第54話 森抜け(デヴァウア遭遇)
第54話 森抜け
森は、静けさを取り戻しつつあった。
だが静寂の奥には、まだ名残の恐怖が潜んでいる。
三日という時間は、癒やしにもなり、油断にもなる。
それでも二人は、西へと歩みを進める。
あれから三日。
森が、わずかに喧騒を取りもどしてきていた。
枝葉が揺れる。小さな獣の気配。遠くで鳥が鳴く。
風が匂いを運ぶ。土と樹皮と、湿った命の匂い。
重苦しい静寂は、もうない。
ガウルが止まった。
だが、警戒はしていない。
耳は自然に立ち、視線は前方へ向けられている。
獲物を見定める目。
タクミも目を細めた。前方に何かがいる。
まだ距離はある。
だが、確かに見える。
「猪……」
息が白く漏れる。
ちらりと横を見る。
ガウルもこちらを見る。
意思の確認。
言葉はいらない。
「あれ、食うか……」
次の瞬間。
ガウルが消えた。
地を蹴る音すら、ほとんどない。
銀の残像が森を裂く。
空気だけが遅れて震える。
タクミはその後を追うように走り出す。
枝を踏み越え、低木をかき分ける。
肺が熱を帯びる。
見えた。
猪は首元をえぐられ、絶命していた。
鮮血がまだ温かい。
ガウルが猪の横にいる。
呼吸ひとつ乱れていない。
速かった。
人間の目では追うことはできない。
疾風の銀狼。
九百年生きたキャリア・ハウンド。
「ナイス、ガウル」
「あそこの木で休もうぜ」
ガウルが猪の足を噛み、ズリズリと引きずって歩く。
落ち葉が擦れる音。
背中には棘が生えている。
体長は一・五メートルほど。
フォレストスパインボア。
深緑の柩、中層の魔獣。
木陰に猪を置く。
タクミは枯れ木を集める。
手早く組み、火を起こす。
煙。
やがて炎が立ち上がる。
焚き火が燃え上がる。パチパチと乾いた音。
炎が肉の表面を照らす。
ガウルは木の根元で丸くなっている。
だが目は閉じていない。
ナイフで肉を切り取っていく。
脂の乗った赤身。
厚く、重い。
細かく切り、枝に突き刺す。
焚き火のまわりに並べていく。
あとは。
焼けるのを待つだけ。
(中層の魔獣ってことは深部は抜けたのか?……)
パチパチと焚き火の音。森のざわめき。
命の気配が戻ってきている。
(森が、わずかに騒がしくなってきている……)
(深部は抜けている……はずだ……)
肉の表面が色を変える。
脂が滴り、炎に落ちる。
ジュウッ――
香ばしい香りが漂う。
胃が鳴る。
「焼けたな……」
「ガウル、食べようぜ」
枯れ葉に乗せ、少し冷ましてからガウルに渡す。
ガツガツと音を立てて喰らいつく。
牙が肉を裂く。
「うまいか、ガウル、よかったな」
「まだまだあるからな。どれどれ、俺も食うか」
腹は少しだけ空いていた。
がぶり。噛む。
肉汁が舌を焼く。
「うまい……!」
「うますぎる……!」
脳が焼ける。
飛びかける理性。
ガウルが物足りなさそうにこちらを見る。
尻尾がわずかに揺れる。
焼き上がった肉を次々と渡していく。
途中、ちらりとこちらを見て止まる。
「なんだガウル、気を使ってんのか?」
「おまえが狩ったんだ、それにまだまだ肉はあるぞ」
追加でどんどん焼いていく。
内臓は捨てようか考えたが焼いた。
血の匂いが濃くなる。
最後は骨だけが残った。
「いや〜、うまかったなガウル」
身を擦り寄せてくる。
体温が伝わる。
しばらく休憩を取る。
葉から漏れる微かな陽光が傾いていく。
再び、歩き出す。
「朽木だ」
朽木があった。
天井まで裂け、三角形の空洞ができている。
雷に打たれた痕のように空いている。
「ガウル、今日はあそこで寝よう」
中に入る。
天井は完全に抜け落ち、空が見えていた。
「この天井だと、星は確実に見えるな」
星の確認。
それはこの森を抜ける唯一の目印。
地面は土。
