第48話 極彩鳥サンダーレイブン
第48話です。
水辺に立つ者は、己の無防備さに気づかない。
美しさに心を奪われたその瞬間が、命の別れ目となる。
深層は、隙を決して許さない。
薄暗い古代樹林の中。
タクミは歩き続けていた。
深緑の柩
ここは深層。
王国の記録も、ここより先はあまり残っていない。
つまり、サラディンの知識が通用しなくなる領域。
ザグラトとの遭遇から三日。
やることは変わらない。
巨木に印を付けながら、朽木を探す。
だが、あの夜から様子がおかしい。
少しの物音で心拍数が跳ね上がる。
緊張。
それも極度の緊張。
遭遇。
すなわち死を意味する魔獣が闊歩する領域。
(……音は立てるな……)
常に気を限界まで張った状態。
進行速度は上がらない。
むしろ下がっている。
巨木に印を付ける動作すら慎重になる。
なるべく音を隠す。
巨大な根を越える。
なるべく音を出さない。
慎重に、体重を移しながら乗り越えていく。
根の上に立った。その時。
前方に光。
陽光。
「なんだ?森の切れ目か……?」
朽木の内部以外で見る日の光。
斜めに振り下ろされたかのような鋭い光。
徐々に、その陽光へと近づいていく。
陽光の袂。
そこには沼があった。
五十メートル四方ほどの広さ。
透明度の高い澄んだ水。
沈んだ木の根が、そのまま見えている。
沼の上、本来なら巨大樹の葉が覆い隠しているはずの部分が、ぽっかりと空いている。
そこから陽光が差し込み、透明な水面を黄金の膜で包み込む。
死の静寂が支配する森の奥に、たった一か所だけ許された、この世ならぬ美しさ。
タクミは、呼吸さえ忘れて見とれていた。
その時だった。
異音。
――パリッ……。
――パリッ……。
――パリッ……。
――パリッ……。
――バチィッ!!
鉄杭を打ち込まれたような衝撃が背中を貫いた。
全身が硬直し、視界が真っ白に弾ける。
「……がっ……」
前のめりに倒れる。意識が飛びかける。
ドッ……。
地面。
湿った土の匂い。
再び。
異音。
――パリッ……。
――パリッ……。
「……ま……ずい……全……身硬……化……」
――パリッ……。
――パリッ……。
――バチィッ!!
再び衝撃。
だが。全身硬化中。
サラディンの知識通り。
雷撃は無効化された。
縄張りに入った者へ即時雷撃。
おそらくはサンダーレイブン。
深層の水場に出現する魔獣。
迂闊だった。
(……ど……どこにいる……)
全身硬化中は身体が動かない。
目線も固定される。目の前は土。
どこから攻撃されているのかさえ分からない。
索敵もできない。
まずは飛びかけた意識の回復を優先。
硬化は解かない。
待つ。
徐々に意識が戻っていく。
硬化したまま。じっと耐える。
何分経過したかは分からない。
十五分ほどか。
次弾は来ない。
様子を見ているのか。
それとも仕留めたと思っているのか。
硬化時間は一時間はもつ。
砂嵐の時に確認済みだ。
まだ解除はしない。
考える。
あの異音が聞こえてから雷撃までの時間。
帯電から放電までに、明確な溜めがある。
(……間違えていれば殺される……)
意識が完全に戻る。
硬化を解除する。
ゆっくりと地面から顔を向き直す。
(……どこだ……)
目線だけを動かし、索敵する。
(……いた……)
およそ前方十五メートル。
沼の横に朽木。
その根元。
極彩色の羽をまとった、ずんぐりとした巨大な鳥。
あまりにも巨大。飛べるのかすら怪しい巨体。
なぜ気付かなかった。
沼に見とれていた。
許されない。言い訳。
立ち上がる。
帯電が始まる。
異音。
――パリッ……。
「全身硬化!」
――パリッ……。
――パリッ……。
――パリッ……。
――バチィッ!!
(やはり、放電までに溜めがある)
雷撃は見えない。
漫画のような稲妻は走らない。
人間の目では追うことすら叶わない。
気付いた時には直撃している。
(解除!)
走る。全力。
サンダーレイブンとの間に障害物はない。
帯電。羽根の先端が青白く光る。
異音。
――パリッ……。
――パリッ……。
――パリッ……。
「全身硬化!」
――パリッ……。
――バチィッ!!
