第56話 狂王録――千年王マグナル
第56話です。
歴史は、美しく塗り替えられる。
だが、その裏に沈む声は消えない。
三日歩いた森の果てで、真実が顔を覗かせる。
それは光か、それとも狂気か。
歩き続けること三日。
森はその息遣いを変えていた。
木々の間隔は徐々に広がり、梢の隙間から差し込む陽の光が、地面をなぞるようにして優しく照らし出している。
朽ちた木の内側から覗かせていただけの光が、今は正面から降り注ぎ、歩む足元を確かに照らしていた。
進むほどに幹は細く、枝葉はまばらになる。
足元の腐葉土は薄く、湿り気を帯びた土の匂いが、どこか乾いたそれへと変わりつつある。
森の終わりが、近い。
道中、ゴブリンの姿を見た。
けれど、襲いかかってはこなかった。
極彩色の羽根——あれには魔獣を避ける力があるという。
それと、ガウルの存在。この森における生態系の序列。
彼らは無意識のうちに、それを感じ取っているのだ。
「ガウル、そろそろ休憩しよう、日が落ちかけてる」
(三日間歩き続けた……もうデヴァウアは追いつける距離じゃない……大丈夫だ……)
ガウルがちらりとこちらを見る。
やがて、木の根元へと歩み寄り、その巨体を丸めた。
理解している。賢い。
木の根元に陣取る。荷物を地面に下ろす。
周囲の木々は、もはやあの巨木ではない。
枯れ枝を集め、小さな山を作り、火を起こす。
「ガウル、腹減っていないか?」
丸まったままの姿勢で、ガウルが鼻先をそっと当ててくる。大丈夫、という意味なのだろう。
自分もスパインボアの肉を食ってから、まだ腹は空いていない。
集めておいた枯れ木を、焚き火に追加する。
日は完全に落ちていた。
パチパチと、薪がはぜる音。風に揺れる木々のざわめき。どこからか聞こえる生き物の鳴き声。森の喧騒が、夜の闇を包み込む。
ガウルを枕に、空を見上げる。
葉と葉の隙間から、星々が覗いている。止まり星を確認する。西。ズレはない。
(そういえば、あの不気味な本、持ってきちまったな……初代国王マグナル……本人が書いた本なんだろうか?……)
(……サラディン……)
知識の奔流から、引き出される。
マグナル王について——
『二つ、公式記録と非公式記録』
「二つ?どういう事だ?」
「まぁいい、2つとも見てみるか、ひとまず公式記録から」
流れ込む。
言葉ではない。感覚に近い、知識の断片。
『サラトニア王国公式記録 ――初代国王マグナル・アウレリウス・サラトニア陛下御事績 。偉大なる統一者、聖地の父。我らが初代国王マグナル・アウレリウス・サラトニア陛下。その御名は永遠に語り継がれる。 陛下は平民の御出身であらせられた。されど真の英雄は身分により隔てられるものではない。幼くしてその並々ならぬ才覚を現し、たちまち「強き者マグナル」と称されるまでに至った。
当時、サラトニアの地は哀れにも二つの国に分かれていた。東のアルトランドは豊かな穀倉地帯として実りに恵まれ、西のカルディアは深き森林地帯として多くの恵みを育んでいた。されど両者は争い、百年にわたり兄弟同士で剣を交えていた。かかる悲しみを前に、陛下は立ち上がられた。天の啓きを受け、戦場に立たれたのである。
統一戦争——決戦の地において、陛下は「神の御業」としか言いようのない奇跡を起こされた。光が舞い降り、敵対する軍勢は一瞬にして消え去った。この偉業により、陛下は神の身体を御身に宿されたと伝えられる。その後、反対する貴族たちをことごとく打ち破り、ついにサラトニア全土の統一を成し遂げられた。
ここにサラトニア王国が誕生し、陛下は「黄金の称号アウレリウス」を授かり、「聖地サラトニアの主」となられた。その御治世は輝かしいものであった。法典を整え、孤児を救い、東西を結ぶ街道を拓いた。東の穀倉の恵みが西へ、西の森林の恵みが東へと渡り、国中に豊かさが行き渡った。
民はこぞって陛下を「父」と呼び、陛下は民を我が子のように慈しまれた。記録に残る限り、これほどまでに善政を敷いた王は、過去にも未来にもいないであろう。
