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狂人が治癒スキルを獲得しました。  作者: 葉月水
鬼と竜

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第153話 選択

毒霧の中を抜け、バカみたいに硬い箱の上部を綺麗に抉り飛ばした直後。


 俺は目の前に映った光景に静かに目を見開いた。


 この辺り一体に広がる瘴気を目にした時から、予想自体はしていた。


 目先の利益しか見てこなかったような連中が、果たしてこの期に及んで先を見据えて確かな技術力を持った人材の確保なんて殊勝な事をするのだろうかと。


 だから、発生装置。箱の中に人がいる事についての驚きはあまりない。


 手っ取り早く結果を出す手段としては、人道的かどうかはさて置き、協力者あるいは第三者の能力者を利用するのは至極合理的な判断だといえる。


 1人分の食事さえ与えとけば、それこそ国が出動する程の効力を発揮するんだ。人材を確保して一から化学兵器を開発するよりは遥かに効率がいいだろう。


 理屈は分かる。


 だが、到底理解は出来そうにないな。


 俺の前に力なく座る少女。


 過度なストレスによる影響か、はたまた高等級スキルを獲得した事による影響か、あるいはその両方か…絹に毒を染み込ませたかのような白紫の髪とその無作為に伸び切った髪の隙間から覗く深いアメジストのような瞳。


 酷く痩せ細っているせいで、一見すると幼く見えるが、年代は俺と同じか、それより少し上くらいだろう。いずれにせよ少女には変わらない。


 一体いつからアヴァロンの手の中にあったのか。


 それは当事者のみぞ知る事で、俺には到底計り知る事は出来ない。


 ただどれだけ酷い扱いを受けていたのかは、この場を見るだけでも容易に想像出来る。


 栄養失調で明らかに衰弱した体。瘴気とは別に微かに漂う鈴の世話で嗅ぎ慣れた異臭。きっとまともな食事は愚か、排泄する機会すら碌に与えられなかったのだろう。


 早々に殺さなかったところを見るに、竜王はコイツに利用価値があると踏んで、死ぬギリギリまで衰弱させようとしたのだろうが…これは正直言って生きているのが奇跡の粋だ。


「大したものだな」


 この際、実際にコイツがどれだけの期間閉じ込められていたのかは問題ではない。


 ただ、絶望の淵でも心が死ななかった。それが数日であれ、数週間であれ、五感の殆どを遮断された正しく地獄のような空間で生を繋いでいた。


 それは素直に賞賛に値する。


「お前、俺の言葉が分かるか?」


「………だ…です…!」


 偉くしんどそうに何かを訴えているが、意思疎通は英語で問題なく取れるみたいだ。


 しかし、何を言いたいのか、パクパクと必死に口を動かしてはいるものの、一向にその意図が伝わってこない。


 そして、遂に痺れを切らして俺が一歩近付いた瞬間。


 それは起こった。


「…ダメっ!!!」


 少女の泣き叫ぶような声と同時に勢いよく体から噴出される瘴気の濁流。


 それは瞬く間に俺を包み込む。


「…ない…で…やっと…のに…」


 そして、その少女はそれを見届けるや否や、栓を抜いたように泣き始める。


 いったい体のどこにそんな水分が残っていたのやら。死にかけているってのに忙しい奴だ。


 だが、お陰でコイツの懸念していた事は分かった。


「お前…能力者でありながら、スキルの制御が利かないんだな?」


 コイツの挙動や絶えず尋常ではない量の瘴気を放出している所からしても、これ以外には説明がつかない。


 あの考えなしのテンマですら自暴自棄でマナの枯渇を経験して以降、そのあまりの痛みで俺と出会うまではマナの枯渇を避けていたくらいだ。


 言わずもがなマナの枯渇に伴う苦痛は尋常ではない。


 それは日常的に繰り返している俺とて同じこと。


 だと言うのに、マナの枯渇による激痛を一度でも経験した者が、果たしてその激痛を味わうと知っていながら自らの意思でそれを繰り返す事など出来るだろうか?


