第51話:三株の草
荷車を泥から押し出した翌日は、腕が少し痛かった。
デインたちと同じ仕事をしていたはずなのに、どうして俺ばかりこんなに疲れているんだろう。あの大きな盾を持ち歩いているデインを思い出すと、少し情けなくなる。
とはいえ、動けないほどではない。
今日はあまり重いものを運ばなくて済む仕事にしようと考えながら、ギルドの掲示板を眺めていた。
そこで、一枚の依頼票が目に留まった。
『植物採取。三株』
ここまでは普通だった。
ただ、その下に書かれている注意事項が妙に長い。
根を切らないこと。根についた土を落とさないこと。植物の周囲の土も一緒に採ること。葉や茎を傷めないこと。採取した場所を記録すること。
まだ続いている。
『採取後、土を洗い落とさないこと』
「……洗ったら駄目なのか」
普通の採取依頼なら、必要な葉や茎だけ持ち帰ることも多い。根が必要な場合でも、余計な土は落としてしまった方が運びやすい。
今回は反対らしい。
依頼票には、採ってくる植物の絵も描かれていた。
地面に沿って細長い葉が広がり、中心から短い茎が伸びている。冬でも日当たりのいい場所なら見かける、名前もよく知らない草だった。
珍しくもない。
というか、村なら畑の端によく生えていた気がする。
「ライアスさん、それ気になります?」
受付からセラの声がした。
「この採取依頼ですけど、何でこんなに細かいんですか?」
依頼票を見せると、セラは少し困ったように笑った。
「私も依頼人の方に、普通に根ごと採ってくるだけでは駄目なのか確認したんですよ」
「駄目だったんですか?」
「根だけでは足りないそうです。土も必要だとか」
「土ですか」
「はい。しかも、別の場所の土が混ざるのも困るそうで」
依頼票をもう一度見る。
そういえば、三株をそれぞれ別の場所から採るように指定されていた。
「面倒そうですね」
「だから残ってるんだと思います」
セラがあっさり言った。
報酬も確認してみる。確かに、手間を考えると特別いいわけではない。
「珍しい薬草ならともかく、そこらに生えてる草ですからね」
「採り方が悪いと、受け取ってもらえないかもしれませんし」
「なるほど……」
根を切らずに掘り出す。
そのくらいなら、村で何度もやったことがある。畑の作物を植え替える時は、なるべく根を傷めないようにするものだ。
もっとも、雑草までそんなに丁寧に扱ったことはない。
「道具は借りられるんですか?」
「はい。依頼人の方が、採取用の箱と小さな道具を預けてくださっています。あと、土ごと運ぶので、手押し車も用意されていますよ」
セラが受付の横から木箱を三つ取り出した。
どれも持ち手がついていて、内側には薄い板が敷かれている。小さな移植ごてと、採取場所を書くための札も入っていた。
さらに案内された先には、浅い荷台に車輪が一つついた、小さな手押し車が置いてあった。
三つの木箱を並べると、ちょうど収まるくらいの大きさだ。
「これも借りていいんですか?」
「もちろんです。依頼が終わったら返してくださいね」
「助かります。土まで入れたら、箱を三つ持って歩くのは大変ですから」
思っていたより準備がいい。
「……これなら、できそうです」
「受けます?」
「はい」
セラは依頼票を受け取ると、少し嬉しそうな顔をした。
そんなに人気がなかったんだろうか。
◇
指定された場所は、どれも町からそれほど離れていなかった。
最初は街道脇の日当たりのいい草地。二つ目は農地に近い道端。三つ目は小さな水路のそばだった。
同じ草を、わざわざ違う場所から採るらしい。
手押し車を押して町を出る。荷台には空の木箱が三つ載っているだけなので、今のところ大して重くはない。
最初の草地へ着くと、道端に手押し車を止め、木箱を一つ下ろしてから目当ての植物を探した。
探し始めてすぐ、それらしい草が見つかった。
絵と比べる。
細長い葉が根元から広がっていて、葉の縁には小さな切れ込みがある。大きさは絵より少し小さいが、形は同じように見えた。
周囲にも何株か生えている。
「これでいいのかな」
しゃがんで根元を見る。
雑草を抜くだけなら茎をまとめて掴み、引っ張ればいい。ただ、それでは細い根が途中で切れてしまう。
俺は少し離れた場所から土を掘り始めた。
根がどこまで伸びているかわからないので、最初は広めに掘る。土を崩しながら少しずつ深くしていき、根の下までごてを入れるつもりだった。
ところが、思ったより土が乾いていた。
