第1話:《聴力強化》
塩の入った大きめの壺を傾けると、底に残った粒がさらさらと音を立てた。
傾けると底が見えるが、まだしばらくは大丈夫そうだ。
壺を元に戻し、次に戸口の脇に置いてあった袋を持ち上げた。
今年収穫した芋類は、片手で持ち上げるには重いくらいには残っている。
食べるものには困っていない。
畑仕事はもう一段落しているし、冬を越す分もこの分だとどうにかなる。
少なくとも、贅沢を考えなければ腹を空かせる心配はいらないことをあらためて確認する。
問題は、畑から採れないものだった。
塩もそうだし、調味料の類は自分では作れない。
服だって数着はあるとは言え、何年も繰り返し洗って着ていると傷んでくる。
畑仕事の道具も、自分で修理しながら使っているが、そろそろ限界を迎えそうなものが増えてきた。
そういうものを手に入れるには、やはり金が必要になる。
机の上に小さな袋を置き、中身を確かめるが、何度数えても増えるわけではない。
分かってはいるが、もう一度数える。
残金も把握しているが、どうしても数え直してしまう。
この金は両親が残した金だ。
◇
二人が死んだのは、俺が十歳の頃だった。
突然両親を失い、一人残された十歳の俺。
親切心なのか、それとも死なれたら寝覚めが悪いとでも思ったのだろうか。
必要最低限ではあるが、村の人たちが気にかけてくれた。
それも最初の頃だけ。
その後は、近所の爺さんだけがたまに様子を見に来た。
畑仕事や簡単な狩り、料理と呼べるのか怪しい程度の調理方法を教えてくれたのはその爺さんだ。
だいぶ変な爺さんだったと思う。
十二歳になる頃には、この家と小さな畑の中で一人で暮らすようになっていた。
それから五年ほどが経った。
畑で食うものを作り、小さな村の中ですらほとんど出歩かない。
だから金を使わずに済む日は多かった。
それでも、まったく使わないわけにはいかない。
嗜好品なんてものは買わない。
そもそも買う場所も、村の小さな店ぐらいしかない。
年に一度ぐらい、一番近い町に出て村では手に入らないものを買いに行くことはあった。
必要なものしか買わない。
それでも確実に少しずつ金は減った。
本当に少しずつだったから、しばらくは気にしていなかった。
そして、その少しずつが、そろそろ無視できなくなってきている。
袋の口を閉じ、また考える。
もうまもなく冬という頃。
畑はしばらく放置してもいい。
冬支度も、急いで今日明日にやらなければならないものはない。
そもそもそんなにすることはないが。
町へ行くなら今だろう。
◇
必要なものを買うだけなら、いつものように用を済ませてすぐ帰ってくればいい。
だが今回は、それだけではない。
金を稼がなければいけない。
村で金を稼ぐ方法はほとんどない。
だから、町で仕事を探す。
一週間。
とりあえず、それくらい町に滞在してみるつもりだった。
何の仕事があるのかも知らない。
すぐに稼げるものかすらわからない。
そもそも自分に何ができるのかも、よく分かっていない。
この状態で町に出ても徒労で終わるかもしれない。
それでも、家で金袋を眺めているよりはましだろう。
用意しておいた荷物を背負い、家を出た。
外はまだ暗かった。
季節は秋だが、この時間はもう吐いた息が白い。
戸を閉めてから家の脇にある畑を見る。
緑はなく、ほぼ土の色のみの畑。
刈り取りはもう済んでいる。
一週間程度なら問題ない。
そう判断して、町を目指し村を出た。
◇
町までは、朝早く村を出れば昼過ぎには着く。
道そのものは知っている。
子供の頃にも来たことがあるし、一人で暮らすようになってからも、年に一度くらいは買い物に出ている。
日帰りしようとすれば安全ではない夜道を歩かなければいけなくなる。
だから村から町に行くときは日帰りはしないのが当たり前になっている。
朝に村を出て、町で一晩泊まり、翌日に帰る。
だから町が珍しいわけではなかった。
とはいえ、一週間もいるのは初めてのことだ。
安宿に泊まるとしてもかなりの出費になる。
そういう意味では今回はかなり思い切った行動だと思う。
朝のうちは他人とほぼ会わず荒れた道を歩いて来たが、町に近付いてくるにつれて道も整い、荷車や旅人が増えてくる。
後ろから近づいてくる車輪の音がして、道の端へ寄る。
しばらくして荷車が横を通り過ぎていく。
御者が軽く手を上げたので、俺も軽く頭を下げた。
通り過ぎても、目の前の荷台の木箱が揺れるたび、がたがたとやかましい。
道なりにまた歩く。
しばらくすると、前の方から別の荷車が来た。
さらにその向こうから、人の話し声が聞こえてくる。
姿が見えるより前に音が来る。
昔からそうだった。
特に気にしたことはない。
聞こえるから、聞いていただけだ。
そういうものだと思っている。
