第38話:一枚増やす
猪に遭ってから、町の外へ出る時に気になるものが一つ増えた。
棒ではない。
服だった。
今まで着ていたものでも仕事はできるし、採取や手紙の配達くらいなら困らなかった。
ただ、猪が飛び出してきた時のことを思い返すと、もしあのまま体当たりされていたらと思う。
棒で距離を取る練習を始めたとはいえ、必ず間に合うとは限らない。
だからといって、全身を固めるような防具が欲しいわけでもなかった。
重ければ歩く仕事の邪魔になるし、荷物も運びづらくなる。
手紙を届けるだけの日にも着ていけるくらいのものがいい。
「全部守ったら重いよな……」
考えた末、また装備屋へ行くことにした。
最近、この店へ来る回数が増えている気がする。
◇
店に入ると、以前棒を探した時の店員がいた。
背中の棒を見るなり、嫌そうな顔をされる。
「今日は棒売ってくれって言うなよ」
「今日は違います」
「なら何だ」
「防具です」
店員が少し意外そうな顔をした。
「やっと普通の物を買いに来たか」
「棒も普通ですよ」
「棒は武器屋には置いてなかったけどな」
そう言われると反論しづらい。
町の外へ出る仕事が増えたことと、猪に遭ったことを話す。重い物は避けたいが、今の服よりは体を守れるものが欲しいと伝えた。
「特にどこを守りたいんだ?」
「胸とか腹ですかね。腕も怪我したくないですが」
「全部守るとなると結構重くなるぞ」
店員は俺の服装を見ながら、店の奥へ向かった。
「お前みたいに歩く仕事が多いなら、まず胴でいい。腕まで固めるのは、それで足りなくなってから考えろ」
「足りなくなることあるんですか?」
「仕事次第だ」
店員が奥から戻ってきた時には、革を使った防具をいくつか抱えていた。
胸から腹の辺りを覆うものと、厚手の布に革を重ねた上着。それから腕を守る物も一つ混じっている。
「全部着るんですか?」
「全部買いたいなら止めねえぞ」
「……値段を聞いてからにします」
「お、随分賢くなったな」
以前なら装備の値段を見ただけで諦めていた気がする。
今も余裕があるわけではないが、仕事を続けてきた分、少しずつ使える金は増えていた。それでも必要以上に買うつもりはない。
◇
まず、胸から腹を覆う革の防具を渡された。
服の上から身につけ、留め具を締めてもらう。正面はかなり守られている感じがしたが、腕を上げると脇の辺りが引っかかった。
棒を前へ出すように腕を動かしてみる。
「ちょっと動きづらいですね」
「大きさが合ってねえな」
「防具ってこんなものじゃないんですか?」
「自分に合わねえ物着たせいで動きづらくなったらどうすんだ」
外され、次に少し小さい物を渡された。
着てみると今度は動きやすいが、前を留めると窮屈だった。
「これは?」
「こっちは少し小せえな」
「着られてますけど」
「着られるのと合っているかは別だ」
最近、似たようなことをよく言われる。
棒の時もそうだった。
持てるから使えるわけではないし、着られるから使えるわけでもないらしい。
「腕のやつも試します?」
店員が革の腕当てを出してくる。
付けてみると悪くはない。ただ、棒を握って前へ出すと手首の辺りが気になった。
「これも動きづらいです」
「今のお前には要らねえかもな」
「守れる場所は増えるのに?」
「邪魔が増えたら意味ねえだろ」
守れば守るほどいいわけではないらしい。
今の俺がやる仕事なら、動けることの方が大事そうだった。
◇
三つ目は、厚手の布に革を重ねた上着だった。
最初の物ほど硬くない。
着たまま腕を前へ出し、横へ動かす。背中に回した棒を外す動きも試してみたが、大きく引っかかるところはなかった。
「これなら動けます」
「鏡見てみろ」
店の端に置かれた鏡の前へ立つ。
防具を着た姿を見ると、いつもの服だけの時より胸元に厚みがある。背中には棒があり、その上から革紐が斜めに通っている。
