第4話 入院1か月目。
「バルト先生、はい、コーヒー」
エルマが詰め所で患者のカルテを書き込んでいるバルトルトにカップを差し出す。
エルマは看護師として勤めて長いが、世の常で、若くて生きの良い医師は先輩医師にいいようにこき使われる。今日だって、宿直当番はこの人じゃないはずだった。
…でもまあ、急患を押し付けられ、難しい手術の助手に入り…皮肉にも数をこなしているうちに、バルト先生は若くしてベテランの域に達してしまった。根気強く患者に向き合う姿勢は尊敬できる。病状はよほどのことが無ければ本人に伏せない。
「結局、それと向き合うのは患者さんだからね」
そう言って。
バルト先生の机の横に椅子を置いて、エルマもミルク入りのコーヒーを飲み始める。
「クリスティン様ですが、そろそろ貴族用の病室に動かしてもよさそうですね」
「ん?…ああ、怪我の経過的にはそうなんだけどねぇ」
カルテから顔をあげて、先生が少し困ったような顔をして私を見る。
「もっと…あの母親みたいに言いたいことを言って泣きわめいてくれた方が安心なんだけどね?」
「…ああ」
先日面会に来たクリスティンの母親のヒステリーは中々に凄かった。
傷が痛むか?でも、大丈夫か?でもなく…先生が治療のために切った髪を非難して騒ぎ立てた。まあ、貴族のお嬢さまにとっては大事なことではあるのだろうが、あの大事故で飛び散ったガラスが髪に潜り込んでしまっていたし、切れたところの出血はひどかったし…適切な判断だったと私も思う。が…適齢期の娘さんを持つ母親としては、つらい現実だったのかもな。
(…いや…それにしても…まずは娘の怪我の心配をしようよ?)
結局、院長先生にバトンタッチしてなだめていただいた。父親の方は話が分かる様なので、まだ救われるか。
「しばらく面会謝絶にしようかと思っている。あの子は治療にも協力的だし、回復訓練も素直に受けているんだけど…なんていうの?一度も泣きも騒ぎもしないんだよ?痛いもつらいも言わない」
「……」
先生の言わんとするところはなんとなく理解できた。
王太子妃候補になるほどの完璧な教育を受けたご令嬢。
あの母親が言うように、半年後の王太子殿下の誕生日に、婚約者として指名を受けたかもしれない。
16歳。今が一番きれいで華やかな時期なのに…何もかも失うような事故に巻き込まれてしまった。
半年たっても、高いヒールが履けるかどうかもわからないし、コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けるのもままならないかもしれない。
なにより…半年ではあの髪は伸びきらない。
先生は患者さんの絶望からの…最悪の事態は避けたい、そう言っているんだろう。
エルマはミルクコーヒーを飲み込んで、一つため息をついた。
*****
「昼間に起きていられる時間も増えたし、本でも読みますか?どんな本が好きなのかしら?」
救急患者用のベッドから、回復期のベッドに移ったクリスティンに、エルマがそれとなく聞いた。ドアの向こうは看護師の詰め所になっている。先ほどから彼女は背中に枕を入れて上半身を起こして、薄いカーテンが揺れる窓の外を眺めている。頭の包帯はまだ取れないが、傷の経過は順調だ。折れた骨がくっつくのはまだかかるだろうが。
「よかったら、うちの病院の図書館に恋愛小説とか冒険小説とかがあるから、持ってきましょうか?」
返事が返ってこなかったので、エルマがそれとなく声をかける。退屈だろうし、さらりと読める本の方がいいだろうと思って口にしたんだが…。
クリスティンは面会も制限しているし、差し入れやお見舞いの品はご実家に送ってもらっている。
「…そういった本は…読んだことがありません」
「まあ、そうですか…」
そう言えば送り返した差し入れの中に、分厚い歴史書があった気がした。そんなことをエルマは思い出していた。
普通、高位貴族ともなると、怪我や病気をしても主治医を呼んで自宅療養がほとんどだ。うちの病院にクリスティンが入院し続けられるのは、彼女の父親の同意を得られたからだ。院長の話だと、彼女の母は連れて帰ると騒いだらしいが。
***
バルトルトはクリスティンの父親に椅子を勧めた。
「家内が…クリスティンが王太子殿下の婚約者になるのを諦めていなくて、カツラを作ろうかしら、などと言い出しましてね……髪さえどうにかしたらなんとでもなると、そんなうわごとみたいなことばかり言ってましてね」
週に一度の面会日にやってきた彼女の父は、自虐気味に笑いながら、話してくれた。
さすがに奥様は連れて来なくなった。
「本人は…クリスティンは王太子殿下の婚約者候補を辞退すると言っていますので、その通りにするつもりです」
ほんの少し疲れを漂わせて、ため息をついた。
「私としては…いい機会だと思っています。あの子が、クリスティンが自分のことを考える機会になればと。反抗もせずに、なにもかも家内の言う通りに生きてきてしまいましたから。家内も、この機会に少しクリスティンと距離をとれるようになればいいと思っています。もっとも…そう思いながら、そのままにしていた私の責任です」
「……病院で治療を続けるのは問題ありません。足首の骨折は歩けるようになるまでに時間がかかりますし、無理をすると腫れが引かなかったりしますから、様子を見ながら回復訓練をする予定です。ただ…娘さん自体が…なんていうか…見捨てられた、ような感覚を持ったりはしませんでしょうか?」
「…それでも、先生…治ってもいない娘にカツラをかぶせて、踵の高い靴を履かせて踊らせるような親にはなりたくないんです…そうさせないつもりです」
「……」
絞り出すように彼女の父親はそう言うと、両手で顔を押さえた。
高位貴族も大変だな…。
バルトルトは蹲って小さくみえる彼女の父親に、かける言葉を探していた。




