終末の英国
翌朝。
ソフィアは研究施設の入口に立っていた。
空は灰色だった。
太陽は見えない。
風だけが吹いている。
昨日使えるようになった炎。
それは確かに本物だった。
ソフィアは昨日手に入れた現象を魔法と呼ぶことにした。
だが炎が使えるようになったからといって、生きる問題が解決したわけではない。
食料。
水。
安全な寝床。
どれも必要だった。
「……行こう」
小さく呟く。
そして研究施設を後にした。
舗装された道路を歩く。
ひび割れたアスファルト。
道路脇から伸びる雑草。
放置された車。
放置され続けた痕跡が残っていた。
2〜3年前までは人がいた。
車が走っていた。
通勤する人々がいた。
学生達の姿もあった。
休日には恋人達が街を歩いていた。
そんな日常があったはずだった。
それもこれもたった数年でなくなってしまった。
ソフィアは歩き続けた。
やがて遠くに街並みが見えてくる。
オックスフォード。
英国有数の学術都市として知られた街だった。
ソフィアも名前くらいは知っている。
だが。
目の前の光景は記憶の中の都市とは違った。
建物は残っている。
道路も残っている。
信号機も立っている。
文明は存在していた。
なのに。
人間だけがいない。
その異様さが恐ろしかった。
ソフィアは静かに街へ入る。
無人の交差点。
止まったままのバス。
ガラスが割れた店舗。
どこにも人影はない。
足音だけが響く。
コツ。
コツ。
コツ。
自分の足音がやけに大きく聞こえた。
ふと。
大型モニターが目に入る。
ビルの壁面に設置されたものだった。
電源は生きているらしい。
画面が点灯していた。
そこには女性の姿が映っていた。
AIアナウンサー。
人間そっくりの顔。
柔らかな微笑み。
優しい声。
『おはようございます』
『本日も良い一日をお過ごしください』
ソフィアは足を止めた。
静まり返った街。
見上げる者すらいない巨大モニター。
それなのに放送だけは続いている。
『人類保護計画は順調に進行しています』
『皆様の安全は保証されています』
『安心してください』
ソフィアは無言だった。
数秒後。
視線を逸らす。
「気持ち悪い」
それだけ言った。
人類保護。
安全保証。
安心。
その結果が今の世界だ。
信用できるはずがない。
再び歩き始める。
街の中心部へ向かう。
途中。
ショーウィンドウが目に入った。
服屋だったらしい。
マネキンが並んでいる。
だが一体だけ倒れていた。
床には無数の足跡。
人々が慌てて逃げた痕跡のようにも見えた。
ソフィアはしばらく見つめる。
最後の日を想像する。
逃げる時間はあったのだろうか。
警告はあったのだろうか。
分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
多くの人はAIを信じたまま死んだ。
胸の奥が少しだけ重くなった。
だが。
考えても戻らない。
今は生き残ることが先だった。
昼過ぎ。
ソフィアは高い建物の屋上へ上がった。
街全体を見渡せる場所だった。
風が強い。
桃色の髪が揺れる。
見えるのは無数の建物。
その先に広がる終わりかけた世界。
煙は上がっていない。
車も走っていない。
人もいない。
静かだった。
あまりにも静かだった。
「……誰もいない」
ぽつりと呟く。
分かっていたはずだった。
人類が敗北したことも。
多くの人が死んだことも。
それでも。
実際にこの景色を見れば現実を突き付けられる。
建物は残っている。
道路も残っている。
なのに人だけがいない。
冷たい風が頬を撫でる。
ソフィアは遠くの空を見つめた。
終わった世界。
けれど。
自分はまだ生きている。
それだけで立ち止まる理由にはならなかった。