足元の腐葉土が焦げ、煙を上げる。
(解除!)
走る。全力。
滑り込む。
目の前に。
巨大な鳥。
逃げない。
違う。
動けないほど。
巨体。
「よう。やってくれたな!」
目が合う。
蒼雷色の眼。
帯電を再開。羽先が青白く光り始める。
異音。
――パリッ……。
だが。遅い。
サラトニア古式戦技。
戦闘の最適化。
「……シュッ!!」
息を吐き切る。
残る全てを、硬化した腕に託す。
貫手。
一撃。
――ズグンッ!!
脆い。
柔い。
胸元に深く腕が入る。
ビクビクと痙攣。
やがて、動かなくなる。
「……や、ヤバかった……」
満身創痍。
ヨロヨロと沼に近寄る。腕の血を洗う。
「……身体中が痛い」
胸当てをめくる。
シダの葉のような火傷の跡。
落としたバックパックを取りに行く。
「……かんめい草は無事か」
中を確認。
「……大丈夫そうだ」
雷撃は免れていた。
「これ、直接食っても効果あるのか?」
(……サラディン……)
知識の奔流から引き出す。
かんめい草の使い方――
『生葉をそのまま経口摂取した場合にも一定の効果は認められる。ただし、凄まじい苦みを伴う。本来の手法としては、乾燥させた上で油に浸し、冷浸法にて薬効成分を抽出するものである』
「よく分からんが大丈夫ってことね」
ひとつ口に入れる。
シャクシャク。
「うわ、にっが……!」
身体の内が熱くなる。
火傷の跡が、目に見えて消えていく。
即効性。
「凄いなこれ……」
視線を遺骸へ向ける。
巨大な鶏肉。
「少しだけなら……」
深層での危険行為。血肉の放置。
匂いを出す焚き火。
理解はしている。
だが、欲望が勝った。
「鳥といえばやっぱりもも肉だよな」
巨体から、ナイフでもも肉を切り取る。
「これだけあれば大丈夫か」
肉塊。
それを細かく切り分け、枝に刺す。
焚き火を起こす。
周囲に枝を突き立て、焼けるのを待つ。
「そういえばこいつの羽って高値で売れるんだよな?何枚かもらっとくか」
ばきん。ばきん。
極彩色の羽根が手の中で冷えていく。
「一応確認」
(……サラディン……)
サンダーレイブンの羽の価値。
『サンダーレイヴンの極彩色の羽は、魔獣避けの希少品として珍重される。八百年前の旧サラトニア王国時代には、実用品として扱われ、商人たちの憧れの的となった。とりわけ豪商にとっては、富と権威の象徴であり、必須の護符とまで称された。流通量も少なく、その価値は、もはや金銭で測れるものではない』
「魔獣避け、マジかよ。朽木も横にあるし、しばらく鶏肉を堪能だな」
肉の焼けた匂いが広がる。
「焼けたか」
かぶりつく。
じゅわっと脂が弾ける。
鶏肉とは思えない濃厚な旨味。
「……なんだこれ、旨すぎだろ……!」
夢中で食らう。
「足りない……」
さらに切り取り。焼く。
王国の記録には、肉の味など記されていない。
なぜなら。
ここは深緑の柩深層。
魔獣の遺骸など捨て置かれ、希少部位だけが剥ぎ取られる。
帰還した者たちが語るのは、恐怖と撤退と死だけ。
そこに「旨かった」という言葉が混じる余地など、どこにもない。
あるいは。
かつて誰かが、この肉を味わったのかもしれない。
だが、その者は帰らなかった。
舌に残った味を、誰にも伝えられなかった。
ならば。
この一瞬は、何百年ぶりか。
誰も記さなかった味を、今、ここで初めて。
タクミはもう一口、かぶりつく。
脂の甘さが広がる。
――もっと食いたい。
その欲望は、危険だと分かっていても止まらなかった。
静寂の中。
パチパチと焚き火の音だけが響いていた。
(経過日数:388日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第48話「極彩鳥」でした。
焼けた肉の味を、誰も記録していない。
帰らなかった者だけが知る味だからだ。
タクミは今、その味を知ってしまった。
次は、それを語る者として帰れるだろうか。
次回、第49話「無銘の魔獣」





