第48話:冬の仕事
翌朝、ギルドへ行くと、町の外へ出る依頼がいくつか残っていた。
町の南側へ荷を届けるもの、街道脇の柵を見て回るもの、少し離れた農家まで道具を運ぶもの。
掲示板の前で迷っていると、セラが受付から声をかけてきた。
「ライアスさん、今日は外ですか?」
「そのつもりです」
「盾、買ったんですね」
背中を見て気づいたらしい。
「見に行っただけのつもりが、結局買ってしまいました」
「やっぱり」
なぜか予想されていた。
セラは棒と盾を見てから、依頼票へ目を戻した。
「今日はこの依頼はどうですか?」
渡されたのは、街道脇にある目印と柵の確認だった。
壊れていれば場所を記録し、簡単に直せるものならその場で手を入れる。町からそれほど遠くない。
「一人ですか?」
「今日は三人ですね。先に受けた人二人います」
受付の端を見ると、見覚えのない冒険者が二人いた。
片方は短い槍を持った男で、もう一人は弓を背負った女性だった。どちらも俺より少し年上に見える。
「じゃあお願いします」
「盾を買ったからって過信しないでくださいね」
「戦うために買ったわけじゃないので、大丈夫ですよ」
依頼を受けると、二人もこちらへ来た。
「お前もこの依頼を?」
「はい」
「ライアスだっけか。耳が良いんだってな」
最近は俺のことを知っている人が少し増えている。不思議に思うが、いったい何がどこまで広がっているんだろう。
「少しだけです」
「少しでわかることが増えるなら十分だろ」
そう言って、男は笑った。
◇
冬に入ってから、朝の空気は随分冷たくなった。
雪が積もるほどではないものの、寒い日は本当に寒い。吐いた息が白くなる日もある。日が出れば少し楽になるものの、風が吹くと指先から冷えてくる。
街道沿いの草も色が落ち、背の高いものは途中で折れていた。虫の音が減った分、遠くの音が聞き取りやすい気もするが、風の音ばかり耳に入る時もあった。
「この辺りだな」
槍の男が道端の杭を見る。
少し傾いている。
三人で土を寄せ、足元を固める。盾は背中に回したまま、棒も使わない。
こういう仕事では、装備が増えた分だけ邪魔だった。しゃがむと盾の端が背中でずれ、立つ時に棒へ触れる。
最初の数日は何度も気になったが、最近は位置を直す回数も減ってきた。
次の目印へ向かう途中、弓の女性が急に足を止めた。
「何かいたのか?」
槍の男が聞く。
「いいえ。今、向こうで何かが動いた気がしただけ」
二人が右側を見る。
俺も耳を澄ませた。
少し遠くで鳥が鳴いている。足音らしいものは聞こえないが、風が弱まった時に草が擦れる音が微かに聞こえる。
「……たぶん、いたとしても遠いですね」
「何かいる?」
「はっきり何かいるとわかる音はしません。少なくとも、こっちへ近づいてくるような音は聞こえないです」
以前なら、何かいると思った時点で身体に力が入っていた。今も怖くないわけではない。何なのかわからない音というのは少し嫌だなと感じる。
ただ、魔物だとしてもまだ距離はある。こちらへ近づいてくる音でもない。街道は先まで見えるし、戻る方向も空いている。
そこまで考えてから、もう一度耳を澄ませた。
風が止まる。
その時、少し先の低い草が揺れた。
弓の女性がそちらへ身体を向ける。
槍の男も手を武器へ伸ばした。
俺も背中の棒へ手をかけたが、その前に茶色いものが草の間から飛び出した。
耳の長い、小さな獣だった。
街道を横切り、そのまま反対側の藪へ消えていく。
三人とも、しばらく何も言わなかった。
「……あれか?」
槍の男が言う。
「たぶん」
弓の女性が肩の力を抜く。
俺も棒から手を離した。
「魔物じゃなくてよかったですね」
「毎回魔物だったら仕事にならん」
それもそうだ。
少し先へ進むと、さっき獣が出てきた辺りに小さな足跡が残っていた。
弓の女性がしゃがむ。
「古くないね。今のやつだ」
「音より、こっちの方が分かりやすいな」
俺が言うと、女性が笑った。
「耳で全部分かったら、私の仕事が減るよ」
「いや、全部は分からないですよ」
本当に、その通りだった。
音だけでは何なのかまではわからなかった。
わかったのは、遠くで何かが動いているかもしれないこと。それだけだった。
「よし。じゃあ進むか」
槍の男が言う。
俺も頷き、また歩き出した。
◇
ここ最近、仕事をいくつかこなしてきて、日が短くなったことにも慣れてきた。
町の外へ出る仕事は、以前より早めに切り上げるものが増えている。暗くなるのが早くなってきたので、危険を避けるためだ。
調味料を買ってから、遠出をする日は自分で作った昼飯を持っていくことも増えた。
最初はパンと干し肉だけだったが、最近は豆を煮たものをパンに挟んだり、香草を少し混ぜたりする。
一度、香草を少し多めに入れた日があった。
朝に味見をした時は、そこまで気にならなかった。
だが、昼になって包みを開けた瞬間、思っていたより強い匂いがした。
隣で昼飯を食べていた冒険者が鼻を動かす。
「何か草食ってる?」
「豆です」
「匂いは草だぞ」
一口食べる。
口の中が、一気に香草の匂いになった。
「……入れすぎたな」
食べられないほどではない。
