炎の検証
研究施設の地下。
ソフィアは自分の右手を見つめていた。
先程までそこには炎があった。
だが今は何もない。
白く細い指。
見慣れた自分の手。
変わった様子はなかった。
「……夢じゃないよね」
小さく呟く。
返事をする者はいない。
静寂だけが続く。
ソフィアはゆっくりと右手を前へ出した。
そして意識を集中する。
先程の感覚を思い出す。
光が身体へ溶け込んだ瞬間。
右手が熱を帯びた感覚。
胸の奥で何かが動いた感覚。
それらを必死に思い出す。
数秒後。
ボッ――。
小さな炎が現れた。
「……出た」
今度は驚かなかった。
ソフィアは炎を出したまま右手を観察する。
熱くない。
火傷もしない。
少なくとも使用者である自分には害がないらしい。
炎は確かに存在している。
幻覚ではない。
ソフィアは慎重に観察した。
色。
大きさ。
揺れ方。
熱量。
どれも普通の火に見える。
だが普通ではない。
燃料がない。
着火装置もない。
それなのに燃えている。
理解できなかった。
だからこそ調べる必要がある。
ソフィアは近くに落ちていた紙切れを拾った。
そして炎を近付ける。
紙はゆっくりと焦げ始めた。
やがて火が移る。
燃えた。
「熱もある……」
紙を床に落とし、靴で火を消す。
そこでソフィアは眉をひそめた。
危険だった。
もし施設内で火事になれば終わりだ。
この研究施設は今後も拠点として使えるかもしれない。
失うわけにはいかない。
「外で試そう」
そう決める。
懐中電灯を持ち、地下を後にした。
外は曇り空だった。
冷たい風が吹いている。
研究施設はオックスフォード近郊に建てられていたらしい。
周囲には放置された道路。
雑草に覆われた駐車場。
そして手入れされなくなった林が広がっていた。
人の姿はない。
車も動いていない。
聞こえるのは風の音だけ。
ソフィアは林へ向かった。
しばらく歩く。
すると地面に枯れ枝が落ちているのを見つけた。
数本拾う。
さらに倒木の一部も見つけた。
十分だった。
空き地へ移動する。
枝を積み上げる。
そして右手をかざした。
ボッ――。
炎が生まれる。
枯れ枝へ近付ける。
数秒後。
パチッ。
小さな火花が散った。
やがて煙が上がる。
さらに炎が広がる。
火が付いた。
「……本当に火を起こせるんだ」
ソフィアは思わず見入った。
ライターもマッチも使っていない。
それなのに火が燃えている。
人類が何千年も利用してきた火。
それを自分の手から生み出している。
不思議な感覚だった。
だが感動してばかりもいられない。
まずは食料だ。
ソフィアは研究施設で見つけた保存食を取り出した。
小さな缶詰。
念のため日付を確認する。
「……よかった」
運良く賞味期限は切れていなかった。
終末世界ではそれだけで幸運だ。
ソフィアは缶詰を開けた。
中身の肉を金属製の容器へ移す。
それを火の近くへ置いた。
しばらくすると温かな香りが漂い始める。
お肉の香りだった。
久しぶりだ。
温かい食事は。
ソフィアは静かに口へ運ぶ。
「……おいしい」
思わず声が漏れた。
豪華な料理ではない。
ただの保存食だ。
それでも温かい。
それだけで十分だった。
冷たい缶詰をそのまま食べる日々とは違う。
少しだけ。
本当に少しだけ。
人間らしい生活に戻れた気がした。
食事を終える。
火を消す。
そして再び右手を見る。
炎。
あり得ない力。
科学では説明できない力。
だが確かに存在している。
もし炎だけではないとしたら。
もし他にも何かあるとしたら。
ソフィアの胸に好奇心が生まれる。
研究したい。
知りたい。
確かめたい。
AIを調べ続けてきた時と同じ感覚だった。
「もっと調べてみよう」
そう呟く。
研究施設にはまだ調べていない場所が多く残っている。
もしかすると何か分かるかもしれない。
ソフィアは立ち上がった。
知らない力。
知らない真実。
その全てが、あの研究施設の中に眠っている気がした。




