第6話 図書館。
私が頭がおかしい男に会ったのは、そんな日常が続いたある雨の日。
いつものようにフローラに車いすに乗せられて向かったのは、病院の図書館。
入院患者もいれば学生らしい姿も見える。看護師も医師らしい人もいる。
その男に声を掛けられたのは私に広い図書館を案内してくれていたフローラ。
「フローラちゃん、今日もかわいいねぇ。お兄さんと恋でもしてみない?」
「あら、フェルナンドさん。間に合っておりますわ」
「相変わらずの塩対応だねえ。気が変わったら教えてね?」
「あははっ」
フローラが立ち止まる。知り合いなのか、随分と受け答えも慣れているようだ。
「おや、これはこれは眠り姫。その後、調子はいかが?」
「……」
急にしゃがんで車いすの私と目線を合わせたその男が、にっこりと笑う。
「なかなか目が覚めなくて、心配しちゃったよ。バルトルトは焦って、処方を間違えたんじゃないかと詰め寄って来るしさあ。8時間ぐらいで一度起きるかと思ったら、姫は二日も寝続けて…もう、僕も心配しちゃった。べーべちゃんはただ単に眠かっただけみたいだね?お疲れだった?」
「……」
(誰?)
弾丸のように話す、フェルナンドという男をまじまじと見るが、知り合いだった気はしない。しかも…私の車いすのひじ掛けに肘を置いている。顔が…近い。
よく日に焼けた肌に、長いつややかな黒髪を後ろにゆるく結って、緑の瞳…?
この瞳はどこかで…見たような気がする?
その男から体をなるべく遠ざけながら戸惑っている私に、フローラが笑いながら教えてくれた。
「この方は薬師のフェルナンドさんです。バルト先生のご友人で、今は招かれて隣のアカデミアの薬学科の助教授をなさっているんですよ。お国の癖で、息をするように女性を口説くので気にするなとバルト先生がおっしゃってました。ご高齢のご婦人方には大人気なんですよ。若返るわーって。無駄にいい男ですしね」
「……」
「こう見えて、お国のイリアでは薬学博士のほかに医師免許もお持ちらしいですよ?」
「えええ…こう見えてって、フローラちゃん…いい男に見えるってことでしょ?」
そんなことを話している最中に、鐘がなった。図書館の中が一瞬ザワリとして、本を見ていた看護師が駆け出していく。
「フローラも行ってきていいよ。べーべちゃんは僕が見ていてあげるから」
「え?はい。ではすぐに戻りますので、しばらくお願いします」
そう言ってフローラも駆けて行った。
「あの鐘はね」
ゆっくりと私の車いすを動かしながら、フェルナンドと呼ばれた男が話し出す。
「外科手術が必要な患者が救急で入って、傷を処置するのに押さえ込む人員が要るよ~って合図なんだよ」
「…押さえ、こむ?」
「ああ、ほら、怪我によっては急いで切ったり縫ったりしなくちゃいけないだろう?その時、みんなでその患者さんを押さえるのさ。痛くて暴れるでしょ?」
「……」
「もっとひどい怪我だと僕らが呼ばれるときもある。大けがで足を切断しなくちゃいけない時とかね。さすがに患者さんが耐えられないから、眠ってもらう薬を処方するんだ。状況や体格や年齢に合わせてね」
「……じゃあ、私も?」
「あ、うん」
北側に広がる窓の近くに取られた読書スペースの一角に私の車いすを押し込んで、その男が話しながら今度は本棚を物色し始めた。
「普通ならべーべちゃんの怪我ぐらいなら使わないんだけど、ご令嬢が痛みに耐えられずにころりと死んじゃったりするといけないでしょ?で、僕が呼ばれたわけ」
…ころり?
「……では、その薬をみんなに使ってあげればいいのでは?」
「うーん、そうなんだけどね。僕が使ったのは華国から入ったなかなか高価なもので、しかも、扱いの難しい薬でね。一般にはあまり使わない。なんていうの…薬にも毒にもなるものだからね」
「……」
これでいいかな、と独り言を言いながら、その男が3冊ほど棚からとった本を私の座ったテーブルに重ねる。
「入門編だよ、べーべちゃん。見たところいろいろ栄養不足みたいだから、お薬だと思って読んでごらんよ?僕はこの道の研究の第一人者だからね」
そう言ってウィンクする男を驚いて瞬きしながら見上げる。
「あの…先ほどから…私はべーべという名ではございません」
「うん、そうだね。べーべ。生まれたてのクリスティン、だね」
いつの間にか私の隣に座って、読書用のテーブルに頬杖をついたその男が、私の顔を見てニコニコ笑っている。…この人…本当に、絶対、頭がおかしい。そもそも、女性との距離の取り方がおかしい。異国の人だからかしら?
フローラが早く帰ってこないかと、図書館の入り口辺りをちらりと見る。
「せっかく殻が割れたんだ。怖がらずに出てきてごらん?」
「え?」
イリア独特の…何かの隠語とかだろうか?
私はこの男と会話が成り立たない困惑で、思わず眉を寄せる。
結局…膝の上に3冊の本を載せられ、部屋までその男が車いすを押して私を送ってくれた。廊下ですれ違う女性を一人残らずほめちぎっている。
「やあ、また会ったね。今日の髪型いいね」だの「おや?今日はお化粧のノリがいいね。一段と輝いて見えるよ」だの「セニョリーナ!会いたかったよ!」とおばあさんをハグしたり…忙しい人のようだ。
どっと疲れた。
***
その夜はランプを付けたままにして、押し付けられた本を読んでみた。薬、と言ったあの頭のおかしい男の意図するところがよくわからなかったから、とりあえず読んでみるか、位の気持ちだった。
ベッドで背中に羽枕を入れてもらって、左手でページをめくる。
その本は…冒険者と姫の旅のお話だった。
私はいつの間にか眠っていたらしく…その夜は巡回の看護師の足音すら気が付かなかった。