ごてを差し込むと、固まっていた部分がぽろぽろ崩れる。
「ああ、これは……」
掘り始めたところを見て、少し考えた。
このままでは植物を持ち上げる前に土が全部落ちてしまいそうだ。
別の株にしよう。
少し離れた、草がまとまって生えている場所を選び直す。そちらは土が比較的柔らかく、表面を押しても簡単には崩れなかった。
今度は植物の周囲を大きく掘り、根の下までごてを入れる。
持ち上げる時も茎は引っ張らず、土の塊を下から支えた。
「よし」
根元の土が崩れないように、そっと木箱へ移す。
葉も折れていない。
箱の中で動かないように周囲へ少し土を詰め、採取した場所を札に書いておいた。
畑なら珍しくもない作業なのに、雑草相手にここまで気を使うとは思わなかった。
木箱を手押し車へ戻し、動かないように固定する。
少し押してみたが、箱が揺れる様子はない。
これなら大丈夫そうだ。
◇
二つ目の場所では、同じ草を探すのに少し時間がかかった。
道端に手押し車を止め、空の木箱を一つ持って草を探す。
似たような葉を持つ植物がいくつもある。絵と見比べながら探していると、葉の幅が少し違うものや、茎の長さが違うものが目についた。
最初はどれも同じに見えたのだが、よく見ると結構違う。
「これも違う……こっちもか」
何度か場所を移り、ようやく絵に近いものを見つけた。
こちらの土は最初の場所より湿っていて、掘るのは楽だった。ただ、根が隣の草と絡んでいたので、途中で細い根を切らないようにするのが難しい。
一本ずつ根をほどくなんてことはできない。
結局、周囲の土ごと大きめに掘り出すことになった。
木箱に入れると、最初のものよりずいぶん土が多い。
「……これも大丈夫かな」
土を持って帰れと書いてあったのだから、少ないよりはいいだろう。
二つ目の木箱を載せると、手押し車は少し重くなった。道の小さな凹凸でも箱が揺れそうになるので、帰りは慎重に押した方がよさそうだ。
三つ目は水路のそばだった。
水が近いせいか、地面は少し湿っている。草もほかの二か所より青々としていた。
ただ、目当ての植物は思ったより小さい。
葉の形は似ているのに、全体が少し低く、地面へ張りつくように広がっている。
依頼票の絵と何度も見比べる。
違う植物だったらどうしよう。
少し迷ったが、葉の根元と茎の形は同じだった。
何より、指定された場所に生えているのだ。
「……まあ、持って帰って聞いてみよう」
慎重に掘り出して、最後の木箱へ収めた。
三つの木箱を手押し車へ並べる。
同じ植物のはずなのに、随分と見た目が違った。
最初は葉が少し硬く、二つ目は根元が太い。三つ目は全体が小さいが、葉の色が濃い。
場所が違えば、育ち方も変わる。
村で畑仕事をしていれば、日当たりや水の量で作物の出来が変わるのは当たり前のことだった。
ただ、雑草を並べて比べたことなんてなかった。
「これで三つか」
木箱が動かないことを確かめ、手押し車の持ち手を握る。
押してみると、思っていたよりずっしりと重い。車輪がなければ、三つとも運ぶのは結構大変だっただろう。
草自体は軽いのに、持って帰るのはほとんど土だ。
報酬をもう一度思い出したが、考えないことにした。
◇
ギルドへ戻った頃には、すっかり腹が減っていた。
入口の脇へ手押し車を止め、木箱を一つずつ受付へ運んで並べると、セラが目を丸くした。
「結構な量になりましたね」
「草より土の方が多いです」
「そういう依頼ですからね」
「手押し車があって助かりました」
借りた手押し車を返した後、セラは依頼票を確認して奥へ声をかけた。
「ちょうど依頼人の方が来ているので、直接確認してもらいましょう」
「来てるんですか?」
「はい。朝から何度か、採取依頼が受けられたか聞きにいらしていて」
そんなに急いでいたのだろうか。
しばらくすると、奥から一人の人物が出てきた。
服の袖に乾いた土がついている。こちらを見るより早く、受付の木箱へ目が向いていた。
「採れた?」
挨拶より先にそれだった。
「はい。この三つです」
俺が答えると、その人は一番近い木箱を覗き込んだ。
「……あれ?」
早速、嫌な予感がする。
「何か違いましたか?」
返事はない。
依頼人は葉を一枚持ち上げ、裏側を覗き込んだ。それから根元の土を指で少し崩し、細い根を確かめている。
「違うな……」
やっぱり駄目だったか。
「すみません。絵と比べて採ったんですけど」
「いや、違う。そうじゃなくて……」
今度は二つ目の木箱へ移る。
「こっちは……ああ、そうか。でも根は……」