ただ、どこを噛んでも草の匂いがする。
途中で水を飲んでも、まだ残っていた。
その日の午後は、何となく自分の息まで香草臭い気がした。
それ以来、入れる量は前より少なくしている。
外で食べると飯はすぐ冷える。それでも、塩だけの豆を食べるよりは美味しく食べられる。
失敗することもあるが、次に減らせばいい。
昼飯が美味い方が、午後の仕事にも前向きに向かえる、気がしている。
◇
また、別の日に《緑の風》と街道の確認にも出た。
その日はフェンが前を歩き、俺は少し後ろからついていった。
「盾、買ったんすね」
「はい」
「ちゃんと小さいのにしたんすね」
「デインさんのは大きいし重くて無理でした」
後ろから大きな声が飛んでくる。
「慣れれば持てるぞ!」
「もう持ちません」
即答すると、エルナが笑った。
道の途中で、フェンが何度か足跡を確認した。
少し古いもの。人のものや小さな獣のもの。
一度だけ、少し大きな足跡があった。
フェンがしゃがみ、指で跡の端をなぞる。
「これ、昨日か一昨日くらいっすね」
ガイルが周囲を見る。
「どっちへ行ってる?」
「北っす」
「戻ってきた跡は?」
フェンは少し横へ移動した。
草を分け、別の場所も見る。
「今んところ見当たらないっす」
俺も耳を澄ませた。
近くに動くものの音はない。鳥も普通に鳴いている。
だから安全だ、とまでは思わない。
足跡があるなら、少なくともここを通った何かがいる。
「近くにはいなさそうです」
俺が言うと、フェンがこちらを見る。
「何も聞こえないっすか?」
「近づいてくる音は聞こえないです。鳥も普通です」
フェンが頷いた。
「なら、今ここにいる可能性は低そうっすね」
ガイルが足跡を見る。
「北へ抜けてる。戻った跡もない。ならそのまま進むか」
「了解っす」
道を外れず、そのまま広い道を進む。
少し歩いたところで、フェンが言った。
「耳だけでも駄目だし、跡だけでも駄目なんすよ」
「そうなんですか?」
「跡が古くても、その先で戻ってきてるかもしれないっす。音がしなくても、止まってるやつもいるし」
「なるほど」
「だから、見えるものと聞こえるもの、両方使えるなら使えばいいっす」
簡単に言われたが、まだまだ俺には難しい。
前なら、魔物の痕跡があると聞いただけで、そこからずっと周囲の音ばかり気にしていた。
今も気にはなる。
ただ、足跡は古く、進んだ方向もわかっている。こちらへ向かっている音もない。
それなら、今見るべき場所は別にある。
そうやって少しずつ考えられるようになった。
◇
冬が深くなるにつれて、町の仕事も変わった。
薪を運ぶ依頼や、倉庫へ保存食を移す仕事が増えた。風で傷んだ屋根や柵を直す手伝いに呼ばれることもある。
外へ出ない日は、盾を背負ったまま仕事をして、結局一度も下ろさずに帰る。
最初の頃なら、使わなかったことが少し無駄に思えたかもしれない。
今は、使わずに済んだならそれでいいと思う。
ある日の夕方、ギルドへ戻った時だった。
受付へ向かおうとして、背中の盾を少しずらす。
その拍子に、棒の紐が引っかかった。
「ん?」
肩を動かす。
外れない。
もう一度動かすと、今度は盾の縁が棒へ当たった。
ごつ、と音がする。
「……またか」
位置を直そうとしていると、近くから声がした。
「増やした分、扱う物も増えたな」
顔を上げる。
ギルドマスターが受付の近くに立っていた。
「最近そればっかり言われます」
「実際また増えてるからな」
何も反論できない。
棒の紐を外し、盾の位置を戻す。
ギルドマスターはそれを見てから、盾を指差した。
「それ、使ったか?」
「練習では。仕事ではまだほとんど」
「それでいいんだよ」
「いいんですか?」
「何のために買った?」
「身を守るためです」
「なら、使わず帰ってこられたなら困らんだろ」
確かにそうだった。
ギルドマスターは少しだけこちらを見て、続けた。
「持ってるだけで安心して前に出るなよ」
「はい」
「それと、盾は壁じゃない。棒も剣じゃない。だから使い方を間違えたら、どっちも邪魔になる」
言われて、さっき引っかかったばかりの棒を見る。
「……今ちょうど邪魔になってました」
「見てた」
「先に言ってください」
「自分で気づいた方が覚える」
そう言って、ギルドマスターは別の受付へ移っていった。
今は、背中の盾が重いことも、棒と一緒だと動きにくいことも知っている。実際に邪魔になったこともある。
だから、言っていることは何となくわかった。
◇
さらに何日か経った朝。
宿を出ると、冷たい風が頬に当たった。
以前より寒いはずだが、冬の空気そのものにはだいぶ慣れてきた。
ギルドへ向かう途中、盾の紐を直す。棒もある。防具も着ている。
最初は一つ増えるたびに気になっていたのに、今では歩きながら位置を直せるようになった。
道の先で荷車が軋む。店を開ける音。遠くで誰かが呼ぶ声。
町の音を聞きながら歩く。
全部に耳を向ける必要はなかった。
その日の掲示板には、また町の外へ出る依頼が出ていた。
少し遠い場所だ。そしてまた何人かで組む仕事らしい。
俺は依頼票を手に取り、内容をあらためて読み返し、受付に持っていった。