陛下は配偶者を持たれず、また子供も残されなかった。それはすなわち、この国そのものを唯一の我が子として愛されたからに他ならない。 偉大なるマグナル・アウレリウス・サラトニア陛下——その御魂は永遠にこの地を守り、その御名は永遠に民の心に生き続ける。
栄光あれ、初代国王。栄光あれ、サラトニア王国。——編纂者:王室歴史編纂官 ユリウス・アルトランディウス卿』
「敵軍が消えて……亜神になった……」
「まさか……敵軍を……生贄に捧げたのか……!?」
背筋を冷たい何かが駆け抜けた。
非公式の記録を、引き出す。
『私はこれを遺す。誰かのために書くのではない。真実というものが、たとえひとつだけでも残ればそれでいい。
あの者は狂王だった。 少しでも逆らえば即座に斬首された。理由など問われなかった。言葉に詰まろうものなら、そこで終わりだった。
玉座に座る姿を見た者は、ほとんどいない。公式の場でもあの者は黒いヴェールの兜を被り、一言二言発してすぐに消えた。顔を知る者は、私を含めて片手で足りる。
あの者の真の居場所は、自室か研究所だった。地下の研究所——そこに入った者は誰もいない。私でさえ、扉の前までしか許されなかった。扉の向こうから聞こえてくるのは、ただ悲鳴と、あの者の呟きだけだった。「送れ」「殺せ」それ以外の言葉は、一度として聞こえたことがない。
数年に一度、あの者は言った。「西の森林に狩りに行く」と。数カ月。時には数年。戻ってこない。必ず何人かの側近を連れて行くが——戻ってきた者は、一人もいない。 彼らがどこで何をされたのか。私は知らない。知りたくもない。
晩年、あの者はひどく苛立っていた。 何もしていない侍女が、ただの気まぐれで斬首された。理由はない。ある日、私は聞いた。あの者がぼそりと呟くのを。「次の身体を……探さなければならぬ……」 その声には、明らかな恐怖が混じっていた。あの者自身が、何かに怯えていた。何に? おそらく——あの身体が保たなくなることに。
亡くなる直前、あの者は側近の一人に王位を譲った。なぜかはわからない。あの者には、もはや論理は残っていなかったのだろう。そして——死体を見た者はいない。寝室には異臭と焦げ跡だけが残されていた。服だけが、きれいに折りたたまれて置かれていた。そもそも、あの身体だ。死体が残るはずがない。あれは肉体ではない。霊体のような何か。それが消えるとき、何も残らないのは当然なのだ。
この記録を見つけた者へ。もし正気を保ちたいのなら、これを焼き捨てよ。そして、何も見なかったことにしろ。だがもし、真実を知る勇気があるなら——どうか、あの者の痕跡を追ってくれ。あの者は今も、どこかで呟いている。「送れ」「殺せ」——止まぬ――』
著者の名はない。
けれど、間違いなく——これは側近の記録だ。
公式の記録は、おそらくマグナル自身が書かせたもの。そういう話は、歴史の裏に幾らでも転がっている。
数年に一度、森へ狩りに行った——。
(あの地下室だ……間違いない……)
あの本は、マグナル本人が書いたものに違いない。
そして、マグナルは——まだ生きている可能性がある。
「……転生の魔法を使って……」
それも、冥法の呪縛によって憎悪を抱えながら。
背筋を、再び冷たい何かが這い上がる。
「灰の魔道士……いったいいつから生きているんだ……」
自らの名前すら、もう覚えていないほどの悠久の時を。
禁呪によって繋ぎ合わせ生き続けてきた——灰の魔道士。
「出会ったらヤバい奴が増えたな……」
考えても仕方がないことは、胸の奥にしまう。
やることは変わらない。
歩く。歩き続けるだけだ。
「そんなことより、街が近い。地図で確認してももう少しの距離だ」
街が近い。
期待。
高揚感。
ビール。
そっと、目を閉じる。
ガウルの体温が、闇の中でひたすらに温かかった。
(経過日数:416日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第56話「狂王録」でした。
語られる栄光と、隠された狂気。
歴史は常に、二つの顔を持つ。
真実を覗いたとき、人は何を選ぶのか。
歩みは、なお続いていく。
次回、第57話「探訪者の街ラシェンテ」