一人で呟きながら、三つ目を覗き込んだ。
「え?」
急に動きが止まる。
「これ、どこで採った?」
「三番目に指定されていた水路のそばです」
「水路のどっち側?」
「町へ向かって流れる方を見て、右側です。大きな石があって、その少し手前で……」
依頼人は札を見た。
「ああ、書いてある。ちゃんと書いてあるね」
書くように指示されていたからな。
その人は三つの箱を横に並べ直した。
一つ目の葉を持ち上げ、二つ目と見比べる。それが終わると、また三つ目へ戻る。
「……こんなに近いのに」
何かが気になるらしい。
「すみません。これ、依頼の品としては大丈夫なんでしょうか」
思い切って聞いてみた。
依頼人が顔を上げる。
「え?」
「採ってきたもの、間違ってませんか?」
「ああ! いや、合ってる。全部合ってるよ」
「そうですか」
よかった。
「むしろ、どうやって掘ったの?」
「どうやって?」
「根がほとんど切れてない。土も残ってるし、葉も傷んでない。しかも場所ごとに分けてある」
「そうしろって書いてありましたけど」
「そうなんだけど!」
妙に勢いよく返された。
セラが隣で小さく笑っている。
依頼人は一番目の箱を指差した。
「普通はね、植物を引っ張って抜いてしまうんだ。そうすると細い根が切れるし、土も落ちる。でもこれなら、根がどう伸びていたかも見られる」
「周りから掘れば、そんなに難しくないですよ」
「その掘り方をどこで覚えた?」
「畑ですけど」
「畑?」
「はい。村で畑をやってたので」
「……君、農家なの?」
「いや、家の畑をやってただけです。食べるものを育てていたので」
「へえ……」
依頼人は三つ目の小さな草を指差した。
「こっちの根を見て。小さいのに、細かい根が多いだろう?」
「そうですね」
「ほかの二つと同じ種類なんだけど、育った場所が違うだけで、ここまで差が出るんだ」
「水路のそばだったからじゃないですか?」
「それもあると思う。でも、それだけなのかな……」
依頼人は腕を組んだ。
俺には、何がそんなに気になるのかよくわからない。
水の多いところと少ないところでは、畑の作物だって育ち方が変わる。それと同じようなことじゃないんだろうか。
「君、どこの村?」
不意に聞かれた。
「リンの村です」
「リンの村……」
依頼人は少し考え込んだ。
「この町から西の方だよね?」
「はい。歩いて半日くらいです」
「そっちでも、この草は生えてる?」
「たぶん。似た草はよく見ましたけど」
「そうか……西か……」
何やら考え始めてしまった。
依頼人はもう一度三つの木箱を見比べ、何かをぶつぶつと呟いている。
俺はセラと顔を見合わせた。
セラが小さく肩をすくめる。
どうやら、いつものことらしい。
「……あの」
声をかける。
「何?」
「依頼は、これで終わりですか?」
「ああ、うん。ありがとう。助かったよ」
そう言いながら、もう一度葉を持ち上げている。
「それなら、報酬の確認をお願いします」
今度はセラが声をかけた。
「あっ、そうだった」
依頼人は慌てて木箱から手を離した。
◇
報酬を受け取った後も、依頼人はしばらく受付に残っていた。
帰り支度をしていると、また声をかけられる。
「ライアス君、だったよね?」
「はい」
「この草、村でも見たことがあるんだよね?」
「たぶん、ですけど」
「根はどうだった?」
「根?」
「村の方の。これくらい細かった? それとも、もっと太かった?」
そんなことまで覚えていない。
畑の雑草なんて、見つけたら抜いていただけだ。
「すみません。そこまでは」
「そっか……そうだよね」
少し残念そうだった。
「でも、同じようなのはよく生えてましたよ」
「うん。ありがとう」
そう言うと、依頼人はまた木箱へ向き直った。
どうやら話は終わったらしい。
俺はセラに軽く頭を下げ、ギルドを出た。
外へ出ると、道端に小さな草が生えていた。
さっき採ってきたものと、よく似ている。
何となくしゃがんで葉を見てみる。
……違うな。
葉の形が少し丸い。
立ち上がると、腹が鳴った。
そういえば昼飯をまだ食べていなかった。
今日は草を採るのにずいぶん時間を使ってしまった。今から飯を食べて、夕方まで別の仕事を探すのも中途半端だ。
それに、明日はもう少し報酬のいい仕事を探したい。
そう思いながら歩き始めたが、次の角にも似たような草が生えていた。
少しだけ足が止まる。
……いや、もういいだろ。
草は三つ、ちゃんと持って帰ったんだから。




