第152話 光
あれから一体どれだけの時間が経ったのだろう。
終わりが見えない、無限に続く静寂と暗闇。
それは場所を移されても尚、何も変わらなかった。
恐らく意識を失っている間に移されたのだろう。
そこは当然のように窓もなければ、扉もない。確かに分かるのは、ここは前に居た場所よりも狭く、変わらず少しの光も通さないという事だけ。
「…見えな…いな…」
満足に手足を伸ばせない程の空間しかないその場所で、壁にもたれかかりながら何とか外の様子を探ろうとするが、やはり特殊な構造をしているのか、小さな穴はあれど外の様子を窺い見る事は叶わない。
いや、きっと特殊な構造をしていなかったとしても、外の景色を見る事は出来なかっただろう。どうせ辺りに漂う瘴気が視界を遮っていた。
「これさえ…なければ…」
そう思って、自分から絶えず溢れ出す瘴気を抑えようとするが、やはり止める事は出来なかった。
これを止めなければ関係ない人を傷つけてしまう。
それは分かっているのに感情がごちゃごちゃになっている影響か、もはや自分の能力でさえ思い通りにならない。
こわい。
静寂が。
暗闇が。
孤独が。
人を傷つけるのが。
それでも段々と他を顧みなくなってきてしまっている自分が。
生きているのがこわくて仕方がない。
「……ふふ」
でも、こうして怯えるのも今日で終わる。
1ヶ月か、2ヶ月か、半年か、1年か…閉じ込められて、どれだけの時間が経ったのかは分からない。けれど、長らく耐えてきた影響で命の灯火が残り少ないのをはっきりと感じる。
自分はきっとそう遠くない内に死ぬ。
これまでとは違った明確な死の予感。
そこには不思議と恐怖はなく、むしろ満足感のようなものがあった。
「…もうたくさん………頑張ったよね?…」
制御の利かないスキルの急激なマナの消耗による脱力感と一人劣悪な環境に長くいた事によってとうとう迎えた精神と体力の限界。
「………」
そして、必死に生きてきた少女は遂に狭い空間の壁に背を預けて、静かにその時を待ち始める。
15年にも満たない長くない人生。
最後こそ最悪だったけれど、思い返せば悪くないものだった。やりたい事は何でもやらせてくれる優しい両親に、それに輪を掛けて甘い祖父母や親戚。
こんな場所にいたせいで、酷く昔の事のように感じてしまうけれど、それらの記憶の殆どは幸せな思い出で満たされている。
「…ごめんなさい……大好きだよ」
決して悔いが無いわけではない。
もっと自由に生きられるなら生きたいに決まっている。けど、それを望むだけの勇気と体力がもう残っていない。
もう生きる為に泣き叫んでも足りない程の苦痛に耐えるのにも、来るかも分からない助けを期待するのにも、自由を夢見るのにも全部。
全部疲れてしまった。
だから何も望まない。
でも。
それでも最後に一つ。
望みが叶うのだとしたら、もう一度だけ空を見たかった。
この期に及んで星が見える夜空がいいなんて贅沢は言わない。青空でも運さえ良ければ月だって見えるし、空さえ見えれば自由になれた気がするから。
それだけでいいの。
本当にそれだけで。
それ以上は望まない。
だからお願い。
邪魔をしないで。
このまま無駄な希望も絶望も抱かずに静かにお父さんとお母さんと同じ場所へ逝かせて。
——サッ
——サッ
…
しかし、そんな少女の願いを踏み躙るかのようにその気配は近付いてくる。
少女自身も何故気配を感知出来ているのか分からない。外へと漏れ出た自らのスキルによるものなのか、長らく人との接触が無かったが故に気配に敏感になっていからなのか。
ただ確かに感じる。
辺りに漂っているはずの瘴気の中を、まるで何の障害も感じていないかのような軽い足取りで近付いてくる気配を。
こわい。
きっとそんな奇跡は起こらない。ついさっきまでは確かにそう思っていたはずなのに。
自分の心が踏み躙られてしまうのが。
期待することをやめてしまった筈の自分の心が、その気配が近付いてくるにつれて何故だか高鳴ってきてしまうのが。
こわくて仕方がない。
しかし、そんな自分の心に反して、神経は自然とその気配へと集中させてしまう。
自分がどこで何をしているのか、してしまっているのかさえ知らない。だから、この気配が敵か味方かなんて事は当然分からない。
でも、不思議と心が和らぐ。
その気配を感じていると、まるで両親の腕の中に包まれているような、久しく感じていなかった温もりで満たされているような気がしてくる。
「…だ……れ……」
厚い壁を隔てた向こう側。
そこでピタリと止まった気配になんとか呼びかけるが、厚い壁に遮られて届いていないのか、それに対する応答はない。
「…ぁぁ」
そして、暫く応答のない気配に全ては今際の際に見た幻だったのでは思い、とっくに枯れた筈の眼から少女は静かに涙を流した。
しかし、その時だった。
「はてさて、鬼と出るか蛇と出るか…そろそろご対面と行こうか」
壁の向こう側から声が響いた。
どこの言葉なのかは分からない。
ただ、その声は子供のような僅かに幼さの残る声色で、酷く楽しげで、柔らかくて、澄んでいて…とにかく、この状況にはとても見合わない希望に満ちたものだった。
ついさっきまで全てを諦めた筈だったのに、期待する事にも疲れてしまっていたはずなのに。
その声は消えかけていたはずの命の灯火を、希望を瞬く間に再燃させてしまう。
そして、その僅か数秒後。
——ドガァァァァァンッ
凄まじい振動と衝撃音と共に、あれだけ堅牢に思えた少女の狭く暗く静かな世界はあっけなく崩壊した。
「………ッッ」
そして、不意に少女を優しく照らす光。
それは最後にもう一度だけと願っていた、青空で輝く太陽の光でも、夜空で輝く星々の光でもなく。
まるでどんな時も控えめに空を飾る月のように、柔らかな翡翠色の光を纏う少年だった。




