第58話 オルデン商会タイフ
第58話です。
東門の風は乾いている。
だが、その石造りの建物だけは、重く、深く、息を潜めていた。
人は金を求めて扉を叩き、運命は静かに中へ入っていく。
これは、ただの買い取り話――のはずだった。
目の前には灰白色の切石造り。
重厚。厚い壁。
幅広の二枚扉。
黒鉄の補強帯が打ち込まれている。
巨大な半円アーチ。中央に紋章。
交差した槍と書物。その背後に羅針盤。
行き交う人々の足音、荷車の軋み、商人の呼び声。
子供の笑い声、どこかの店から漏れるスパイスの香り。
「……ここが探訪者協会だな……」
石造りの正面階段を見上げた。
一段一段が低く、しかし幅広く設計されている。
幾人もの探訪者が出入りしている。
話し声、革靴の足音、金属製のバックルの軽い響き。
扉が開くたびに、中から別の空気が漏れてくる。
汗と鉄と、かすかな血の匂い。それと――酒の香り。
「先ずは金を作らないとな」
建物にはいかにも冒険者な人々がひっきりなしに出入りしている。
背中に幅広の大剣を背負う者。
戦斧を腰に下げている者。
様々だ。
それらを振るう腕が露わになっている
筋骨隆々。日焼けした肌には無数の傷跡。
目つきも鋭い。
獲物を狙う猛禽類のように、わずかな動きも逃さない。
視線を向けると、何人かは無意識に手を武器の柄へと持っていく。習慣だ。それだけの危険と隣り合わせで生きている証拠。
(……話しかけ辛い……)
そのとき、扉が内側から開いた。
風が一筋、外へと抜けた。
それと同時に、中から酒と革と鉄の匂いが一層強く流れ出る。
女性が出てくる。
歳は若い。ブロンドの長髪。整った顔。
金属製のプレートアーマー。
背中には細身の剣を背負っている。
歩く姿は優雅だが、無駄がない。剣の柄はすり減っている。
決して飾りではないと語っていた。
風が髪を揺らした。
黄金の糸が陽光を受けてきらめき、わずかに瞳を覆う。
「そこの人、ちょっといいか」
「……何」
愛想のない返事。
瞳だけが、こちらを測る。
「ここって動物は入れるのか?」
振り返り、ガウルを見た。
「……キャリア……ハウンド……?!」
女性は固まっている。
口がわずかに開き、そのまま動かない。
「ああ、ガウルって言うんだ。俺の相棒だ。かわいいだろ?」
ガウルは尻尾を軽く振った。
「……入れるけど大きすぎるわ……それに……白銀の毛並なんて初めて見たわ……」
彼女の手が無意識に伸びる。
しかし途中で止まる。
「やっぱりダメそうか。ガウルちょっとここで待っててくれ。大人しくしてんだぞ」
しゃがみ込み、ガウルの大きな頭を両手で包むように撫でた。ガウルはゆっくりと鼻先を近づけ、指先に触れる。柔らかな、温かな息。
「私が見といてあげるわ。用事を済ませてきなさい」
声は先ほどよりも少しだけ柔らかくなっていた。視線はガウルから離れない。
「いいのか?助かる。俺はタクミだ。あんたは?」
「私はルナよ。ルナ・フォン・ラシェンテ」
(ミドルネーム?貴族?まぁいい。見といてもらうか)
「素材の買い取りはどこですればいい?」
「左端の受付でやってくれるわ。今の時間だとすぐ対応してくれるはずよ」
「わかった。すぐ戻ってくるから、すまないが頼んだ」
「わかったわ……」
彼女の視線はまだガウルに釘付けだった。
タクミは振り返り、幅広の二枚扉に向かって歩き出した。
数段の階段を昇り、扉の前に立つ。
鉄の取っ手は冷たく、重みがある。
扉を押す。
重い音が響いた。
内部の空気が流れ出る。
酒と汗と革と鉄と――そして紙とインクの匂い。
それは冒険と知識が混ざり合った独特の香りだった。
入って正面に横長の受付カウンターが見える。
磨かれた木製のカウンターは、無数の肘や武器の傷で無数の痕跡が刻まれている。
正面の受付には列ができている。
鎧を着た戦士、ローブをまとった魔術師、フードを深く被った怪しげな者。
様々な者たちが順番を待っている。
奥には巨大な壁面地図。
喧騒。
手前には丸型テーブルを囲むように冒険者達が座っている。
笑い声、議論、報告。
鉄と革と酒の匂いが、ここではさらに強く感じられる。
いたるところから鋭い視線を感じる。
新顔を値踏みする目。獲物を探る目。
無関心を装いながらも、どこか警戒を帯びた目。
(……な、なんか殺伐としてるな……)
適度な距離を保ちながら、左端のカウンターへと向かう。
カウンターの前に立つ。
木の表面はすり減っており、多くの者がここに立ち、多くの取引が行われたことを物語っている。
「素材を買取って欲しんだが、ここであってるか?」
「はい、こちらであってますよ。素材は何でしょうか?」
