第49話:大きすぎる音
町を出てしばらく歩くと、街道から細い道へ入った。
今日の依頼は、町の外にある水路と作業小屋の確認だ。水路に土や落ち葉が詰まっていないか、作業小屋の壁や屋根に傷んだところがないかを調べる。簡単に直せるものはその場で直し、大きな修理が必要なら場所と状態を報告する。
一緒になった冒険者は三人。
剣を持ったロルフとネイト、それから短い槍を持ったリーザという女性だった。三人とも初めて組む相手だが、こういう仕事には何度か出ているらしい。
少し歩いたところで、ロルフがこちらを見た。
「ライアスって、耳がいいってやつだよな?」
「少しだけです」
「それ、最近何人かから聞くぞ」
「何がどこまで広がってるんだろう……」
ネイトが笑う。
「悪い話じゃないんだからいいだろ」
そういうものなのだろうか。
「水路を先に見て、それから小屋だな。日が傾く前には戻りたい」
先を歩くロルフが言った。
「わかりました」
冬の空気は相変わらず冷たい。道端の草は枯れたものが多く、足元では乾いた茎がぱきぱきと折れた。
最初の水路へ着くと、ロルフは地図を広げ、俺たちに確認する場所を指示した。
「ネイトは上流側。リーザは小屋までの道も見てくれ。ライアスは俺と下の方を頼む」
「はい」
水路は幅こそ狭いが、底にはまだ水が流れていた。場所によっては膝くらいの深さがあり、石の間を通る水が細かい音を立てている。
しゃがんで覗き込むと、流れの端に枯れ葉が溜まっていた。
「これ、取った方がいいですか?」
「取れるならな。奥まで無理に手を突っ込むなよ」
棒の先で葉を寄せてみる。濡れた葉は思っていたより重く、石の隙間に引っかかったものは簡単には動かない。
結局、棒だけでは取れず、手を伸ばして少しずつ引き出すことになった。
「こういう時、棒があると便利かと思ったんですけどね」
「使う場所次第だろ」
ロルフはそう言いながら、別の場所に溜まっていた小枝を取り除いていた。
水は思ったより冷たかった。指先が痛くなる前に手を引き上げ、持ってきた布で拭く。
その間も、流れる水の音はずっと聞こえていた。
しばらくして、上流側を確認していたネイトが戻ってきた。少し遅れて、小屋までの道を見に行っていたリーザも合流する。
互いに確認した場所を報告し合い、大きな問題がないことを確かめてから、四人で次の水路へ向かった。
◇
二つ目の水路は、途中で石を積んだ狭い通り道に入っていた。
水の出口は見えているのだが、中の様子まではよくわからない。少し身を屈めて耳を澄ませると、狭い石の間で水音が反響していた。
「どうだ?」
ロルフに聞かれる。
「水は流れています。ただ……」
耳を向ける方向を変えてみる。
右からも左からも、水が跳ねるような音がする。石に当たっているのか、途中で何かにぶつかっているのか、音だけでははっきりしない。
「中のどこかで音が大きくなってるんですが、場所がわからないです」
「詰まってるのか?」
「それも、まだ」
ロルフは出口の方へ回った。
「だったら向こうから見るか」
俺も立ち上がって後を追う。反対側から覗くと、石の隙間に引っかかった太い枝が見えた。そこに小枝や枯れ葉が絡まり、水が枝の下を勢いよく抜けている。
「ああ、これですね」
「見れば早いな」
「そうですね」
「これ、抜けそうだな」
ネイトが荷物から道具を取り出すと、リーザは下流側へ回った。
「流れた枝がまた詰まらないか、見ておくよ」
俺たち三人で枝を引っかけ、少しずつ引き出す。水を含んだ葉がまとまって抜けると、流れが急に強くなり、出口でばしゃばしゃと跳ねた。
「おっと」
ロルフが足を引く。
俺も慌てて後ろへ下がったが、靴の先に少し水がかかった。
「濡れたか?」
「少しだけです」
