第42話:食べられます
翌朝、宿屋の主人、ボノに声をかけた。
「鍋を使える場所ってありますか?」
ボノが顔を上げる。
「鍋?」
「ちょっと煮たいものがあって」
「飯なら外で食ってこい」
「いつもはそうしてます」
「じゃあ何で急に煮るんだ」
昨日買った香草と酢のことを話すと、ボノは少しだけ呆れたような顔をした。
「今度は料理か」
「今度はって何ですか」
「こないだまで棒をどうするか考えてただろ」
「それとこれは別です」
「俺からすればどっちもどっちだ」
何故かおかしなヤツだと認定されている気がするが、火を使える場所は教えてもらった。
宿は飯を出していないので、当然ながら客用の調理場があるわけではない。鍋も自分で用意する必要があった。
そこまで考えていなかった。
「あ、鍋、持ってないです」
「それは知らん」
「ですよね」
いきなり最初の問題にぶつかった。
◇
その日のうちに、安い小鍋を一つ買った。
これも予定外の出費だった。
香草と酢より高い。
昨日、油を買わなくてよかったかもしれない。
翌朝、豆と根菜を煮た。
塩を入れるところまではいつも通り。
そこへ香草をほんの少し。
酢はさらに少なくした。
市場で舐めた時の酸っぱさを思い出すと、どうしても慎重になる。
しばらく煮てから味を見る。
「……薄いな」
塩を少し足した。
もう一度。
今度は食べられるし、香草の匂いもする。
酢は、入れたはずなのにほとんど分からなかった。
食堂で食べた煮込みとは全然違う。いや、相手はこれで生計を立てているのだから当たり前か。
あの主人は毎日のように作っている。
昨日初めて香草を買った俺が、一回で同じものを作れたらそっちの方がおかしいし、実は他にも色々と入れているのかもしれない。
そこまで教えてくれるはずがない。
それでも、村で作って食べていたものとは違った。
うまくなったかと言われると、まだ自信はない。
だけど、少なくとも塩だけの時よりはうまい。
最初ならこれでいい。
昼へ持っていく分は、汁を切った豆と根菜をパンに挟んだ。少し崩れたが、包めば何とか持っていけそうだった。
弁当。
昨日浮かんだ言葉を思い出す。
これがそうなのかは分からないし、ちょっと違う気がしているが、少なくとも外で食うために持っていく飯ではある。
◇
ギルドへ着くと、町の外へ出る依頼がいくつか並んでいた。
その中に、街道から少し外れた場所で採取を行う仕事があった。
薬草や材料になる少し珍しい草を採る者が三人。
目的地までは半日もかからないが、町の外なので護衛がつく。
魔物が出ることもある地域らしい。
依頼票を読んでいると、横から声がした。
「それ受けるのか?」
ガイルだった。
「はい」
後ろにはフェン、エルナ、デインもいる。
「《緑の風》もこの仕事ですか?」
「ああ。俺たちが護衛で入る」
ガイルが依頼票を見る。
「採取の手伝いにもう一人入れるって話だったはずだ。受けたいなら受付に聞け」
受付で確認すると、俺でも参加できた。
護衛は《緑の風》が担当する。
俺は採取者の近くで作業を手伝いながら、何かあれば知らせる。
前にも似たような仕事はしている。
それなら何とかなるだろう。
俺はそのまま依頼を受けた。
◇
町を出てからしばらくは、街道を歩いた。
採取者三人が真ん中。
ガイルとフェンが前。
エルナが採取者の近くを歩き、デインが後ろにつく。
俺は荷物を一つ持ち、採取者たちの横を歩いた。
棒は背中。
防具も着ている。
以前《緑の風》とベルドまで行った時は、どちらもなかった。
だからといって、安全というわけでもない。
歩きながら、ときどき耳を澄まして周囲を探る。
前を歩くフェンは、道だけでなく脇の草や木の間にも視線を向けている。
ガイルは何度か立ち止まり、進む先を確認した。
後ろでは、デインの盾が歩くたびに小さく揺れていた。
かなり大きい。
前にも見ていたはずなのに、改めて見るとよくあれを背負って歩けると思う。
「デインさん」
「ん?」
「それ、重くないんですか?」
盾を指す。
「重いぞ!」
