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砂漠転生  作者: たまりん
第2章 古代樹林脱出編
57/75

第57話 探訪者の街ラシェンテ


 第57話です。


 砂と森を越え、ただ歩き続けた。

 数えることをやめた日々の先に、ようやく人の灯りが見える。

 これは、四百二十日目の記録。

 終わりではなく、始まりの足音。


 

 進むごとに、巨木から木へ。木から細木へ。

 細木から低木へと、森は静かにその姿を変えていった。


 砂漠を抜けたあの日と同じだった。

 明確な境目はどこにもない。


 ただひたすらに歩き続けるうちに、気がつけば景色が変わっている。それだけのことだった。


 あれから、さらに三日が経過していた。


 夕刻。


 橙色に染まり始めた空の下、目の前には、横たわる巨大な影があった。


「牛……だよな……」


 牛だった。


 体長は二メートルほど。灰褐色の短い体毛は、ところどころ土や血で固まっている。左右に広がる太い角は、一本が根元から折れていた。


 そして——首元が、深く抉られていた。


 血の匂いは、まだ新しい。

 ガウルが仕留めた。


(……サラディン……)


 低木地帯に生息する魔獣の知識が、記憶の底から浮かび上がる。脳裏に、名を引き当てる。


 『グラスホーン』

 『危険度:中』

 『体長:2.0m〜2.8m』

 『特徴:灰褐色の短毛。左右に広がる太い角。温厚だが、縄張りや幼獣に近づけば猛突進。方向転換は苦手』


「ガウル、この牛、グラスホーンって言うらしいぞ」


 ガウルがこちらをじっと見つめている。早く食おうとでも言いたげな、いつもの目だ。


「わかったわかった、じゃあ飯にするか」


 周囲の枯れ木を集め、手慣れた手つきで焚き火を起こす。焚き火の準備はすっかり板についていた。


「異世界牛焼き肉か……」


 ぽつりと呟きながら、ナイフを手に取る。

 皮と肉の間に慎重に刃を滑り込ませ、剥いでいく。


 知識は教えてくれる。

 血抜きをした方がいい、と。しかし、周囲を見渡しても、肉を吊るせるような高さの木はなかった。


 ここはもう、低木ばかりの場所だった。


 構わず、肉を切り分ける。分厚く切り出したそれを、手頃な枝に刺し、焚き火の周りに並べていく。


 脂が落ち、炎が一瞬大きくなる。パチパチと乾いた音が、静かな草原に響いた。


「ガウル、焼けたぞ。食おう」

「まだ熱いからな、気をつけろよ」


 枝から肉を外し、枯れ木の束の上に置く。


 ガウルがのそりと起き上がり、近づいてくる。そのままガツガツと音を立てて喰らいついた。


「うまいか?どれどれ、俺も食うか」


 かぶりつく。


 外側はこんがりと焦げ焼けて香ばしく、内側は予想以上に柔らかい。噛みしめるたびに、肉汁があふれ出る。


「おっ、うまいな、これは牛だ」


 確かに、うまかった。


 だが——深緑の柩で喰らったあの魔獣の肉のような、脳が焼き切れそうな高揚感は、どこにもなかった。


「ガウル、まだまだあるぞ。食いきれるかな、あれ……」


 解体と焼きを交互に繰り返す。


 数刻が過ぎた。


「は、腹が……きつい……動けん……」


 すっかり日は落ちていた。ガウルも満足したのか、とっくに丸くなって目を閉じている。


 その大きな体を枕代わりに、目を閉じた。



 翌朝。


 残った肉を焼く。

 しかし、すべてを食いきることはできなかった。


「流石に食い切れなかったか……」


 遺骸は三分の一ほど残っている。ほとんどはガウルが食った。それでも量が多すぎた。


 両手を合わせる。


 奪った命への礼。そして、食い切れなかったことへの謝罪。

 日本人としての性は、まだ消えていなかった。


 短い休憩の後、出発する。


 ほどなくして、地面の色が変わった。

 踏み固められた土。

 不自然に倒れた草。


 明らかな違和。


「……道だ」


 整備されているわけではない。

 石畳でもない。


 ただ、人が繰り返し往来した痕跡——人工の道だった。


「み、道だ!見ろガウル!ここは人が通ってるぞ!」