「かんめい草っていう薬草なんだが」
「かんめい草ですか?聞いたことがないですね。今調べますので少々お待ちください」
表情に一瞬の困惑が走る。
しかしすぐに笑顔に戻り、軽く頭を下げて席を立った。
受付嬢は離れて本棚までいき、本を取り出し調べ始めた。
戻ってくる。
「……あ、あの、お持ちいただいた薬草は『かんめい草』でお間違えないでしょうか?……」
受付嬢の声が少し震えている。
「ああ、これなんだが」
カウンターにかんめい草を一株置く。
「……お預かりします……」
受付嬢は白い手袋をはめ、慎重に手に取る。
まるで壊れ物を扱うように。
指先で軽く触れ、匂いを確かめ、本の挿絵と比較する。
本とかんめい草を交互に何度も見ている。
何度も何度も確認している。
その顔色が、ゆっくりと変わっていく。
「……あの、すみませんがここでしばらくお待ちいただけますでしょうか?……」
顔色が悪い。
額にはうっすらと汗が光っている。
羽根ペンを持つ手がわずかに震えている。
「ああ、わかった。ただ外に相棒を待たせてるんだ。急いでもらえると助かる」
「……承知しました。少々お待ちください」
そういうと受付嬢は足早に奥に行ってしまった。
数分後。
受付嬢は上司と思われる人物を連れて戻ってきた。
筋骨隆々の大男。
身長はおそらく190センチを超える。
分厚い胸板と、太い腕。
体つきとは裏腹に、声は小声だった。
周囲に聞かれたくないのだろう。
「……あんたがこれを持ってきたのか。すまないが探訪者証を見せてくれ」
「探訪者証?持ってないが。この街には来たばかりなんだ」
「……そ、そうか。なら手続きは後でいい。ここでは話せないんだ。ちょっと上まで来てくれ。俺はここで協会長をやっているガイウスだ。名前は?」
ガイウスが右手を差し出す。
その手のひらは大きく、分厚い。
「タクミだ。外に相棒を待たせてるんだ。急いでくれると助かる」
握手を返しながら言った。
「……少し時間がかかる。相棒も連れてこい」
「わかった。少し待っててくれ」
タクミは振り返り、出口へと向かった。
冒険者たちの視線が再び集まる。
さっきよりも好奇の色が強い。
協会長自ら出てくるような人物が、いったい何を持ち込んだのか。
それが気になって仕方ないのだ。
扉を開ける。
外の光が目に刺さる。
人だかりができていた。
その中心には――
ルナがガウルを撫でている。
ガウルはルナに甘えていた。
こちらを見る。
「この子、おとなしいわね。それに言葉がわかっているような仕草をするわ」
「ちょっと商談が長引きそうなんだ。中に入れていいって協会長から許可が出たからここまででいいよ。ありがとう助かった」
「協会長が!?いったい何を持ち込んだの!?……一緒に行っても……いいかしら……?」
「……あぁ……まぁ……いいか……ガウルを見ててくれたからな」
ガウルを連れて入ると、みなが一斉にガウルを見ている。
冒険者たちの視線が、一瞬でタクミからガウルに移る。
剣を置き、酒を飲む手を止め、会話を中断する者もいる。
戻るとガイウスがガウルを見る。
その表情が一瞬で変わる。
硬質だった顔が、驚きと感動に緩む。
「それはキャリア・ハウンドなのか!?白銀の毛並……凄いな……!!」
ガイウスの声が思わず大きくなる。
「ああ、キャリア・ハウンドのガウルだ。俺の相棒なんだ。おとなしいから安心してくれ」
「あ……ああ……ついてきてくれ」
ガイウスは我に返り、カウンター横の階段へと歩き出した。
階段は石造りで、幅が狭い。
二段ごとに踊り場があり、壁には歴代の協会長の肖像画が掛かっている。どの顔も、傷だらけだ。
カウンター横の階段を登り、ついて行く。
二階の廊下を進む。
壁には無数の盾や武器が飾られている。
廊下の突き当たり。他の扉よりひと回り大きく、黒褐色の無骨な一枚板。飾り気のない鉄の留め金。
手をかけ、押し開ける。
協会長室に入る。
厚い扉が閉まる。
「とりあえず……座ってくれ」
ガイウスは大きな執務机の前にあるソファーを指差した。
革張りのソファーだ。ところどころ擦り切れているが、それだけ多くの来客があった証拠だろう。
タクミがソファーに座る。
ガイウスが対面で座る。
ルナは少し迷った後、タクミの隣に腰かけた。
ガウルはソファーの横のカーペットの上に丸くなった。
「……これの事だが。すまないが、ここで買取る事はできないんだ……」
「……そうか……」
「勘違いするな。これはとんでもなく貴重な物で値段がつかないんだ……今使いの者を走らせている。わかる者が来るまで少し待っててくれ」