冒険者らしいと言えば、少しはそう見えるのかもしれない。
「どうだ」
「思ってたより普通ですね」
「何になると思ってたんだ」
「もっと強そうになるかと」
「着ただけで強くなるなら、俺も毎日着る」
それもそうだ。
店員が後ろへ回り、留め方を少し直す。
「ここ余ってるな」
「大きいですか?」
「少しな。締めれば問題ねえ」
逆に脇の部分は少し余裕を残した方が、腕を動かしやすいらしい。
何度か調整してもらい、もう一度棒を前へ出す動きを試す。
今度はほとんど気にならなかった。
「これにします」
「即決か?」
「動けるので」
「値段は聞かなくていいんだな?」
「あ」
店員が笑った。
勢いだけで買ってしまうところだった。危なかった。
◇
値段を聞いてから、やっぱり少し迷った。
買えない額ではない。
ただ、安くもない。
手袋を買った時もそうだったが、仕事で使う物が増えると、その分だけ金も減っていく。
今すぐ絶対必要かと言われれば、たぶん違う。なくても仕事はできる。
でも、猪に遭った時も、あの日までは棒だって必要だと思っていなかった。
「……買います」
「おっ、毎度ありぃ」
店員がニヤけながら言う。
若干の悔しさを覚えながら代金を払い、そのまま着て帰ることにした。
◇
店を出て、少し歩く。
最初は肩の辺りが気になったが、歩く分には問題なさそうだった。棒も背中へ回せるし、革紐と防具が大きくぶつかる感じもない。
これなら大丈夫そうだと思って、そのまま通りを進む。
角を一つ曲がったところで、背中の棒を外そうとした。
革紐を肩からずらし、前へ回す。
途中で止まった。
「あれ?」
もう一度やる。
今度は強めに引いた。
引っかかった。
防具の肩の部分に革紐が噛んでいる。
「……戻るか」
買ってから、まだそれほど歩いていなかった。
◇
店へ戻ると、店員があからさまに嫌そうな顔をした。
客に対する態度ではないと思うのだが、この人はこういう人だと学んだ。
「まさかもう壊したのか?」
「壊してません」
「じゃあ何だ」
「棒が抜けません」
「買った防具の話じゃねえじゃねえか」
「でも防具着ると引っかかるんです」
仕方なく、店員の前でもう一度やってみる。
背中の棒を前へ回そうとすると、やはり革紐が肩の端に引っかかった。
店員が防具と紐を見比べる。
「留め方が悪いな」
「棒の方?」
「両方だ。防具はここ締めすぎ。紐は肩の真上を通すな」
少し緩めてもらい、革紐の位置もずらす。
何度か棒を背中へ回し、また前へ出す。
今度は引っかからなかった。
「これならいけます」
「買う前にそこまで試せよ」
「試したんですけど」
「一回だろ」
その通りだった。
棒を作った時も、店の中では分からないことが多かった。
使ってみて、初めて気づく。
最近はそういうことばかりな気がする。
◇
今度こそ店を出る。
しばらく歩いてから、もう一度棒を外してみた。
問題ない。
戻す。また歩く。
腕を上げても大丈夫だった。
ただ、防具を一枚増やした分、やはり少し暑い。
首元に手を入れ、風を通す。
「今はまだちょっと暑いな」
朝晩は前より冷え込むようになっている。
日が落ちるのも少し早くなった気がするし、宿を出る時に上着を一枚増やそうか迷う日も出てきた。
これからの時期なら、この厚さも悪くないかもしれない。
道沿いの店の窓に、一瞬だけ自分の姿が映った。
棒を背負い、その上から新しい防具を着ている。
最初にアルネへ来た頃とは、少しだけ違って見えた。
強そうになったかと言われると、自分ではよく分からない。
ただ、仕事をするために必要だと思った物が少しずつ増えている。
手袋もそうだった。
棒もそうだった。
今回の防具も、たぶん同じだ。
そこまで考えたところで、肩の辺りが少し擦れた。
「……また戻るほどじゃないか」
位置を直し、そのまま歩く。
新しい防具はまだ体に馴染んでいない。
それでも、棒よりは扱いやすそうだった。




