第13話 〜(美咲視点)〜
夕暮れの校庭。
グラウンドの端にある古い階段へ、オレンジ色の光が降り注いでいた。
私と陽人くんは並んで座っている。
でも。
いつもみたいな距離じゃなかった。
肩が触れそうな距離なのに。
とても遠い。
陽人くんはずっと黙っていた。
私はそんな横顔を見つめる。
胸がざわつく。
嫌な予感がしていた。
ずっと。
ここ数日。
だから先に聞かなかった。
聞いてしまったら終わりそうだったから。
でも。
今日の陽人くんは。
あまりにも苦しそうだった。
「……美咲。」
名前を呼ばれた瞬間
心臓が沈んだ。
ああ。
来るんだ。
来ちゃうんだ。
聞きたくない言葉が。
「ごめん。」
空中に放たれたその一言で。
全部分かってしまった。
胸がぎゅっと潰れる。
痛い。
息が苦しい。
それでも私は笑おうとした。
「なにそれ。」
声が震える。
「謝るの禁止。」
笑おうとしたのに、全然笑えなかった。
陽人くんは俯く。
拳を握りしめている。
そんな顔。
見たくない。
私、そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに。
「俺……。」
陽人くんは言葉を探していた。
「こんな気持ちのままじゃ、美咲を傷つける。」
私は黙る。
聞きたくない。
でも聞かなきゃいけない。
「美咲は本気で俺を好きになってくれた。」
陽人くんが言う。
「本当に嬉しかった。」
涙が滲む。
やめて。
そんなこと言わないで。
期待しちゃうから。
「俺も美咲のこと、好きだった。」
その言葉に胸が跳ねる。
まだ。
まだ大丈夫なんじゃないかって。
思ってしまう。
でも。
次の言葉が来ない。
来ないから分かる。
その先にある名前が。
「……蒼くん?」
陽人くんの肩が揺れた。
それだけで十分だった。
胸の奥で何かが崩れ落ちる。
ああ。
…ああ!
やっぱり。
そうなんだ。
「…そっか。」
笑う。
笑えてない。
たぶん変な顔だ。
でも泣きたくなくて。
必死だった。
「やっぱり蒼くんなんだ。」
陽人くんは何も言わない。
否定もしない。
その沈黙が一番残酷だった。
涙が落ちる。
ぽたり。
膝の上に染みを作る。
「私さ…」
声が掠れる。
「いっぱい頑張ったんだよ?」
陽人くんが顔を上げる。
「好きって言ったし。」
涙が落ちる。
「抱きついたし…」
また落ちる。
「デートもしたし。」
止まらない。
「私、本気だったんだよ?」
陽人くんの表情が歪む。
その顔を見た瞬間、胸が痛くなった。
違う。
こんな顔をさせたいわけじゃない。
責めたいわけじゃない。
困らせたいわけじゃない。
でも。
止まらない。
「ねぇ。」
美咲は震える声で言った。
「私たち、一回もキスしなかったね。」
陽人の顔が固まる。
その反応だけで。
全部分かってしまう。
「私ね。」
笑おうとする。
失敗する。
「ずっと待ってたんだ。」
視界が滲む。
「今日かなって。」
涙が落ちる。
「今度のデートかなって。」
苦しい。
胸が苦しい。
「でもしてくれなかった…」
陽人くんが俯いた。
何も言えない。
言い訳もできない。
私は首を振る。
責めたいわけじゃない。
ただ。
分かってしまったんだ。
「最初はね。」
鼻をすすりながら続ける。
「大事にしてくれてるのかなって思ってた。」
涙が止まらない。
「誠実だからかなって。」
そして。
小さく笑う。
「違ったんだね…」
陽人くんが苦しそうに目を閉じる。
私は知りたかった。
最後に、本当のことを。
「ねぇ……私のこと、好きだった?」
陽人くんはすぐに答えた。
「好きだった!」
即答だった。
それが逆に苦しかった。
「今も好きだ…。」
胸が痛い。
だったら!
だったらなんで!!
