第51話 咆哮の破壊獣ロア
第51話です。
九百年という時間は、孤独を石に変える。
それでも、触れれば温もりは残っていた。
名を与えることは、存在を結び直すこと。
白銀の狼と、再び時が動き出す。
夕刻。
まだ朽木の外にいた。
白銀のキャリア・ハウンドは、あれからずっと頭をこすりつけてくる。
「よしよし、いい子だな」
手を伸ばし、なでる。
ふわりとした毛並が指の間をすり抜ける。
明らかに自分より年上だ。
だが、そんなことはどうでもいい。
寂しかったのだろう。
心細かったのだろう。
それでも、必死に耐えてきたのだろう。
苦しかったはずだ。
九百年。
想像もつかない悠久の時だ。
どうやって生き延びたのかは分からない。
おそらくは魔獣の肉。それも、深層の魔獣。
あれを喰らった日から、空腹はまだ訪れない。
十日間。腹は鳴らない。
異常だ。
この深層には、誰にも知られていない何かがある。
未踏の地。秘境。深緑の柩。
本来なら解明されるはずだった。
だが王国は砂塵と化した。
国ごと。
そこで、すべては止まった。
「名前をつけてやらないとな」
なでる。
白銀の毛並が、朽木の隙間から差すわずかな光を受けて輝く。
「おまえ、もふもふだな、毛並も綺麗だ」
実家で飼っていた犬は、1ヶ月も洗わなければ毛がごわついていた。
だがこいつは違う。
九百年を経てもなお、美しい。
「……ガウル・フォン・グラハム……」
口に出す。
遠い昔の名だ。
「……ガウル。おまえの名前はガウルだ」
白銀の瞳がこちらを見る。
次の瞬間、顔をなめられた。
「気に入ったか、ガウル。おまえの前の主人の名前だが、いいだろ。思い出の名前だ」
「安直だとか言うなよ」
また、すり寄ってくる。
なでる。
「よしよし、寂しかったろう。これからはずっと一緒にいてやるからな」
死ねない。ガウルのためにも。
自分が死ねば、また待つのだろう。
何十年。
あるいは何百年。
そんな思いはさせられない。
生き残る理由が、もうひとつ増えた。
サラディンとの約束とは別に。
「ガウルは吠えないな、いい子だ」
九百年の深層生活。
吠えぬことこそ生存の術だったのだろう。
この森での生き方は、自分よりはるかに熟知している。
「とりあえず、ガウルの餌だな」
きょとんとした顔で見上げてくる。
「干し肉は全部ガウルに食われたからな」
分かっていない。
顔。
「行くか、ガウル。森を抜けよう」
一歩を踏み出す。
隣に、白銀の狼。
二人で歩き出した。
ニ日目。
森は薄暗い。
――違和感。
横を見る。
ガウルがいる。
口には、巨大な兎。
いつ狩った。
音はなかった。
魔獣の気配もなかった。
体長一メートルはある。 黒い目。鋭い爪。
サラディンの知識にも存在しない魔獣。
それより。
ガウルの動きが見えなかった。隣にいたはずだ。
だが、いつの間にか咥えていた。
速い。
人の目では追えない。感じる。
直感が告げる。
自分より。
強い。
「おまえが味方で良かったよ、ガウル」
吠えない。
ただ、頭をこすりつけてくる。
「せっかく取ってきてくれたんだ。飯にしよう」
巨木の根元に陣取る。
焚き火を起こす。
ガウルは横で丸くなった。
腹は減っていない。
沼から十ニ日間。
異常過ぎる。
肉を切り分け、枝に刺す。
焚き火の周囲に立てる。
待つ。
なでる。白銀の毛並。
九百年生きたキャリア・ハウンド。
神話の獣のような存在。
焚き火の音だけが森に響く。
「そろそろ焼けたか」
一つ手に取る。
味見。かぶりつく。
「……うまい……!」
「……うますぎる……!!」
溢れる肉汁。和牛など目ではない。
脳が焼けるような感覚。
理性が削られる。
枝から肉を外す。
「焼けたぞ、ガウル」
枯れ葉の上に乗せる。
「ガウルが取ってきたんだ。ガウルから食え。それに、俺は腹が空いてないんだ」
のそりと起きる。ちらりとこちらを見る。
そして、喰らう。
「うまいか、よかったな。まだまだ焼いてやるから待ってろよ」
肉を食い尽くし、再び丸くなる。
その夜はそこで過ごした。
ガウルを枕にし、眠る。
静寂の深層。
ゆっくりと時が流れる。
二人の孤独を埋めるように――。
翌日。
薄暗い森が微かに明るい。
朝だ。
わずかに残った肉を焼き、ガウルに与える。
食い終わるまで待つ。
「よし、行くか」
しばらくして朽木が現れた。
根元に大きな穴。
「こんな近くに朽木があったのか、あそこで休めばよかったな」
そのとき。
ガウルが止まる。
耳が立つ。
低く唸る。
空気が、重い。
次の瞬間。
――フオッ!!
何かが、手足をばたつかせながら降ってきた。
着地。
――ズドォッ!!
土煙が舞い上がる。視界が遮られる。
やがて晴れる。
露わになる巨躯。
体長十メートルはある。
血のような赤黒い鱗。巨大な顎。
発達した後ろ足。
「……ロア……」
深緑の柩生態系の頂点。
「……まずい。……逃げろ、ガウル!」
だが逃げない。
威嚇の姿勢。
感じる。余裕。
「……おまえ、もしかしてコイツより強いのか?」
答えは返ってこない。
「とにかく、やるしかない……」
そのとき。
ロアの助骨が膨らむ。
――スゥ……
空気を吸う音。
「……まずい!避けろガウル!」
「全身硬化!」
――バォオオオオッ!!
衝撃。
音の塊。
咆哮が空間を叩き潰す。
吹き飛ばされる。
視界の端。
ガウルはすでにロアの背後へ回り込んでいる。
――ドガァッ!!
木に叩きつけられる。
「硬化解除!」
無傷。起き上がる。
走る。
ロアが振り向く。
その背後で、白銀の狼が跳ぶ。
始めての共闘。
孤独ではない戦いが。
今、始まる。
(経過日数:401日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第51話「咆哮の破壊獣」でした。
深緑は、すべてを飲み込む。
それでも、白銀の狼だけは隣にいる。
名を呼ぶ声が、孤独を裂いた。
戦いは、もう独りのものではない。
第52話「疾風の友」