「冬に足を濡らすと帰りが面倒だぞ」
その通りだった。
濡れたところが冷える前に、靴についた水をできるだけ払っておく。
下流を見ていたリーザが戻り、流れた枝が引っかかっていないことを教えてくれた。
水路から離れると、さっきまで大きく聞こえていた水音が少し遠ざかった。
こういう狭い場所では、よく聞こえるからといって、何がどこにあるかまでわかるわけではないらしい。
それでも、水が流れていることだけは確かめられた。残りは目で見ればよかったのだ。
◇
昼を少し過ぎた頃、作業小屋に着いた。
小屋は水路から少し離れた場所に建っていた。屋根の一部が風で浮いたようになっており、入口の扉も片側が少し傾いている。
「先に外を見よう」
ロルフの言葉で、四人は小屋の周りを確かめ始めた。
俺は壁の下の方を見て回った。
板が割れているところや、釘が浮いているところがある。手で軽く押してみると、ぎし、と音を立てて動く板もあった。
「ここ、少し緩んでます」
ネイトを呼んで確認してもらう。
「これなら留め直せそうだな。道具取ってくる」
ネイトが荷物の方へ戻る。
俺は壁から手を離し、次の場所へ移った。
扉を開けると、小屋の中は思ったより狭かった。道具や木材が壁際に寄せてあり、奥には古い箱が積まれている。
背中に盾をつけたままだと、置いてあるものに引っかかりそうだ。
一度外し、左腕へ通す。右手の棒も先を下げて持ち直したが、長さがあるので、身体の向きを変えるだけでも周囲に気を使った。
「中はどうだ?」
入口からロルフの声がする。
「見えるところは、そんなに傷んでないです。ただ、奥の板が少し傾いてます」
壁際には、修理用らしい長い板が何枚か立てかけられていた。
一本だけ、ほかの板から少し離れている。下端がこちらへ張り出していて、その周りに細かい木屑が落ちていた。
「これ、動かして確認した方がいいですか?」
返事を待ちながら入口の方へ身体を向けた時、右手の棒の先が何かに引っかかった。
「ん?」
棒を引こうとすると、壁際で木が擦れる音がした。
見ると、立てかけてあった板の下端が手前へずれている。棒の先を引いたせいらしい。
上端が壁から離れ、こちらへ倒れてきた。
「あっ」
慌てて棒から手を離し、左腕の盾を顔の前へ持ち上げる。
がんっ、と大きな音がした。
腕に衝撃が伝わり、肩が後ろへ押された。板は盾を滑って床へ落ち、乾いた音を立てる。
だが、その音がよくわからなかった。
耳の奥で、さっきの衝撃音がいつまでも響いている。
「ライアス!」
誰かが呼んだ。
そう思ったが、声がひどく遠く聞こえた。
ロルフが入口から駆け寄ってくる。口が動いているのは見えるのに、何を言っているのか聞き取れない。
「……え?」
思わず聞き返した。
ロルフは俺の左腕を見てから、床に落ちた板を足で避けた。
「怪我は?」
今度はかろうじて聞こえた。
「腕は、大丈夫です」
動かしてみると、肩のあたりが少し痛む。だが、腕を上げられないほどではない。
それよりも、耳の方がおかしかった。
近くにいるロルフの声が、まだよく聞こえない。
俺は思わず耳に手を当てた。
「どうした?」
「耳が……ちょっと」
言いかけて、もう一度周囲の音を聞こうとする。
外では風が吹いているはずだった。入口ではネイトたちが話している。
普段なら、何も意識しなくても耳に入ってくる音だ。
ところが今は、耳の中に残った嫌な響きばかりが気になって、ほかの音がうまく拾えない。
「聞こえないのか?」
ロルフが顔を覗き込む。
「まったく聞こえないわけじゃないです。でも、何を言ってるのか……」
「わかった。少し座れ」
ロルフは小屋の外を指差した。
俺は頷き、盾を下ろして外へ出た。
◇
小屋の外は静かだった。