 足が自然と速くなる。


 胸の高鳴りを抑えきれない。

 砂漠を抜けた時よりも、森を抜けた時よりも、ずっと強い高揚が全身を駆け巡る。


 視界の先に、低い外壁が見えた。


 外壁の周囲には堀。入口には吊り橋。そして——人影。


 走る。


 走る。


 吊り橋の前まで、たどり着く。


 向こう側に、門番が一人立っていた。

 金属の胸当てを付け、手には短槍。


 開口一番。


「あんた、人だよな?」


「な、なんだ……?」


 警戒したように眉をひそめる。


「人なんだよな?」


「あ、ああ……人だが……魔獣にでも見えるか……?」


 困惑した顔。


「やっぱり人だよな。ならいいんだ。ここ通ってもいいのか?」


「あ、ああ……」


 門の奥を見る。


 人が往来している。

 声がある。生活の音がある。靴音。話し声。笑い声。

 鉄を打つ音まで聞こえてくる。


「ここが……オルデか……」


「何言ってんだあんた、ここはラシェンテ。探訪者の街だよ」


「え?……オルデじゃない……オルデは近いのか?」


「オルデはここから馬車で一週間だ。それにしても、随分なまってるな。どこから来たんだ?それに……」


 門番の視線が、ガウルに向かう。


「立派なキャリア・ハウンドだな……白銀の毛並なんて初めて見るよ……」


 ガウルは後ろ足で顔をかいていた。


「ん……ああ……ちょっと田舎に住んでてな」


「あんたも一攫千金を夢見て出てきた口か」


「ん……ああ……まぁそんなところだ。ひとつ聞きたい事があるんだが、素材を買い取ってくれる所はあるか?」


 門番が顎をしゃくって、街の中央を指さす。


「あそこの一番デカい建物があるだろ?あそこか探訪者協会に行けば買い取ってくれると思うぞ」


「探訪者協会ってのはどこだ?」


「そこだよ」


 門番が示したのは、正面にそびえる建物だった。

 人の出入りが絶えない。


 冒険者風の男女が、次々と中へ入っていく。


「おお、あそこか。助かった。あんた、名前は?」


「……俺はコルトって名前だ」


「そうかコルト。俺はタクミだ。色々教えてくれてありがとう」


「あ…ああ……悪さはするなよ」


 歩き出す。石畳を踏む。

 硬くて平らなその感触が、ひどく懐かしく感じられた。


 声が交わる。匂いがある。

 熱がある。


 ようやく——ようやく。


 人のいる場所までたどり着いた。


 数えることすらやめた日々が、一瞬のうちに思い出される。灼熱の砂漠。陰鬱な森。絶望と、孤独と。


 それでも、歩き続けた。


 歩く以外に、できることがなかった。


 目の前を、誰かが通り過ぎる。こちらの様子を一瞥して、また通り過ぎる。特別なことではない。ただの日常。ただの、当たり前の一日。


 それが、あまりにも尊く見えた。


 深く息を吸う。


 石鹸の匂い。肉の匂い。酒の匂い。汗の匂い。


 どれもこれもが、生きている証だった。


 そして、一歩を踏み出した。


 もう、砂ではない。


 もう、腐葉土ではない。


 これは、人が歩くために人が作った、石畳の道だ。


 新しい旅は、ここから始まる。


(経過日数:420日)



 砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。


 第57話「探訪者の街ラシェンテ」でした。


 これにて第2章「古代樹林脱出編」は完結です。

 彼の旅はまだ終わらない。


 次回より第3章「ラシェンテ編―探訪者の街―」が始まります。


 砂漠で拾い上げた遺物。森で得た薬草と、極彩色の羽。

 それらはただの収穫ではない。八百年という時の積層が沈んだ重み。街の秤では、到底量りきれない。

 彼はまだ知らない。

 背負ってきた荷が、どれほどの価値を孕んでいるのかを。


 次回、第58話「オルデン商会タイフ」


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リシェルとガウル
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