第52話 疾風の友
第52話です
森は静かだった。
だが、その静けさは嵐の前触れに過ぎない。
孤独を知る者と、孤独を超えた者。
その二つの命が、いま交わろうとしている
走る。
急げ。
ガウルを、ひとりにはさせられない。
殺されてたまるか。
九百年も孤独と戦ったんだ。
それに。
「約束したんだ!」
「ずっと一緒にいてやると!」
全力で走る。肺が焼ける。
喉が裂ける。それでも止まらない。
木の根を飛び越える。低い枝を払いのける。
脚が軋む。視界が揺れる。
地を滑る。
間に合った。 視界が開ける。
戦場は硬直していた。
巨躯と巨狼。
睨み合いが続いている。
空気が張り詰め、森の音が消えていた。
魔獣ロアの肩口から血が流れていた。 赤黒い鱗が保護色になり、気がつかなかった。濃い血が、地を黒く濡らしている。
ガウルがやったのか。
この体格差で。
ガウルは狼にしては大きい。二メートルはある。
だが今は小さく見える。
相手が大きすぎる。大型トラック並の体躯。
樹々の間に収まりきらない質量。
そこにいるだけで、圧だ。
「デカ過ぎる……。あんなやつに勝てるのか……」
戦線には復帰した。
だが。
勝てる気がしない。
ましてや、近接戦で挑むなど正気の沙汰ではない。
あの巨体で動きも速い。
赤黒い鱗はどう見ても硬い。
攻守速を兼ね備えている。
「討伐報告がないのもうなずける……」
アサルトライフルでもなければ無理だ。あっちの世界の近代兵器でようやく勝ち筋が見えるかどうか。そんな存在だ。
深緑の柩生態系の頂点。
魔獣ロア。
「どうする……!。なにか、ないのか……。このままだとやられる……!」
そのとき。
閃いた。
わずかな可能性。
「あれだ……あれを試すしかない……。あれで怯めば攻撃できる……」
硬化した拳は岩を砕く。
手刀なら鉄をも断てるはずだ。
わかる。
このガントレットとの付き合いは長い。身体の延長のようなものだ。隙さえあれば勝機はある。
だが。
今は無理だ。近寄れば、吹き飛ばされる。
繰り出すだけでは意味がない。
勝機はない。
ロアが動く。
――スゥウウウ……。
胸郭が膨らむ。
標的はガウル。
――バォオオオッ!!
破壊の咆哮。空気が歪む。
木々が震え、葉が散る。
直後。
ロアの肩口からさらに鮮血が噴き出した。
「大丈夫だ……。ガウルの速さなら……」
「当たらない!」
急げ。
バックパックに手を突っ込む。
羽とかんめい草を掴む。さらに奥へ。
あった。
取り出し、握り込む。
掌に重み。
胸当てにかんめい草を挟み込む。
万が一の備え。
あとは。
ガウルが引きつける。
その瞬間に投げ込む。
戦闘は続いている。
ジリジリと距離を詰める。
死角を縫う。息を殺す。
近い。大きい。圧倒的だ。
生物というより、災害。
そのとき。
ロアがこちらを向く。
縦長の瞳孔が縮む。
ギロリと睨む。
なぜおまえは生きている。
とでも言いたげな恐ろしい重圧。
鼓動が止まりかける。
「気づかれたッ……!!」
――スゥウウウッ……
「ヤバイ……!!」
伏せる。
「硬化……!」
――バォオオオオッ!!
衝撃。
うつ伏せで。
地面にめり込む。
直後。
――ズドンッ……。
――ズドンッ……。
――ズドンッ……。
踏みつけ。ただでさえ格上。
だが、容赦がない。 徹底的に。
地面ごと砕く勢いで。
(……まだか……終わったのか……)
(……わからない……)
視界は土だけ。
全身硬化中は固定される。
耳鳴りの向こうで咆哮が響く。
ガウルと戦っている。
「解除!」
土から身体を引き抜く。
ゆっくりと起き上がる。
気づかれないように。
ロアはまだガウルを追っている。
意識はこちらに向いていない。
――スゥウウウッ……。
胸郭が再び膨らむ。
――バォオオオオッ!!
咆哮。
だがガウルを捉えられていない。
風のように躱す。
虚空に響くだけ。
「今っ!!」
投げ込む。
小さなスイカを。
開かれた口へ。
一直線に。
――ボコンッ……。
飲み込み。
体内に落ちた音。
即座に離れる。
視線を切らさずに後退する。
「……ガァアアアアアア……!!」
ロアが苦しむ。
「……グゴェアアアアアア……!!」
喉を掻きむしる。
血が溢れ、地を染める。
「……ゲァアアアアア……!!」
巨体がのたうつ。森が揺れる。
「よし、チャンスだ!!」
走り込もうとした。
その瞬間。
目。 鼻。 口。 耳。
すべてから血が噴き出した。
内側から破裂したように。
血が溢れやがて止まる。
巨体も止まる。
揺れる。
――ズドーン……。
倒れた。
地が震える。
「……え……?」
近づく。
呼吸音がない。
死んでいる。
確実に。
「……えぇ……?」
あまりに呆気ない終わり。
緊張が、遅れてほどける。
気づけばガウルが隣にいた。
身体を寄せてくる。
温かい。確かな命。
「おお、よしよし、ケガはなかったか?かわいいなぁ、おまえは」
なでる。すり寄ってくる。
「た、たたた、大したことなかったな。あいつ」
指の間を白い毛並みがすり抜ける。
生きている温もりが、胸に落ち着きを戻す。
「あそこの朽木で休憩するか……。あっちに行こうぜ、ガウル」
ガウルがロアの遺骸を見る。
名残惜しそうに。
「ごめんな、ガウル、あの肉は食べられないんだ。間違っても食べちゃだめだぞ」
残念そうな顔をしていた。
深緑の柩は静まり返っている。
さきほどまで頂点に君臨していた存在が、土へ還ろうとしている。
その隣で、風を纏う狼が静かに尾を振る。蒼い瞳がこちらを見上げる。誇りと信頼を湛えて。
ひとりではない。
肩を並べる。
確かめるように、互いの歩幅を合わせる。
九百年の孤独は、もうここにはない。
二人で朽木へ歩き出した。
森の奥へ。
次の生存のために。
そして――
共に、生き抜くために。
(経過日数:401日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第52話「疾風の友」でした。
頂点は崩れ、森は再び息を取り戻した。
だが、本当に終わったのは戦いではない。
ひとりで生きる時間が終わったのだ。
並んで歩く足音が、深緑に溶けていく。
次回、第53話「柩の雨」