歩き続けているうちに、日が高く昇り、秋とは言えだいぶ暖かくなってきた。
長く歩いてきた身体には汗が滲んでくる。
その頃になって、ようやく町の外壁が見えてきた。
「やっと着いたか」
誰に言うでもなく呟いた。
だいぶ足が重い。
こうして町に足を運ぶたびに、もう少し近ければいいのになと思う。
たぶんこれからも毎回同じことを思う。
町へ入り、まず必要な買い物を済ませることにした。
◇
店の中には、見覚えのあるものと、何に使うのかよく分からないものが雑多に並んでいた。
俺は目的のものだけを選ぶ。
塩。
それから必要なものをいくつか。
あまり余計なものを見ると気になって欲しくなるかもしれないので、見ないようにしている。
どちらにせよ無駄なものを買う余裕はない。
店主が品物をまとめながら、俺の荷物をちらりと見た。
「兄ちゃん、今日は泊まりか?」
「はい」
荷物が多いのを見て、町の外から来た人間だと判断したのだろう。
店主が金額を告げる。
財布から硬貨を出し、机の上に並べた。
また金が減った。
当たり前だが、使えば金は減っていくものだ。
「明日には帰るのか?」
「いえ。一週間くらいいるつもりです」
「へえ。何か用事か?」
「仕事を探そうかと思って」
店主の手が少し止まった。
「仕事?」
「はい」
「何ができる?」
聞かれて、俺も止まった。
「……畑仕事なら」
「この町で畑仕事を探すのか?」
「それは、まだ分かりません」
店主が笑った。
馬鹿にした感じではなかった。
「特性は?」
「特性?」
今度は店主が完全に止まりこちらを見た。
「お前、自分の特性知らねえのか?」
「知らないですね」
「鑑定は?」
「鑑定?」
店主がしばらく俺を見る。
「どっから来たんだ?」
「村です。ここから歩いて半日くらいの」
「ああ」
それだけで、何か納得したらしい。
「あっちじゃ鑑定する奴いねえか」
「たぶん。少なくとも俺は聞いたことないです」
「この町じゃ子供の頃に一度見てもらう奴が多いんだよ。自分がどんな特性持ってるかくらい、知っといた方が仕事も選びやすいからな」
「特性って、そんなに仕事に関係あるんですか?」
「ものによるな」
ずいぶん雑な答えだった。
「例えば力が強くなる特性なら、重いもん運ぶ仕事には向くだろ。手先が器用なら、そっちを使う仕事もある。何の役に立つか分からんのもあるけどな」
「なるほど」
仕事を探すなら、知っておいて損はなさそうだった。
「どこで見てもらえます?」
店主が場所を教えてくれた。
最後に、
「銀貨五枚くらいだったと思うぞ」
と言った。
「五枚?」
「ああ」
それは思っていたよりもかなり高い。
思わず財布を押さえた。
「そんな顔するなら、別に今すぐやらなくてもいいんじゃねえか?」
「……そうですね」
買ったものを袋へ入れ、礼を言って店を出た。
◇
鑑定所の前までは来た。
店主から聞いた通りの道を、迷うことなく歩き、結局来てしまった。
入口の横には、店主から聞いた通りの金額が書いてある。
銀貨五枚。
見間違いではない。
やっぱり高い。
この町に一週間いるつもりなのだ。
当然、その間も金はかかる。
宿にも泊まる。
もちろん飯も食う。
まだ仕事が見つかると決まったわけでもないのだから、鑑定など受けず、その分を残しておいた方がいい。
俺は入口の前を離れた。
数歩歩いて止まる。
振り返ってまた考える。
特性なんて知らなくても、今まで困らなかった。
というか、そんなものがあるなんて知らなかった。
それなら、このまま知らなくても別にいいじゃないか。
そう思ってもう一度歩き出す。
少ししてまた止まる。
特性って何なんだ。
俺にもあるのか。
じゃあどんな特性なんだ。
考え始めたら気になった。
仕事を探すために町へ来た。
どんな仕事があるのか。
自分に何ができるのか。
何もわからないまま手探りで仕事を探す。
自分が何に向いているのか分かるかもしれない。
向いている仕事がわかるなら、何も得るものがなく村に帰るという結末を避けられるかもしれない。
少なくとも、手当たり次第に探すという無駄は減らせるのかもしれない。
金が惜しいから見ない。
それで仕事が見つかったとして、もしも自分には向いていない仕事だったらどうなる。
少しでも向いている仕事を選ぶ方が安心ではないだろうか。
そこまで考えて、俺は引き返した。
銀貨五枚。
痛い。
かなり痛い。
だが、自分の特性というものを知らないまま今日から一週間を過ごす。
仕事はどうあれ、いったんは村へ戻る。
たぶんずっと気になる。
知らないままはきっと気持ち悪い。
気になって落ち着かない日々を過ごす。
俺はそういう性格だ。
それが一番面倒だった。
意を決して扉を開ける。
◇
「では、こちらへ」
案内されて椅子に座った。
向かいにいるのは、四十歳くらいに見える男だった。