 それもまだ年端もいかぬ少女が。


 無理だ。


 少なくとも俺という例外を除けば、この年頃の子供にそれは不可能に近い。


 それが例え地獄のような空間で孤独を紛らわせる、正気を保つ為の唯一の手段だったとしても、それを決心させるのは容易ではないだろう。


「…な…んで!?」


 瘴気に包まれて尚、平気そうに振る舞う俺を見て、少女は驚きで目を丸くする。


「それはなんで分かるの…なんでか?それとも、なんで無事なの…なんでか?」


「…っ」


 もう少しの声を出すのも辛いのか、少女は俺の言葉にゆっくりと頷く。


 これじゃどっちの事を指していたのか分かったもんじゃないが、まぁ状況的に多分後者だろう。


「それは言葉で聞くよりも実際に体感した方が早い」


 そして、俺は何かに酷く怯えた様子で小さくなる少女に構わず近付いてそっと肩に触れ、治癒を施す。


「……体が…楽に…?!」


「まぁ、流石に空腹感まではどうしようもないがな。なんで無事なのか、少なくともその答えにはなっただろう」


「…はい…でもそれなら本当に…私の毒は…あなたに…」


「あぁ、効かない」


 単純な相剋関係だ。


 火が水に敵わないように、コイツの毒は俺の治癒には勝てない。出力に天と地程の差があればその結果も覆るかもしれないが、それも俺が相手となれば不可能に近い。


 コイツが多少マナの器の拡張をしていたからと言っても、俺とは年季が違う。


 紛れもなく俺はコイツの天敵だ。


 しかし、そんな事実を告げられたというのに、少女は心底安堵したような笑みを浮かべて見せる。


「…良かったです…良かった…本当に…」


 恐らくトラウマの類だろう。


 本来、能力者の意思を反映する筈のスキルが、自分の意に反して発動してしまう。加えて、それは辺り一帯を瞬く間に荒野に変えてしまう程強力な毒性を持っている。


 となれば、それらが引き起こしかねない事態は幾らか予想出来るというもの。


 最初は突如として登場した得体の知れない俺に対して怯えているのかと思ったが、コイツの一連の言動を見るにそうではない。


 むしろその逆。


 満身創痍ながらに俺が近付く事に対して敏感に反応したコイツの一連の立ち振る舞いは、まるで俺が怯えることに怯えているようにさえ見えた。


 それこそ、過去に自身のスキルによって傷付けてしまった誰かと俺を照らし合わせているかのように。


 そこにどんな事情や背景があったのかは俺には知る由もない。


 だが、コイツが酷く不憫な人生を歩んできたのは間違いないだろう。


 スキルとは言うなれば嗜好品だ。


 あるには越した事はないが、本来であれば必要のないもの。


 俺や銀次のように望む者が手にすれば恩恵の方が大きいが、かつてのテンマのように望まない者が手にすればそれは途端に弊害に様変わりしてしまう。


 場合によっては毒にも薬にもなる正に嗜好品。


 コイツの場合は典型的な後者。


 スキルを獲得した、してしまった経緯が何であれ、能力者にさえならなければ、こんな境遇に陥ることも、ましてやこの異常事態の元凶として仕立てられることもなかった。


 現状がコイツにとっても不本意であった事は、コイツの置かれた状況からも火を見るよりも明らか。


 しかし、その言い分が果たして政府の上層部にも通用するだろうか。


 いや、十中八九しないだろう。


 仮に事情を汲んだ浅霧が異を唱えたとしても、厳重な監視対象に区分されるのが精々。


 それがまだ年端もいかぬ少女とて、少なからず他国で犠牲者を出した可能性がある以上は、国としても無罪放免とはいかない。


 おまけにスキルの制御まで利かないとなれば、その境遇が更に厳しいものになるのは、想像に難くない。


「…私は…これからどうなってしまうのでしょうか…」


 賢い奴だ。


 年齢を考えればまだ取り乱していてもおかしくないだろうに、自分の置かれた状況をよく理解している。


「身柄の拘束…いえ、やはりこの場で殺されてしまうのでしょうか」


「ないとは言えないな」


 この場の責任者である浅霧がそこまで無慈悲な奴だとは思わないが、それ以外の奴等は分からない。立場上、浅霧も上層部の意見を完全に無視する訳にもいかないだろうし、コイツの能力も能力だ。