いや、静かなはずはない。風で草が揺れているし、少し離れた場所には水路もある。
ただ、それがいつものようには聞こえてこなかった。
小屋の脇に腰を下ろす。
しばらくすると、リーザが水の入った容器を持ってきてくれた。
「飲める?」
「はい。ありがとうございます」
今度は声が聞き取れた。
飲みながら、左腕を動かしてみる。少し痛むが、さっきよりは落ち着いている。
「耳、どう?」
「まだ少し変です」
「近くで大きい音がしたからね」
リーザはそう言って、小屋の方を見た。
ネイトとロルフが、中の倒れた板を片づけている。二人が何か話しているようだが、声までは聞こえない。
今までも、うるさい場所で聞き取りにくいことはあった。
けれど今回は、さっきまで普通に聞こえていたものが、急によくわからなくなった。
耳を澄ませればどうにかなるかと思ったが、余計に響きが気になるだけだった。
仕方がないので、耳を澄ませるのをやめた。
小屋の入口を見ていると、ネイトがこちらへ向かって手を振った。
俺も手を上げる。
それを見て、ネイトはまた小屋の中へ戻っていった。
声が聞こえなくても、何をしているかくらいは見える。
少なくとも、今すぐ困ることはなさそうだった。
◇
少し休むと、耳の調子は徐々に戻ってきた。
最初に気づいたのは、すぐ近くで枯れ草が擦れる音だった。
次に、ネイトの足音。
それから、ロルフたちの話し声。
まだいつもと同じとは言えないが、言葉は聞き取れる。
「どうだ?」
「だいぶ戻りました」
「なら、今日は無理に奥へ入らなくていい。外の確認を頼む」
「わかりました」
小屋の中の板は、ロルフたちが片づけてくれた。
俺は外に回り、壁と屋根の傷んでいる場所をもう一度確認する。緩んだ板に印をつけ、修理が必要な場所を記録した。
途中で一度、耳を澄ませかけた。
だが、やめておいた。
屋根の傷みは、見ればわかる。壁の板も、手で押せば動くかどうか確かめられる。
今日の仕事なら、それで十分だった。
ひと通り確認を終えると、ロルフが記録をまとめてくれた。
「帰れるか?」
「はい。耳も、もうほとんど大丈夫です」
「ならよかった。さっきは驚いたぞ」
「俺もです」
「盾がなかったら、顔に当たってたかもしれんな」
俺は左腕の盾を見た。
板がぶつかったところに、少し傷がついている。
「買っておいてよかったです」
「初めて使ったのか?」
「……そうですね」
考えてみれば、仕事で盾をまともに使ったのは初めてかもしれない。
相手は魔物どころか、ただの板だったが。
◇
町に戻った時には、空がだいぶ暗くなっていた。
ギルドで報告を済ませると、セラが俺の左腕を見た。
「どうかしました?」
「作業小屋で、ちょっと板が倒れてきまして」
「怪我ですか?」
「大したことないです。ただ、盾に当たった時の音が、すごく大きくて」
セラの表情が変わった。
「耳は?」
「一時的に、周りの音がよくわからなくなりました。今はだいぶ戻ってます」
「……そうですか」
セラは少し考えるようにしてから、俺を見た。
「明日も変だったら、仕事より先に診てもらってくださいね」
「はい」
「本当にですよ」
「わかってます」
どうやら、あまり信用されていないらしい。
依頼の報酬を受け取り、ギルドを出る。
通りを歩く人の足音が聞こえた。
どこかの店で、扉が閉まる音もする。
夕飯の支度だろうか、食堂の方から食器が重なる音が聞こえてきた。
耳は、いつもの調子に戻りつつあるらしい。
食堂の前まで来たところで、俺は足を止めた。
今日は料理を作る気になれなかったし、昼も簡単に済ませていた。
中から、煮込み料理の匂いが流れてくる。
それだけで、もう十分だった。
俺は扉を開け、空いている席へ向かった。




