう。町でも荷物運びの仕事は結構やってますけど」
「何だ。町でも同じようなことしてるのか」
「多いですよ、こういう仕事」
「へえ。冒険者ってのもいろいろあるんだな」
男はそう言いながら、次の薪の束へ手を伸ばした。
「そういや、お前んとこの畑もそろそろだろ。今年は何を植えるんだ?」
「……え?」
「畑だよ。芋か? 豆か?」
「ああ、いや……まだ決めてないです」
「何だ、珍しいな。いつもならもう考えてるだろ」
「まあ、そうなんですけど」
男は薪を抱え直した。
「まだ土も冷たいしな。今すぐ始めなきゃいけないわけでもないか」
「そうですね」
「じゃあ、またな。町の話でも聞かせてくれ」
「はい。また」
俺は挨拶をして、預けていた棒を拾い、自分の家へ向かった。
今年は何を植えるんだ、か。
去年なら、芋をどこに植えて、豆はどの辺にしようかと、もう考えていた頃だろう。
今は、植えるものどころか、畑をどうするかも決めていない。
……まあ、まずは家だな。
◇
家は、ちゃんと残っていた。
当たり前といえば当たり前だが、長い間空けていたので少し心配だった。外から見たところ、屋根や壁に大きな傷みはない。家の周りには枯れ草が少し溜まっているものの、今すぐどうにかしなければならないほどでもなさそうだ。
扉を開けようとすると、少し引っかかった。
「……ん?」
もう一度押すと、ぎし、と音がして、ようやく開いた。長く使っていなかったせいだろうか。
中へ入ると、ひんやりした空気が迎えてくれた。しばらく閉め切っていたので何となく埃っぽく、荷物を下ろしてすぐ窓を開けることにした。
ところが、こちらも少し動きが悪い。
「……こっちもか」
力を入れて押してみるが、窓枠がぎしぎしと鳴るだけで動かない。無理に動かして壊しても困るので、ひとまず開く方の窓だけ開けておいた。
外の空気が入ってきたところで、改めて家の中を見回す。
机も椅子も、最後に出ていった時のままだ。壁際に置いた道具も残っているし、机の引き出しを開けると、鑑定の時にもらった紙もちゃんと入っていた。
《聴力強化》。
久しぶりに文字を見たが、特に変わりはない。当たり前か。
引き出しを閉め、ほかのものも確かめていく。
保存していた豆はまだ使えそうだったが、残してあった食料の中には傷んでいるものもあった。食べられそうにないものを取り分け、後で片づけることにする。
薪も残っているが、冬を越したので湿っていないか確認した方がよさそうだ。
「やること、結構あるな……」
とりあえず、家の中を掃除するところから始めよう。
棒と盾を壁際へ置き、古い布で机の埃を拭いてから床を掃く。町では宿に泊まっているので、こういうことをする機会はあまりなかった。
村にいた頃は全部自分でやっていたのだから、別に難しくはない。ただ、久しぶりにやると面倒だった。
床を掃き終えたところで、さっき開かなかった窓が気になった。
もう一度試してみても、やっぱり動かない。
「どうしたもんかな」
窓枠の隙間を覗き込むと、下の方に土埃が詰まっていた。指で掻き出してみたが、それだけでは足りないらしい。
道具を取りに行こうとして、ふと去年直した農具が目に入った。
柄を削りすぎて、少し細くなってしまったやつだ。
あれも、最初はもう少し削ればうまく収まると思っていたんだよな。
……窓まで削りすぎるのは勘弁だ。
とりあえず細い木片を持ってきて、隙間の土を掻き出してみることにした。少しずつ詰まったものを取り除き、窓枠を軽く押しては様子を見る。
何度か繰り返していると、ぎし、と小さな音がして、わずかに動いた。
「お、いけるか?」
今度は無理に押さず、動いた分だけ少し戻し、もう一度押す。
何とか開いた。
「よし」
窓を開けて外の空気を入れる。
ただ、まだ少し引っかかるので、しばらく使って様子を見た方がよさそうだ。
木片を片づけ、掃除の続きを始める。
町では朝起きて、仕事を探して、帰ってきたら飯を食べる。それだけで一日が終わることも多かった。
こっちは、仕事を探さなくてもやることが出てくる。
それも、報酬のない仕事ばかりだ。
……いや、自分の家なんだから仕方ないんだけど。
◇
掃除を終えた頃には、外が少し暗くなり始めていた。
今日は畑まで手をつけるつもりはない。明日の朝、明るくなってからゆっくり見ようと思う。
夕飯は、残っていた豆と持ってきた食料で簡単に済ませることにした。
久しぶりに火を使い、鍋を温める。町では仕事が終わればどこかの店で飯を買うことが多かったが、ここでは自分で用意しなければならない。
面倒ではあるものの、久しぶりにやっても手順はちゃんと覚えていた。火の加減を見ながら鍋をかき混ぜ、出来上がったものを食べてみる。
いつもの味だった。
まずいわけじゃないし、村にいた頃は毎日のように食べていたので、今でも十分に腹は膨れる。
ただ、町の食堂で食べた煮込みを思い出すと、やっぱり少し物足りない。
「……あっちの方がうまいな」
以前、香草を使ってみたり、味付けを変えてみたりしたこともある。少し工夫するだけで味が変わるのは面白かったし、前よりうまく作れるものもあった。
それでも、あの食堂の煮込みとは随分違う。
同じように豆を煮ているはずなのに、香りも味も違う。肉のせいなのか、煮込み方が違うのか。食べている時にはうまいと思うだけなのに、自分で作ろうとすると何をどうすればいいのかわからない。
まあ、今ある材料で考えても仕方ないか。
残りを食べながら、アルネへ戻ったらまたあの煮込みを食べに行こうと思った。今度はもう少し、何が入っているのか気にして食べてみよう。
鍋と食器を洗って片づけると、家の中はすっかり静かになった。
窓の外では風が吹き、遠くの家から人の話し声が聞こえてくる。しばらくここで暮らしていなかったせいか、何となく懐かしく感じた。
寝る前に、家の隅へ置いてあった農具を取り出す。
去年、柄を直したものもある。
握ってみると、少し削りすぎたところが指に当たった。あの時はもう少しうまく直せると思ったのだが、何度か握り直してみても、やっぱり少し細い。
「……変わってないな」
当たり前だ。俺が町へ行っている間に、勝手に太くなってくれるわけもない。
道具を元の場所へ戻し、明日使うものだけ入口の近くへ置いたところで、昼間に聞かれたことを思い出した。
今年は何を植えるんだ?
去年なら、すぐに答えられたはずだった。
窓の外を見ると、暗くなった畑はもうよく見えない。
とりあえず、明日の朝だな。
そう決めて、灯りを消した。