 その危険度とそれを保護する事によって予測される世間の反応次第では、即殺処分という未来も十分にあり得る。


「…そうですか」


「まぁ、それは俺がこのままお前を政府の奴等に引き渡した場合の話だがな」


「え?」


 俺の言葉に予想通りとばかりに力無く頷いたのも束の間、続いた言葉で一瞬で顔を上げる少女。


「それはどういう…というより、あなたは政府の関係者ではなかったのですか?」


「あぁ、むしろ普段は敵対している。今は利害の一致で一時的に手を組んでいるだけだ」


「…利害の一致」


 自分が何処にいるのかさえ分からない今、コイツに俺の正体や何やを詳細に言った所で全ては伝わらないだろう。ならば、今は大まかに状況を伝える程度でいい。


 幸い、地頭は悪くないようだしな。少しの情報から推測して、自分なりに状況を把握するだろう。


「要は、共通の敵…アヴァロンの羽虫共を消すまでの一時的な同盟だ」


「アヴァロンを…消す?!」


 どうやら閉鎖的な空間にいても自分を利用した組織のことは正しく認識しているらしい。


 竜王の名前が即座に出ないところを見るにあまり詳しい事情は知らないみたいだが、目から敵意がダダ漏れだ。


 コイツの置かれていた境遇を思えばそれも仕方ないが、何にせよ状況把握が進んだようで何より。


 しかし、真の問題はここからだ。


「だが、お前にとっては不本意だろうが、現状お前はその一派だと見做されている。それは何故か…なんてのはわざわざ言わなくても分かるな?」


 今も尚、コイツの体から少しづつ漏れる瘴気と俺の治癒のマナによって、視界は明瞭とは言い難いものの、それでも周囲の荒れ具合程度は容易く確認できる。


 きっと今頃はその惨状を目の当たりにし、少なくない罪悪感に襲われていることだろう。


 望んでやった事ではないとはいえ、罪を犯した事には違いない。例えここで人死にが出ていなかったとしても、これまではどうか分からない。


「…はい」


 故に、そう項垂れながらも潔く頷く様は、どこか覚悟を決めた罪人のようだった。


 果たしてコイツは罪人なのか。


 その真偽は俺にも判断はつかないし、さして興味もない。


 だが、疑わしきは罰せず…とは言うが、コイツの能力の特性と現状を鑑みれば、決して無罪ではないのは誰の目にも明らかだろう。


 その相手が身内であれ、何であれ、小さくないトラウマを抱えている事からしても、コイツが過去に他者を傷つけているのは確かだ。


 ただ、少なくとも今。


 この場において、俺の前で力なく座るコイツはアヴァロンの手によって甚大な被害を被った被害者の1人にしか見えない。


 アヴァロン、奴等が目論む全ての意に反せ。


 それは他でもなく俺が言った言葉だ。


 ならば、やはりここで俺が取る行動は何も変わらない。


 奴等がコイツを利用しようとするのなら、奴等がコイツの自由を少しでも妨げようとするのなら、俺はそれをどこまでも阻もう。


 自由を本懐とする鬼灯の首領として、例えそれが原因で政府と本格的に事を構える事になったとしても。


 しかし、こればかりは俺の決定だけでは完結しない。


 故に、俺はその全ての最終決定をその当事者に委ねる。


「お前の置かれていた境遇を考慮すれば、十分情状酌量の余地はある。だが、それでも厳重な監視下に置かれる事はまず避けられないだろう。それがお前にとって都合が良い事なのか、悪い事なのかは俺には分からないが……何にしても、このまま政府へと投降した場合、きっとこの先のお前の人生はお前が望んでいたものとは大きく乖離したものになる」


