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地味な《聴力強化》で、今日も飯を食う  作者: 話半分


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第22話:嫌な感じ

アルネを出てしばらくすると、最初は気になっていた馬車の音にも少しずつ慣れてきた。


静かになったわけではない。


最初は全部が一緒に聞こえていたが、歩いているうちに、これはずっと鳴っているものだと分かってきた。


一人で町の外へ出る時より、聞こえるものが多い。


その分、何か一つを聞こうとすると分かりにくい。


試しに街道脇の草むらへ意識を向けてみたが、馬車が小さな窪みを越えた音にかき消された。


「これは難しいな」


「何がっすか?」


少し前を歩いていたフェンが振り向いた。


「周りの音を聞けって言われたんですけど、馬車が結構うるさくて」


「ああ」


フェンは納得したように馬車を見る。


「そりゃそうっすよ。俺だって馬車の横から森の中全部見ろって言われたら無理ですもん」


「斥候でも?」


「斥候だから何でも見えるわけじゃないっす」


そう言うと、フェンは道の先を指した。


「だから先に行って見てくるんですよ」


ちょうどガイルから声がかかった。


「フェン。もう少し先も見てきてくれ」


「えー、またっすか?」


「斥候だろ」


「今ちょうど斥候だから何でもできるわけじゃないって話してたんすけど」


「いいから行け」


「はいはい。分かってますって」


文句を言いながら、フェンは足を速めた。


そのまま街道の先へ走っていく。


思っていたより速い。


「元気ですね」


俺が言うと、デインが笑った。


「ガハハハ! あいつは走るのが仕事だからな!」


少し前を歩いていたエルナが、「あ、でも、よく文句は言います」と小さく付け足した。


「聞こえてるっすよー!」


ずいぶん先から返事が飛んできた。


「耳いいですね」


「お前が言うのか! ガハハハ!」


確かに。


◇


街道は森の中だけを通っているわけではなかった。


木々が近い場所もあれば、開けた草地の横を抜ける場所もある。畑らしいものが遠くに見えるところもあった。


馬車の速さに合わせて歩くので、急ぐほどでもない。


時々フェンが先へ出て、戻ってくる。


その間、何もなければ話をする程度の余裕はあった。


「そういやライアスって、アルネ生まれじゃないっすよね」


戻ってきたフェンが、また俺の近くを歩きながら言った。


「違います。村です」


「どこの?」


「どこのって……村です」


「いや、だからその村はどこなんすか」


少し考える。


「アルネまで歩いて半日くらいのところです」


フェンが首を傾げ、それから何か思い当たったような顔をした。


「ああ。リンの村?」


「リン?」


今度はこちらが聞き返した。


「え?」


「それ、村の名前ですか?」


「そうっすけど」


知らなかった。


フェンも俺の顔を見ている。


「自分の村の名前知らなかったんすか?」


「村の中で村の名前を使うことないですから」


後ろからデインの笑い声が飛んできた。


「ガハハハ! そりゃそうだ!」


「いや、そういう問題っすか?」


「中の人間には村で通じるんだろ」


ガイルまで普通に言う。


「ほら」


「ほらじゃないっすよ」


フェンは納得していないらしい。


俺は一度、頭の中でその名前を繰り返した。


リンの村。


知らない場所の名前みたいだった。


でも、指しているのは俺がずっと暮らしてきた村だ。


「名前あったんだな」


「ありますよ。そりゃ」


「今日知りました」


フェンが何とも言えない顔をしている。


エルナが遠慮がちに、


「あ、でも……村の中では、たしかに使わないかもしれませんね」


と言った。


「エルナまでそっちにつくんすか?」


「あ、違います、その……どっちにつくとかじゃなくて」


「フェン、その辺にしとけ」


ガイルが止めた。


「はいはい」


外からは、リンの村と呼ばれているらしい。


村にいた頃は知る必要もなかった名前を、村を離れてから初めて知った。


今度帰ったら、誰かに聞いてみようか。


たぶん「知らなかったのか」と言われる気はする。


◇


昼を過ぎても、商隊は特に問題なく進んでいた。


フェンが何度目かの確認から戻り、ガイルに伝える。


「先には何も問題ないっす」


馬車も止まらず進む。


俺も時々、街道の左右へ意識を向けてみた。


最初よりは馬車の音と、それ以外を分けて聞けるようになった気がする。


聞こえているもの自体は変わらない。


鳥の鳴き声や風で葉が擦れる音。

草の中で何か小さいものが動く音。

たまに遠くから聞こえる、何の音か分からないもの。


全部を追う必要はない。


そう思って歩いていた時だった。


右手に森が近づいてきた。


何かが聞こえたわけではない。いや、何も聞こえないわけでもない。