「じゃあ…なんで……。」
声が震える。
「なんで蒼くんなの……。」
陽人くんはしばらく黙った。
「私たち、好き同士なのに。
今だって好き同士なのに…
別れる必要なんて、
これっぽっちもないじゃない!」
長い沈黙。
やがて、小さく言う。
「蒼が苦しそうだと……苦しいんだ。」
美咲は息を呑む。
「蒼が離れていくと思うと怖かった。」
陽人くんは遠くを見る。
「蒼に見ていてほしかった。」
胸が締め付けられる。
「気付いたら…」
陽人くんの声が震えた。
「ずっと蒼のことを考えてた…」
その瞬間。
全部終わった。
ああ。
そうなんだ。
私は愛されていた。
本当に。
ちゃんと。
好きになってもらえていた。
でも。
届かなかった。
私がどれだけ手を伸ばしても。
その先にある場所には。
最初から蒼くんがいた。
私は泣いた。
声を上げて。
みっともなく。
子供みたいに。
「やだよぉ……。」
涙が止まらない。
「別れたくないよ……。」
嗚咽が漏れる。
「好きなんだもん……。」
肩が震える。
「私だって、ずっと好きだったもん……。」
悲しい。
「やっと付き合えたのに……。」
苦しい。
苦しい。
苦しい。
それでも。
分かっている。
もう勝てない。
蒼くんに、じゃない。
二人が積み重ねてきた時間に。
二人だけが持っている絆に。
勝てない。
私は泣きながら顔を覆った。
そしてようやく認める。
私は愛されていた。
でも。
一番にはなれなかった。
その事実が。
何よりも苦しかった。
わーんわーんと、
泣き声だけが、夕暮れの校庭に響いていた。
美咲は顔を覆ったまま肩を震わせる。
嗚咽が止まらない。
涙も止まらない。
悔しい。
苦しい。
情けない。
こんなに好きだったのに。
こんなに頑張ったのに。
結局、届かなかった。
どれくらいそうしていただろう。
やがて美咲は大きく息を吸った。
何度も。
何度も。
震える呼吸を整える。
そして自分の膝に手をついた。
「……よいしょ。」
立ち上がる。
足はまだ震えていた。
泣きすぎて頭も痛い。
でも立つ。
これ以上ここで泣いていたら、本当に終われなくなるから。
陽人も立ち上がろうとした。
「美咲…」
「だめ。」
美咲は即座に遮った。
声が掠れている。
泣きすぎて酷い声だった。
「今、優しくしないで。」
陽人の動きが止まる。
美咲は笑った。
笑顔なんて作れていない。
ぐしゃぐしゃだった。
それでも笑った。
「私さ…」
ひっく、と喉が鳴る。
涙はまだ止まらない。
「結構頑張ったんだけどなぁ。」
陽人は何も言えない。
「かわいかったと思うんだけどなぁ。」
またひっく、と肩が揺れる。
涙は止まらない。
「…かなり頑張ったんだけどなぁ。」
陽人は何も言えない。
「……すっごく、かわいかったと思うんだよなぁ…」
またひっく、と肩が揺れる。
「お弁当だって覚えたし。」
鼻をすすった。
「サッカーのルールだって勉強したし。」
涙がこぼれる。
「陽人くんの好きなもの、いっぱい覚えたし。」
声が震える。
「本気だったんだけどなぁ……。」
最後は笑えなかった。
ぽろぽろと涙が零れる。
陽人は唇を噛んでいた。
そんな顔を見たら。
美咲は余計に泣きたくなる。
だから無理やり続けた。
「でもさ!」
夕陽が滲む。
「私、負けちゃった。」
小さく笑う。
「蒼くんに、じゃないよ。」
首を振る。
「陽人くんの中にいる蒼くんに!」
陽人が目を見開く。
美咲は知っている。
それが一番痛い言葉だと。
でも事実だった。
「ずるいよね。」
涙が落ちる。
「私が入る前から、そこにいたんだもん。」
陽人は何も言えない。
言えるわけがない。
美咲は一歩下がる。
距離を作る。
そうしないと。
終われない。
「…だから。」
ひっく。
肩が震える。
「私たち……、別れよう。」
陽人が苦しそうに顔を歪めた。
その表情を見た瞬間。
胸が締め付けられる。
ああ。
やっぱり好きだ。
本当に好きだ。
今でも。
どうしようもなく。
「……美咲。」
陽人が一歩近付く。
反射的に。
抱きしめようとしたのかもしれない。
その手が少しだけ上がる。
美咲は気付いてしまった。
そして泣きながら笑った。
「だめ。」
陽人の手が止まる。
「それはだめ。」
ひっく。
ひっく。
肩が震える。
「…陽人くん。」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま。
美咲は笑った。
「その優しさは卑怯です。」
陽人がはっと、息を呑む。
美咲…。
なんて清らかで、悲しくて…そんなに美しい顔で、笑うんだよ……。
陽人の胸が締め付けられる。
思わず駆け寄って、力いっぱい、抱きしめたくなる…。
「今それされたら。」
声が震える。
「私、期待しちゃうじゃん。」
涙が止まらない。
「まだ好きでいていいんだって。」
ひっく。
「まだ頑張っていいんだって。」
ひっく。
「思っちゃうじゃん……。」
陽人は動けなかった。
美咲は泣きながら首を振る。
「だからやめて。」
最後のお願いだった。
「ちゃんと振って。」
陽人の目も赤くなっていた。
それを見て。
美咲は少しだけ安心する。
ああ。
私の恋は無駄じゃなかったんだ。
少しは。
少しだけは。
この人の心に残れたんだ。
「じゃあね。」
美咲は涙を拭く。
全然拭ききれない。
それでも前を向く。
「陽人」
最後に呼ぶ。
大好きだった名前を。
「大好きでした。」
そして今度こそ。
振り返らずに歩き出した。
背中越しに夕陽が差している。
肩はまだひっくひっくと震えていた。
それでも美咲は歩く。
この恋を終わらせるために。
自分の足で。
歩く。




