第2話:耳がいいと、仕事になるのか
朝、目が覚めた時には、もう外が騒がしかった。
いや、外が騒がしかったから、目が覚めたという方が正しいかもしれない。
村にいる時は、聞こえるのは風の音や鳥の声、木々のざわめき、それからたまに誰かが道を通る音くらいだ。
どれも自然に聞こえてくる音で、目覚めを促すほど気になる音ではない。
だが町は違う。
多くの人が暮らしているというだけで、近い距離に自分以外の人間が複数いることで、村とは全く違う聞き慣れない音が嫌でも耳に入ってくる。
宿の廊下を歩く足音。
下の階で何かを運んでいる音。
外から聞こえる荷車の車輪。
道行く人たちの話し声。
どこかの家で戸を勢いよく閉めたであろう音まで混じって聞こえる。
寝台の上でしばらく天井を見ていたが、全く静かになる気配はなかった。
町にいると朝からこんなにも騒がしいのか。
年に一度ぐらい、町に泊まるたびに感じていたことではあるが、これまではそれが普通だと思っていた。
だが昨日、こんなに騒がしく感じているのは俺だけかもしれないことを知った。
もちろん同じ《聴力強化》の特性を持つ人もいるだろうから、俺だけが騒がしく感じているわけではないかもしれない。
……そんな人がいれば、ちょっと仲良くなれそうな気がするな。
昨日も騒がしいとは思っていた。
ただ、一日中歩いていたから、疲れてすぐ眠れたらしい。
起き上がって顔を洗い、荷物をまとめる。
昨日買い物を済ませてしまったから大荷物だ。
買い物を先に済ませるべきではなかったかもしれない。
一週間滞在する予定とはいえ、この宿にずっと泊まると決めたわけではない。
仕事が見つかる場所次第では、別の宿の方が便利かもしれない。
だからいったん荷物は全て持って宿を出る。
今日からは仕事探しを始めていく。
昨日はそのために銀貨五枚も使った。
《聴力強化》。
鑑定結果が書かれた紙を一度だけ確認し、折り畳んで荷物へ戻した。
俺は耳がいいらしい。
耳が良ければ、どんな仕事ができるのか。
俺には見張りくらいしか思いつかなかった。
宿を出ると、通りはすでに多くの人が活動を始めていた。
俺もとりあえず歩く。
当てもなく歩いてみる。
仕事を探すと言っても、町で働いたことがあるわけではない。
店先に張り紙でも出ていないかと見て回ったり、荷物を運んでいる人間がいれば少し気にしてみたりしたものの、それらしいものはなかなか見つからなかった。
仕方なく店の前で荷物を運んでいる男に声をかけてみた。
「すみません。何か仕事はありませんか?」
男は抱えていた木箱を一度置き、俺を見た。
あまりにも唐突過ぎたかもしれない。
「ここでか?」
「はい。何か手伝えるものがあれば」
「今日は人手は足りてるな」
「そうですか」
「まあ、明日なら分からんが」
その程度だった。
別の店でも試しに聞いてみたが、似たような回答だった。
必要な時だけ人を雇う仕事ならありそうだ。
だけど、いつ、どこで募集しているのかが分からない。
昼になる頃には、ただただ町を歩き回っただけで、少し疲れていた。
昨日一日歩いた足も、まだ完全には戻っていない。
広場の端で少し休もうとした時だった。
「いない……」
近くから、小さな声が聞こえた。
声がした方を見ると、女の子が地面にしゃがみ込み、木箱や樽の隙間を覗き込んでいる。
その後ろには女性が一人立っていた。
この子の母親だろうか。
「本当にこっちへ飛んで行ったの?」
「うん。こっちだよ」
「でも、いないじゃない」
二人して辺りを探している。
何かをなくしたらしい。
少し気になって眺めていたところで、
チ、と小さな音が聞こえた。
今のは何の音だ。
もう一度耳を澄ます。
チ、チ。
鳥の鳴き声に聞こえる。
ただ、少しだけ遠い。
俺は辺りを見回した。
親子はまだ木箱の間を探している。
「何か探してるんですか?」
声をかけると、女性がこちらを向いた。
「飼っていた小鳥です。籠を開けた時に逃げてしまって」
「この辺に?」
「ええ。この子はこっちへ飛んできたと言うんですけど」
女の子が何度も頷いた。
鳴き声はまだ聞こえる。
木箱の方ではない。
もう少し上だ。
通りに面した建物を見上げた。
