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名前のない旅人 ―白い天使の思い出話―  作者: 勝利の俺
天空都市ファルネリア編
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3-3「風渡りの祭」

風渡りの祭の朝、都市は光でいっぱいだった。


 浮島をつなぐ橋には色とりどりの旗が揺れ、屋台からは甘い香りが漂う。風の精霊たちは空中で輪になって舞い、水の精霊は噴水を虹色に染めている。

 ボルグの工房の前では、火の精霊たちが小さな花火を打ち上げていた。


「おい妖精! 一本どうだ!」


 老鍛冶屋が、串に刺した焼き菓子を差し出してくる。私の体の半分ほどもある。


「……ありがたく、いただきます」


 抱きかかえるようにして、かじった。おいしい。ただ、口の周りが大変なことになった。

   *

 試験の会場は、中央広場の上空に設けられていた。

 審査をするのは、現役の風詠み、オルテ。灰色の髪の、痩せた女性だった。目の下に深い隈がある。


「始めなさい」


 フィルは、震える足で台の上に立った。

 私は彼女の肩にそっと座って、耳元で囁いた。


「大丈夫です。今朝の練習を思い出して。左下から、ですよ」


「……うん」


 フィルが目を閉じる。

 広場の旗が、ふわりとなびいた。風が、少女の指先に集まっていく。観客がどよめく。小さな渦が巻いて、空に一本の白い筋が伸びた。


「見事……」


 オルテがそう呟きかけたときだった。

 足元が、ぐらりと揺れた。

   *

 最初は地震かと思った。

 けれど、揺れは横ではなく、斜めだった。広場全体が、ゆっくりと傾いていく。

 屋台が滑り出した。旗竿が倒れ、悲鳴があがる。精霊たちは逃げ惑うが、風が乱れて、うまく飛べない者もいる。


「落ち着きなさい! 風を整えて――」


 オルテが叫んだが、声はかすれていた。両手を広げた彼女の顔が、みるみる土気色になる。

 ひとりで、この島を支えている。私は気づいた。彼女は長いあいだ、ひとりで。


「オルテ様が……!」


 フィルが駆け寄ろうとして、足を取られた。

 私は羽を震わせて飛び上がり、周囲の空気の流れに目を凝らした。羽がいつのまにか、淡く光っていた。

 乱れている。けれど、それは無秩序ではない。島の中心の下に、巨大な渦がある。そこから、風が吸い出されている。


「フィル!」


 私は少女の目の前に回り込んだ。


「あの渦の外側を、風で包んで。押さえ込むのではなく、ゆっくりと」


「そんなの、私ひとりじゃ……!」


「ひとりではありません」


 私は人混みの向こうを指した。


「ボルグ! 炎で、渦の下の空気を温めてください。上昇気流が、風を支えます!」


「お、おう!」


「ミナ! 水の霧で、島の縁を湿らせて。重みの偏りを均します」


「……承知しました」


 誰も疑わなかった。

 小さな妖精の言葉に、彼らは、反射のように動いた。

   *

 ボルグの炎が、地面の割れ目から噴き上がる。

 ミナの霧が、島の縁を白く覆う。

 フィルの風が、そのすべてを、そっと包んだ。

 足元の傾きが、少しずつ、少しずつ戻っていく。

 私は小さな手を握りしめた。私にできるのは、道筋を示すことだけだ。実際に島を支えているのは、この人たち自身だった。


 やがて広場は静かになった。

 傾きは止まった。屋台は倒れ、花火の残り火が地面でくすぶっている。それでも、誰も落ちなかった。

   *

 夕暮れ、見張り台の目盛りには、新しい印がひとつ、さらに下についていた。

 傾きは止まったが、島は一段、沈んでいた。誰も何も言わなかった。


「……ポメリィ」


 フィルが隣に座って、小さな声で言った。


「ありがとう。でも、あなた、ただの妖精さんじゃ、ないよね」


 私は、返す言葉を探した。

 そのとき、背後から静かな足音が近づいてきた。

 白い装束の侍従が、深く一礼した。


「失礼いたします。女王陛下が、お呼びです」


 フィルが、息を呑んだ。


「風詠みの試験は、中止となりました。代わりに、陛下はこう仰せです」


 侍従の目が、ゆっくりと私に向いた。


「――光る羽を持つ方を、お連れせよ、と」

「先輩、女王様って、先輩の正体に気づいてたんですか?」


「さあ、どうだろうね。ただ、結界を抜けたとき、膜がちょっと揺れたのは感じたよ」


「え! あれ、揺れてたんですか!」


「うん。ほんの少しね。気づく人は、気づくんだよ」

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