「…はい」


「だから選べ」


「え?」


 もはや投降以外の選択肢なんて無いと思っていた所に唐突に俺から提示されたもう一つの選択肢に、少女は分かり易く間の抜けた声を出す。


「このまま大人しく投降するか、逃げるか…俺はどちらでも良い。好きな方を選べ」


「でも、私は…理由はどうあれ沢山の人を傷つけたかもしれなくて…」


「そんなの俺の知った事かよ。元より俺は正義の味方でも何でもない」


 今だって結果的に大衆の都合の良いようになっているだけで、その本質はどこまでも自らのやりたい事を貫くただの快楽主義者だ。


「この際、お前がどんな感情を抱いてようと関係ない。俺の目にお前がアヴァロンの被害者に映っている以上、俺はお前の意を最大限汲んでやる。だから、選べ。選択のチャンスはこの場に俺とお前しかいない、今しかない」


「どうして…どうして会ったばかりの私の為に…そこまでしてくれるんですか?まさかあなたも私の力を…」


「あんな奴等と一緒にすんな。俺がそんなつまんないことするかよ」


 毒という能力に多少興味をそそられるのは間違いないが、その気のない奴の能力を無理矢理利用しなければならないほど俺は切羽詰まっていない。


 まぁ、その相手が殺人ピエロのようなクズや俺の天敵のような能力者だったなら、遠慮なくオモチャにさせてもらっていただろうが…生憎と今回はそのどちらとも違うしな。


「それに別に何もお前の為にという訳ではない。全ては俺の為、これはただの嫌がらせの一環だ」


「…嫌がらせ?」


「あぁ、アヴァロンの奴等に対する俺なりのな」


 この選択がアヴァロンにとって都合が良いか、悪いかなんてのは微塵も考えていない。


 ただ、俺は体よく使い潰す気だった奴を無力化されたと知った時の竜王の面を拝みたいだけだ。


「でも、逃げるって具体的にどうすれば…」


「そういった細かい事は俺に一任しろ。お前の姿が露見していない以上、やりようは幾らでもある。お前はただ自分の望む未来を選べ。そうしたらその選択がどんなものであれ、俺はそれを尊重してやる」


「……ひとつだけ聞いても良いですか?」


「なんだ」


「もしも…もしも私があなたの手を取ったら、私は…もう一度自由に生きる事が出来ますか?」


 それは望む答えが返ってくる事を祈るようなか細い声。


 しかし、その瞳の輝きは隠せていない。


「さぁな。それはお前次第だろう。ただ、少なくとも俺からお前に何かを強制する事はない」


「………」


 俺の言葉に少女は葛藤を見せる。


 罪悪感か猜疑心か…コイツの心の内を占めているものが何かは俺には分からない。


 ただ、これまでのコイツの境遇を思えば、純粋な善意からの提案であっても受け入れるのはそう簡単ではないだろう。


 とは言っても、このまま悠長に待ってやる訳にもいかないしな。仕方ない。少しだけ口を挟んでやるとするか。


「この世には自由を与えられているのにも関わらず、不自由に生きる奴はごまんといる。それが何故か分かるか?」


「…こわいから…ですか?」


「そうだ。その理由は人それぞれ様々だが、自由に生きるという選択をするのには、存外に勇気が必要らしい」


 人は変化を嫌うとよく言うが正確には違う。先が読めない変化を嫌うんだ。


 故に人は心の安寧を求めて次第に挑戦する事を避けるようになる。


「尤も、俺はそんな恐怖を生まれてこの方感じた事はないがな」


「…あなたは…こわくないんですか?」


「あぁ、怖くない」


「どうして…」


「簡単だ。その先にどんな未来が待っていようと、俺ならどうとでもなると確信してるからだ。俺はこの世の誰よりも俺を信じている」


「!!」


 その言葉に少女は大きく目を見開く。


 そして、またしても項垂れ…


「…すごいですね。でも…それは私にはとても出来そうにありません。私は私を…信じる事が出来ません…私は肝心な時に何も出来ない…今だって…自分の事さえ碌に決められない…どうしようもない臆病者です…」


