第3話 お人形。
「あら?」
家庭教師の授業を終えて自分の部屋に戻ってきたクリスティンは、いつもならベッドにいい子で眠っているお人形のフローラにただいまを言う。もうクリスティンは10歳になったが、寝るときにはいつもフローラと一緒に寝ている。
…朝、おはようを言って、それから…。
布団の中もベッドの下も探したが、挨拶をしようとしたフローラがどこにもいなかった。
「ああ、アメリー?フローラは?」
侍女のアメリーが定期的にフローラをお風呂に入れて干してくれるので、それかと思って、入ってきたアメリーににこやかに聞いた。
「お風呂に入ったのかしら?」
小さい頃お父様にお誕生日に頂いた抱えるほど大きなお人形。毎朝、アメリーが私の髪を梳いている時に、フローラの可愛らしいくるくるの金髪を梳いてあげて…髪はほんの少し薄くなってしまったが。
アメリーが作ってくれた季節ごとのお洋服ももう20着くらいある。いつも一緒に寝ていたので、くたくたになった手や足はアメリーが目立たないように縫ったり綿を入れ直したりして補修を繰り返してくれていた。
兄がいるが、貴族用の学院に通うのに中等部から寮に入ってしまってほとんど家に帰ってこない。
その年の離れた兄しか兄妹がいないクリスティンにとっては妹のようなフローラ。
「…お嬢様…それが…」
泣きそうな顔でアメリーが何か言いかけた時、お母様が上機嫌で部屋に入ってきた。
「クリスティン、見て。美しいでしょう?王室御用達のお店で買ってきた新しいお人形よ?」
母が抱えてきたのは綺麗なピンクのドレスを着たビスクドール。
金色の髪は立てロールに巻かれている。
「いつまでもあんな小汚い人形を置いておくものではありませんよ?美しいものを見ないとあなたの美的感覚も育ちませんからね?」
そう言ってその真新しいビスクドールを私に押し付けてきた母は…嬉しそうだった。
「まあ、お母様、ありがとうございます」
にっこり笑ってそのビスクドールを受け取る。陶器の冷ややかさ。満足そうな顔の母。
嫌でも気が付いた。
…捨てられちゃったんだ…汚くなったから…。
母はいつも私を愛してくれている。
最高の教育。最高のマナー講師。一流のドレスや靴。それに似合った貴金属。
「あなたの幸せのためよ?」
「いつもお母様は、あなたのためを思っているの」
着飾った私と一緒に鏡に映った母は、いつも嬉しそうだった。
クリスティンは母が留守の時に、散歩のふりをしてこっそり屋敷のはずれの焼却炉に行った。棒で灰を掻きだして、緑色のガラス玉を一つ見つけることができた。フローラの…いつも優しく私を見てくれていた緑色の瞳。
急いでポケットにしまい込んで、花壇の端にアメリーと穴を掘って埋めた。
「おや、お嬢さま、こんなところでどうしました?」
急に声を掛けられたのでビクッとした。白髪頭の庭師のヤンじいさんが大きな剪定用のハサミを持って立っていた。
ヤンじいさんに、私のお友達のお人形のお墓だと教えてあげた。
「秘密にしてね?」
ヤンじいさんはしわだらけの顔をくしゃっとして、うんうんと頷いた。
「ああ…お嬢様、物は何時か壊れます。人間だっていつか必ず死んでしまいます。だから生きているうちにたくさんのものを愛せるといいですね?」
ヤンじいさんは手折った花を供えてくれて、フローラのために跪いて祈ってくれた。
フローラのお墓には今はクリスマスローズが植えられている。
冬の寒い時期に淡い緑色の花がうつむきがちに静かに咲いていた。
***
(…夢、か)
昔の夢を見ていた。随分と昔の夢だ。
フローラがいなくなってからは、一人で寝ていた。母の買ってきてくれたビスクドールは、ガラス付きの飾り棚に飾って、それから一度も触っていない。
色もあせず、朽ちもせず…美しいままの微笑んだ人形。
朝まだ早い時間だ。病室の白いカーテンごしに、青い朝が見える。
クリスティンは寝返りを打つ代わりに、薄い毛布を動かせる左手で引き上げた。
顔が隠れるぐらいまでに引き上げて、声を出さずに少し泣いた。