屋根の下に太い梁が一本通っている。
下からでは小鳥の姿は見えないが、鳴き声はその上から聞こえていた。
「たぶん、あそこですよ」
屋根の方向を指差す。
「え?」
「梁の上です」
女の子がすぐに見上げた。
「何も見えないよ」
姿は俺にも見えない。
「今も鳴いてます」
女性も耳を澄ませた。
しばらくして、首を傾げる。
「……聞こえませんけど」
「いますよ」
そう言い切った後で、俺は昨日の鑑定のことを思い出した。
《聴力強化》。
そういうことか。
近くにあった樽を勝手に動かすわけにもいかないので、とりあえず店の人間を呼んだ。
やってきた男に事情を説明すると、少し面倒そうな顔をされたが、黙って見つめている女の子の顔を見て、表情を変え、その後に梯子を持ってきてくれた。
男が上がっていく。
「どのへんだ?」
「もう少し右です」
「右?」
「そこの梁の上です」
男が身体を傾ける。
少し間があって、
「ああ、いたいた」
男が手を伸ばすと、ばたばたと羽音がした。
「おい、暴れるなよ」
しばらく格闘したあと、男が小鳥を片手で包むように捕まえた。
もう片方の手で梯子をつかみ、ゆっくり下りてくる。
地面まで戻ると、女の子がすぐに駆け寄った。
「よかった……」
小鳥を受け取ると、胸元へ大事そうに抱え、少し離れた地面に置いてある籠の方へ向かっていった。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
女性は何度も礼を言った。
「いや、たまたま聞こえただけなので」
「私には全然聞こえなかったですけどね」
そう言われて、少し困った。
昨日までなら、たぶん聞こえていても気にしなかった。
でも今日は、俺にだけ聞こえた音を意識して聞いた。
聞こえたから聞いた。
それだけだったが、今は、その理由に名前がついている。
《聴力強化》。
「俺の特性らしいです」
「特性?」
「実は昨日、初めて鑑定してもらったんです」
女が納得したように頷いた。
「なるほど。それなら鳴き声が聞こえたことも納得できますね」
「……そうか。こんな風に耳を活かした仕事を見つければいいのか」
俺がつい呟いた内容を聞いて、女性が尋ねてきた。
「仕事を探してるんですか?」
「はい。そのために町へ来ました」
女性が少し考えてから言った。
「それなら、冒険者ギルドへ行ってみたらどうですか?」
……冒険者。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中にいくつかのイメージが浮かんできた。
剣を持ち。
鎧を着て。
魔法を使い。
魔物を倒す。
未開の地を探索する。
危険な魔物と戦い金を稼ぐ。
そういう職業だったような気がする。
どこで知ったのかは分からない。
いや、たぶん。
前の世界だ。
俺はきっと、冒険者というものを知っている。
ただ、その詳細は浮かんでこない。
「冒険者……ですか」
「嫌ですか?」
「嫌というか」
俺は腰に剣なんて下げていない。
動物を狩ったことはあっても、魔物を倒したことなどない。
そもそも倒したいと思ったこともなかった。
「俺、魔物を倒したいわけじゃないんですけど」
女性が一瞬きょとんとして、それから笑った。
「別に、冒険者だからって魔物を倒さなきゃいけないわけじゃないですよ」
「そうなんですか?」
「ギルドに行けば分かります」
そう言って、冒険者ギルドの場所を教えてくれた。
この広場からそれほど遠くはないらしい。
「見つけてくれてありがとう」
女の子が小鳥を入れた籠を抱えたまま、笑顔で言う。
「見つかって良かったね」
軽く微笑み返して、その場を離れた。
冒険者ギルド。
剣。
魔物。
危険な仕事。
ふと頭の中に浮かんだものと、さっき女性から聞いた話がどうにも噛み合わない。
まあ、冒険者ギルドに行ってみるだけなら金はかからないだろう。
昨日みたいに、入口で銀貨五枚と書いてあったら入らずに帰ればいいか。
教えられた方向へ歩き出した。
俺にできる仕事を探し始めて半日。
今のところ稼いだ金はない。
稼げる見込みも立っていない。
見つけたのは小鳥一羽と、次に行く場所だけだった。