 嗚咽混じりに大粒の涙を流す。


 治癒したとはいえ本調子ではないだろうに、瘴気も涙もよく垂れ流すやつだ。


 全く、後始末するこっちの気も知らないで。


 とはいえ…


「自分を客観視できるのは悪くない資質だ。だが、それも正当な評価でなくては意味がない。過大でも、過小でもだめだ」


「…いえ…私は本当に…」


「いや、お前は自分が思っているほど臆病者じゃない」


 心身相関。


 コイツがこんなクソみたいな環境で生きていたのは、確かに少なからず所持しているスキルの特性による恩恵もあったのだろう。


 だが、心が体に及ぼす影響は存外大きい。事実、発見時のコイツの肉体はほぼほぼ死んでいた。


 きっとコイツの努力が、辛抱が、あとほんの少しでも不足していれば、コイツは俺が辿り着くよりもずっと前に息絶えていた。


「真の臆病者は抗うことすらしない。ただ、その場の流れに身を委ねるだけだ」


 それが悪いとは言わない。場合によっては、いや大体の場面では、その選択によって難を凌げるだろう。


 今回のような敵方に身柄を拘束されている状況であったなら尚更、むしろそういった状況で抵抗する方がリスクは極めて高いといえる。


 ただ、今回は。


 こと今回においてだけはコイツの抵抗は、勇気は功を奏した。


「強制しないと言った手前、俺はお前がどんな選択をしようとどうでも良い。だが、まずは過酷な環境を生き抜いた自分を誇れ。それは決して誰にでもできることじゃない、ましてやどうしようもない臆病者なんかには特にな」


 この言葉がコイツの決定の後押しになったのか、ならなかったのか、反応からは窺い知る事は出来ない。


 だが、これ以上は過干渉。


 何れにせよここからはコイツが決める事だ。


「後悔しないように呉々も慎重に選べ。ただ、生憎と俺もいつまでもお喋りをしていられるほど暇じゃないんでな」


 良くも悪くも瘴気を中和してしまった影響で、これ以上長居すれば浅霧達が様子を見にくるかもしれない。


 それは選択肢を奪われるコイツにとっても、余計な面倒が増える俺にとっても望ましい展開とはいえない。


「だから、急かして悪いが今すぐに結論を出せ。枷を外されたお前は今、何を望む」


 投降という名の不自由を選び、罪悪感からの解放を望むか。


 逃亡という名の自由を選び、罪悪感を抱えながらも窮屈なしがらみや一切の拘束からの解放を望むか。


「……ではありません」


「なに?」


「お前ではありません」


 その語気はこれまでとは明確に違っていた。


 強く、逞しく…そこにほんの数分前まで自らを卑下し、見るからに悲壮感が漂っていた少女の姿はない。


「ルーナです。ルーナ・ホワイトベル。それが…一人誰もいない闇の中で誰よりも切実に自由を望んだ私の名前です!」


「ふっ、ルーナか。自分を卑下していた割には悪くない名前だな。それで…今もこうして自由を望んだということは、恐怖の方は克服出来たのか?」


「いえ、まだこわいです。この選択が裏目に出たらと思うと…こわくてこわくて…仕方ないです。ですが、それでももう何かに縛られて生きるのは嫌なんです。それが例え、自分の罪から逃げる事だったとしても…」


 罪とは、恐らく自分がこれまでに傷つけてしまったかもしれない人間のことを指しているのだろう。


 全く律儀な奴だ。自ら望んでやった事でも、進んでやった事でもないってのに。


 だが、それでいい。


 恐怖の中で踏み出す一歩こそ勇気の真髄だ。


 本当に罪から逃げるのだとしても、償うのだとしても、ある程度の自由を保証されなければ、そのどちらも実現する事は叶わない。


「…なので、どうかお願いします。私に、この選択が間違っていなかったと思わせてください」


 そう、ゆっくりと俺に向かって伸ばされた異様に細く白い手は、まるで蜘蛛の糸に縋る罪人の手のようにも見えた。


 ただ、その手に確かに宿る怯えながらにも希望を手繰り寄せようとする懸命さは、決して罪人のそれではない。

 

 正に希望エルピス、蜘蛛の糸そのものだった。


 だからだろう。


「図々しい事この上ないな」


 俺はそこまでしてやる義理はないと理解しつつも、無意識にそれを掴んでしまう。


「だが、良いだろう。その気概に免じて、煽った分の責任くらいは取ってやる。手始めに、お前をこんな目に合わせた竜王の奴をぶっ飛ばしてな」



良いお年を!

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