枯れ葉は落ちていない。
比較的、乾いている。
荷物を降ろす。
座り、木壁に寄りかかる。
ガウルは丸くなった。
だが耳は立ったまま。
徐々に日が落ちてくる。
薄暗かった森が闇に落ちていく。
そのとき。
ガウルが立ち上がる。
警戒。
そして。
怯え。
――ッン……
――ッン……
――ッン……
――ッン……
地響きが強くなる。
――ッズン……
――ッズン……
――ッズン……
――ッズン……
大地が揺れる。
土が震える。
――ドッズン……
――ドッズン……
――ドッズン……
――ドッズン……
音を立てないように、そろりと三角形に空いた入口から覗く。
夜目は効いている。
遠く。
巨木の間に見えた。
恐ろしいほどの巨体。
ビルが歩いているようだった。
黄褐色の大きい目。
瞬きひとつが重い。
長い首。
垂れ下がる腹部。
灰色の鱗の周囲で、空気がわずかに揺らいでいる。
巨木と見間違うような脚。
一歩ごとに地面が沈む。
上下に割れた口からは煙のようなものが立ち上っている。
熱気が漂っている。
この位置からでも呼吸音が聞こえる。
――ヒュー……
――ゴシュー……
――ヒュー……
――ゴシュー……
――ヒュー……
――ゴシュー……
(デヴァウア……!)
(絶対に遭遇しては……ダメな……魔獣……)
(あの……ガウルが……怯えている……)
「……ガウル……音を立てるなよ……」
小声で話す。
ゆっくりと身をよせてくる。
震えている。
見ただけでわかる。
ビルのような巨体。
大きさはあの魔獣ロアどころではない。
人間が勝てるような相手ではない。
あれは。
歩く、災害。
生きる、厄災。
息を殺す。
冷や汗が背中を伝う。
喉が乾く。
デヴァウアはあたりを見回すように、長い首を巨木に回している。
およそ前方五十メートル。
近い。
近すぎる。
――ドッズン……
――ドッズン……
――ドッズン……
――ドッズン……
緊張が走る。
心臓の音がうるさい。
――ッズン……
――ッズン……
――ッズン……
――ッズン……
少しづつ地響きが遠ざかる。
――ッン……
――ッン……
――ッン……
足音が。
遠ざかっていく。
やがて。
完全に聞こえなくなった。
(ここは中層じゃないのか……!?)
(それとも、獲物を探して出てきたのか……)
どちらでもいい。
(とにかく、まだ油断してはダメだ……)
「じっとしてろよ、ガウル……音は絶対に出すなよ」
小声。
身を寄せる。
まだ怯えている。
「大丈夫だ……」
二人は絡まるように身を寄せる。
鼓動が落ち着くのを待つ。
夜は更けていった。
眠れないまま、夜が深まっていく。
夜空を見る。
星の位置の確認。
微かに見える止まり星。
(大丈夫だ……西に進んでいる……)
方角に狂いはない。
ガウルをそっとなでる。
怯えは消えていた。
だが緊張は残る。
朝がくる。
天井から光が差し込んでくる。
眠れなかった。
「よし……ガウル行くぞ……ここは危険だ……」
ちらりとこちらを見る。
鼻先を当ててくる。
理解している。
微かな陽光が漏れる、薄暗い森の朝方。
二人は歩き出した。
深緑の柩。
出口へ向け。
(経過日数:411日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第54話 「森抜け」でした。
災厄は、いつも足音を立ててやってくる。
だが去った後に残るのは、生き延びたという事実だけだ。
眠れぬ夜を越え、また一日が始まる。
森の出口は、あと少し。
次回、第55話「灰の魔道書」(出口)
物語はまだまだ続きます。
この先も、タクミとガウルの旅は終わりません。
これからも一話一話、丁寧に積み重ねていきます。
今後とも砂漠転生をよろしくお願いいたします。