「そう言う事か、わかった。頼む」
「……」
ルナは何も言わず座っている。
ガウルはソファの横で丸くなっている。
無意識にガウルの背中を撫でた。
「わかる者が来る前に一つ聞いていいか?……」
ガイウスが口を開いた。
その声には、真剣な響きがあった。
「なんだ、なんでも聞いてくれ」
「どこで手に入れたんだ?」
「ええと、深緑の柩の中層だな。それも砂漠側だな」
特に隠すことなく答えた。
「あの古代樹林に入ったというのか!!」
ガイウスの声が思わず大きくなる。
「入ったというか通り道だったんでな」
「と、通り道!?いったいどこから来たんだ!?」
「……んん……まぁ……田舎だよ……田舎……」
そのとき。
扉が勢いよく開く。
息を切らしている。
中肉中背の男。
年齢は四、五十代か。
髪はオールバック、黒の仕立ての良いスーツ。黒縁の眼鏡。
その男は何も言わず、テーブルに置かれているかんめい草に向かった。
手に持っている植物図鑑と思しき本と、かんめい草を交互に、食い入るように見ている。
何度も何度も。
触らない。
ページをめくる。
何度も見比べる。
数分後。
やっと、こちらに気付いた。
「……おっと、失礼いたしました。あなた様がこれをお持ちになったのですか?私、オルデン商会より参りました、タイフと申します。以後、お見知りおきを」
男は流れるような所作で一礼した。
しかし、頭を上げるとすぐに、また食い入るようにかんめい草と図鑑を交互に見だした。
「タクミだ。よろしく頼む」
「タクミ様でございますね。この薬草はどのような物かご存じで?」
「凄い治癒効果がある薬草だろ?俺も一度助けられたよ」
「さようでございます。この薬草の凄いところは重度の怪我でも直してしまうのです。しかも即効性でございます」
うっとりとした口調で言う。
まるで芸術品を鑑賞するような目。
「で、買い取って欲しんだがいくらくらいになりそうなんだ?」
「……タクミ様、一つ知っておいていただきたいのですが、この薬草、『図鑑にしか』載っておりません。私も初めて拝見させていただきました……もし……お値段を付けるとしたら……」
言葉を切り、深く息を吸った。
「……」
「……白金貨三枚ほどでございます……」
声は小さかった。
「……白金貨三枚……悪い、ちょっと田舎から出てきてな。それはどれくらいの価値なんだ?」
「……一株で家が買えるほどでございます……」
真剣な顔で言った。
冗談ではない。
本気だ。
(す、凄え……いや顔に出すな……平常心だ……)
心の中でガッツポーズをしている。
「タクミ様、こちらはお売りしていただけるという事でよろしいですね?それと、本物であるかどうかの確認に一株お預かりいたしますがよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む。一株は確認用にやるよ」
「さ、さようでございますか……」
タクミはバックパックから十株ほど取り出した。
まだまだある。
「……か、か、か、か、か、か、か、か……」
口がパクパクと動く。
声にならない声。
まさかの量に、完全に固まっている。
「あと、これも買い取ってほしんだが」
極彩色の羽をバックパックから数枚取り出した。
一枚一枚が、宝石のように美しい。
光の加減で色が変わる。
見る者を魅了する不思議な輝き。
「……こ……これは……まさか……オルデの本家で見たことがございます……」
声が震える。
震えが止まらない。
手が震え、声が震え、体全体が震えている。
「サンダーレイブンの羽だ」
そう言った瞬間。
「かッ…………」
――バターン。
タイフはその場に倒れてしまった。
重い沈黙。
窓の外では、ラシェンテの風が旗を揺らしている。
街の喧騒はまだ続いている。
しかしこの部屋だけは、時が止まったかのようだった。
金の匂いと、運命の気配が、静かに室内へ流れ込んでいた。
それは見えない。
触れられない。
しかし確かにそこにある。
そしてガイウスは――
大きな体をソファに預け、天井を見上げていた。
その口元には、わずかな笑み。
これはとんでもないことになった。
そう言いたげな、複雑な表情だった。
(経過日数:420日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第3章「ラシェンテ編―探訪者の街―」始まります。
第58話「オルデン商会」でした。
価値を知らぬ者が、価値を持ち込んだ。
それは偶然か、それとも必然か。
街の歯車が、ひとつ噛み合う。
静かな変化は、もう始まっている。
次回、第59話「令嬢と依頼」