即答だった。
「やっぱり重いんだ」
「そりゃな。盾だからな!」
理由になっているような、なっていないような。
デインは笑いながら、肩の位置を少し直した。
「でも、あると楽な時もあるぞ」
「重いのに?」
「重いから楽な時もある!」
今度こそ全く分からなかった。
聞き返そうとしたところで、ガイルが前から声をかけた。
「話すのはいいが、足元も見て歩けよ」
道が少し細くなっている。
俺は前へ向き直った。
デインの話は、そのままになった。
◇
街道を外れてからは、草の多い道が続いた。
人が通った跡はある。
ただ、町へ続く道ほど歩きやすくはない。
採取地へ着くと、三人がそれぞれ籠を持って散った。
俺も一人についていく。
「この細い葉のやつを切ってくれ。根はいらない」
教えられたものを探す。
似た草が多い。
一度間違えて別の葉へ手を伸ばし、止められた。
「そっちは違う」
「似てません?」
「慣れれば全然違う」
そういうものらしい。
何本か見比べて、ようやく違いが少し分かってきた。
切って籠へ入れる。
少し移動する。
また探す。
護衛の《緑の風》は、同じ場所に固まってはいなかった。
ガイルとフェンは少し広く周囲を見る。
デインは採取者から大きく離れない。
エルナも作業を手伝いながら、ときどき顔を上げていた。
俺も何度か周りを見る。
鳥の声。草を切る音。
風で葉が擦れる音。虫の声や人の足音。
今のところ、変なものはない。
そう思って、また草へ目を落とした。
◇
昼になり、少し開けた場所で休むことになった。
採取者たちはパンや干し肉を取り出す。
俺も朝作ったものを出した。
冷めた豆と根菜を挟んだパン。
近くにいたフェンが覗き込む。
「何すか、それ」
「昼飯です」
「いや、それは分かるっす」
「作ったんです」
「え? ライアスが?」
なぜそこまで驚かれるのか。
エルナもこちらを見る。
「料理するんですか?」
「町に来てからは……今朝が初めてです」
「今日から……」
また同じような反応をされた。
一口食べる。
冷めると、朝より香草の匂いが分かる。
悪くない。だが、酢はまだどこにいるのかよく分からない。
「どう?」
エルナが聞く。
「食べられます」
フェンが吹き出した。
「それ成功って言わないんじゃないっすか?」
「失敗でもないです」
「判定が甘いっすねえ」
デインが大きく笑った。
「ガハハハ! 腹に入れば十分だ!」
「デインさん、それだと俺が今までやってたのと同じなんです」
「塩をかければ味はするだろ!」
「そういう話じゃないです」
結局、全部食べた。
食堂の煮込みには遠い。
それでも、次は香草を少し増やしてもいいかもしれない。
酢も、ほんの少しだけ。
そんなことを考えながら昼食を終えた。
◇
午後は、午前より少し奥へ入った。
採取する草がそちらに多いらしい。
ガイルが先に行き、フェンが少し離れて周囲を見る。
採取者の一人が横へ広がろうとした時、デインが何気なくその前へ出た。
「そっちは待て」
盾を背中から下ろしている。
構えたわけではない。
ただ、進もうとした先との間に立っただけだった。
少ししてフェンが戻ってくる。
「跡あるっす」
「何のだ?」
ガイルが聞く。
「四つ足。そこまで新しくないっすけど」
「回るか」
それで進む方向が変わり、採取者も何も言わずについていく。
デインは盾を背中へ戻した。
俺も後ろについて歩く。
しばらくして、さっきのことを思い返した。
盾で何かをしたわけではない。
でも、採取者はデインが前へ出た瞬間に止まった。
使うのは、殴られた時だけじゃないらしい。
そんなことを考えているうちに、前を歩いていたフェンが片手を上げた。
全員が止まる。
ガイルもすぐに足を止めた。
「どうした?」
フェンは周囲を見たまま答えない。
俺も顔を上げる。
鳥が鳴いている。風もある。近くで葉が擦れる。
その時、少し離れたところで、何かが草を踏んだ。
一度。
間を置いて、もう一度。
俺はそちらへ顔を向けた。
フェンも同じ方向を見ていた。