銀貨五枚を渡すと、男は慣れた様子で受け取った。
もう戻ってこない。
だが、今さら考えても仕方ない。
鑑定そのものは、思っていたほど大げさなものではなかった。
男の指示に従い、しばらく待つ。
男が俺の方に手をかざす。
紙に何かを書いている。
俺の周りを歩きながらじっと観察してくる。
また紙に何かを書いている。
「結果が出ました」
男が先ほどの紙を見せながら言う。
そこに書かれた文字を、男が読み上げた。
「あなたの特性は――《聴力強化》ですね」
「……ああ」
思わず声が出た。
男が顔を上げる。
「心当たりが?」
「まあ、少し」
聴力強化。
名前からして、そのままだ。
「耳がよくなる特性ですか?」
「そう考えてもらっていいですよ。普通より音を聞き取りやすくなる特性ですね」
それなら分かる。
道を歩いている時も、後ろから来る荷車には早く気づく。
家に誰かが来れば、戸を叩かれる前に分かることもある。
林へ入れば、姿の見えない鳥や小動物の音を拾うことも多い。
ただ、今まで特別なことだとは思っていなかった。
「昔から耳はいい方だったかもしれません」
「特性なら、本人にとってはそれが普通ですからね」
男は紙に何かを書き足した。
もう一度、《聴力強化》の文字を見る。
銀貨五枚。
その結果が、これか。
「……仕事には使えます?」
男が少し考えた。
「見張りなどには向いているかもしれませんね。音が聞こえることが役に立つ仕事なら」
「これだけで食っていけますか?」
「そこまでは鑑定では分かりませんね」
「そうですよね」
男が紙を渡してくる。
「特性が分かったからといって、それだけで仕事が決まるわけではありませんから」
それはそうだなと納得する。
ふと思ったことを聞いてみる。
「あなたの特性は《鑑定》なんですか?」
「そうですよ。私の場合は特性が分かった時点である程度決まっちゃいましたね」
「仕事には困らなそうですね」
町にはこれだけの人が暮らしていて、誰にでも特性がある。
それを調べられるなら、客はいくらでもいそうだ。
ところが男は苦笑した。
「それがね、そうでもないんですよ」
「そうなんですか?」
「一人を一度見たら、その人はもう自分の特性を知っているでしょう?」
「ああ」
「だから同じ人が二度来ることはほとんどありません」
「なるほど」
「一回見たら終わりですからね」
男はため息をついた。
「だから、例えば料理人に向いた特性だった方がよかったなと思います」
「料理人ですか?」
「美味いものを作れば、また食べに来てもらえるでしょう」
「確かに」
「鑑定ではそうはいかない。町の人間を一通り見たら、新しく来る客を待つしかありません」
なんとなく、入口に書いてあった金額を思い出した。
「だから銀貨五枚なんですか」
「まあ、多少は高くしないと、こっちも食べていけませんので」
「正直に言っちゃうんですね」
「ええ。もう払ってもらいましたから」
男は少し笑った。
特性がそのまま仕事になる。
それはそう単純な話でもないらしい。
《聴力強化》。
派手なものではない。
火が出るわけでもないし、急に力が強くなったわけでもない。
何も変わらない。
昨日までと同じ耳だ。
たぶん他の人よりもよく聞こえる。
それだけの特性だ。
今まで自覚はなかったけれど、今日はその名前を知った。
それだけだった。
◇
鑑定所を出ると、もう日が落ちかけていた。
だいぶ寄り道をしてしまったが、今日から泊まる宿を探さなければならない。
毎年使うような決まった宿があるわけではない。
一週間の滞在、そして予定外の出費があったことから、できるだけ安いところを探した。
結局、銅貨五十枚で一晩泊まれる部屋を取った。
狭い部屋だった。
寝台と、小さな机。
荷物を置けば、それでもういっぱいという広さだ。
寝台へ腰を下ろし、靴を脱ぐ。
朝から歩き続けた足をようやく休ませることができる。
今日買ったものを確認して、財布も見る。
買い物。
宿代。
そして鑑定料。
町へ着いて一日も経っていないのに、ずいぶん減ってしまった。
明日からは、これを増やすための仕事を探さなければならない。
荷物から鑑定の紙を取り出す。
《聴力強化》。
何度見ても、やはり何かが変わるわけではない。
名前を知ったけれど、これまでと特に変わりはない。
その時、廊下の向こうで誰かがくしゃみをした。
少し離れた部屋から、椅子を引くような音も聞こえた。
外では人が話している。
町には、多くの人が暮らしている。
村の家とはずいぶん違う。
「……ちょっとうるさいな」
そう呟いて、俺は寝台に横になった。
特性というものを知り、自分の特性を知った。
それから、自分の聴力に意識が向くようになった。
意識し始めた途端、少し聞こえる音が増えたような気がしてきた。
「……気のせいか」
明日からは、仕事探しだ。