少しだけ気になった。


そのまま何歩か進むがやっぱり気になる。


ここには仕事で来ている。


俺の役目を思い出した。


「ガイルさん」


「どうした」


「あっち、ちょっと嫌です」


ちゃんと伝える努力をしようと思っているものの、口から出たのはこの前とほとんど変わらない言葉だった。


ガイルが俺の指差した森を見る。


「……嫌?」


「はい。嫌な感じがします」


「何がいる?」


「それは……分からないです」


当然の質問だった。


でも今回は、それだけで終わるわけにはいかない。


何が嫌なのか。何故そう感じるのか。自分でも聞き直してみる。


鳥の声はある。少し離れたところでは鳴いている。


ただ、俺が指差した辺りは少ない気がする。


「鳥が……いないというより、少ないです。あの辺だけ」


「他には?」


もう一度そちらに耳を澄ます。


馬車の音が邪魔になる。


少し待つと、車輪が土を踏む音の向こうで、何かが枝を踏んだような音がした。


一度だけ。


「さっき、奥で枝を踏んだような音がしました」


「大きさは?」


「分かりません。小さい感じではなかったですけど」


言いながら、自分でもずいぶん曖昧だなと思う。


「あと……」


もう一つ何かあった気がする。

でも、うまく言葉にならない。


「何か変なんです。いや、それじゃ駄目ですね」


ガイルは急かさなかった。


俺は森を見る。


鳥の声が少ない。

奥で枝を踏んだような音もした。


考えてはみたが、それだけだ。


「……すみません。今分かるのは、その二つです」


「分かった」


ガイルはすぐにフェンを呼んだ。


「右の森、少し見てきてくれ」


「俺っすか」


「お前以外に誰が行く」


「ですよねー」


フェンは俺が指差した方を見る。


「どの辺?」


「あそこです。少し先の、木が二本並んでる辺りから奥」


今度はなるべく場所を説明する。


フェンが頷いた。


「見つけても追うなよ」


ガイルが言う。


「分かってますって」


フェンは街道を外れ、森の方へ入っていった。


◇


馬車は道の端へ寄せて止まった。


完全に危険だと分かったわけでもないのに、俺の一言で二台とも止まっている。


急に落ち着かなくなってきた。


「何もなかったらすみません」


「何もない方がいい」


ガイルが言った。


「でも止めちゃいましたよね」


「確認するために止めたんだ。お前が止めたわけじゃない」


そういうものだろうか。


近くにいたエルナがこちらを見る。


「あ、こういうの、普通なので」


「普通?」


「あ、違います。何かあるのが普通って意味じゃなくて……怪しいところを確認するのが、です」


「なるほど」


「何もないのが一番ですから」


そこまで言って、エルナは少し困ったような顔をした。


「あの……今ので伝わりました?」


「はい。伝わりましたよ」


「それなら、よかったです」


この人も説明するのが少し苦手なのかもしれない。


しばらく待つ。


馬が鼻を鳴らす音が近くで聞こえた。


馬車が止まると、さっきまで気にならなかった森の音がよく聞こえる。


フェンの足音は、もう分からない。


それでも、何もなかったら悪いなとは思う。


そう思っていると、しばらくして森の中から音が近づいてきた。


フェンだった。


「どうだった」


ガイルが聞く。


「何かいますね」


その言葉で、少しだけ肩に力が入る。


「見たのか?」


「いや、姿は見てないっす」


フェンは森の方を振り返った。


「足跡あります。新しいやつ。それと奥の枝が何本か折れてました。獣臭も少し」


「何の跡か分かるか?」


「そこまでは。街道まで出てきてないし、今はこっちへ近づいてる感じもしないっす」


ガイルは少し考え、ヘルムとも短く話した。


街道を変えるほどではないらしい。


ただ、しばらく森側を警戒しながら進むことになった。


馬車が再び動き始める。


俺も歩き出したところで、ガイルに呼ばれた。


「ライアス」


「はい」


「さっきの、次からも言ってくれ」


「でも、結局何だったのか分からないですよ」


「それでいい」


「いいんですか?」


「お前は気になったことを伝えればいい。何がいるか確かめるのはフェンの仕事で、そこからどうするか決めるのは俺の仕事だ」


少し前では、変だと思っても「嫌な感じ」としか言えなかった。


今回も、最初に出た言葉は同じだった。


それでも鳥の声が少ないことと、何かが枝を踏んだ音くらいは伝えられた。


「じゃあ、正解まで分からなくていいんですね」


「最初からそう言ってる」


……確かにそうだった。


どうやら俺の方が、勝手に難しく考えていたらしい。


馬車について歩き出す。


少し進んでから、もう一度だけ右の森へ耳を向けた。


何がいたのかは、やっぱり分からない。


それでも今は、それでいいらしい。

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