第44話 届かぬ光
第44話です。
砂漠を抜け、辿り着いたのは深緑の柩。
光届かぬその場所で、男はただひたすらに歩き続ける。
方角も曖昧、魔獣に怯えながら。届かぬ光を求めて。
眠れない。
静寂を支配していた森の気配が、わずかな葉擦れの音によって引き裂かれた。
タクミは瞬時に覚醒し、研ぎ澄まされた感覚を周囲へ張り巡らせる。
◇
あれから四日が経過した。
歩みを進めるごとに森は濃密度を増し、その存在感を肥大させている。
かつて空を隠していた梢はさらに重なり合い、太陽の光を完全に遮断していた。
今が昼なのか、それとも夜なのか。時間という概念さえも、この深い闇の中では判然としない。
湿った空気が肌に纏わりつき、肺の奥まで侵食してくる。腐葉土の甘ったるくも重苦しい匂いが、鼻腔を絶えず刺し続けていた。
進路を塞ぐようにして、巨大な木の根が幾重にも複雑に絡み合い、地表を覆い隠している。
そのたびに登り、降り、迂回を強いられ、タクミの進行速度は緩慢なものへと変わり果てていた。
空を見上げても、星の瞬きひとつとして見つけることはできない。自分がいま、どちらを向いているのか。その方角さえも曖昧に溶けていく。
「これはまずいな……。どうしたらいい」
(……サラディン……)
頼みの綱である知識の海へと、意識を深く沈めていく。
森で方角を見失ったときの指針を求めて。
『樹に印を刻みつつ進み、開けた場所を見つけては星の位置を確認する』
「開けた場所、あるのかここ……?」
タクミは巨大な根の上に立ち、前方を凝視した。
視界の先には遥か奥まで、直径十メートルはあろうかという巨木たちが無慈悲な列をなしている。
幹と幹のわずかな隙間すらもが闇に飲み込まれ、希望の光はどこにも届いていない。
「迷うな、進むしかない」
自分自身を鼓舞するように、彼は巨木の表面に硬化した指を押し当てた。ガリッ、という鈍い音が響き、木肌に深い傷跡が刻まれる。
これで戻る場所を失うことはない。そう自分に言い聞かせ、彼は再び歩き出した。
出会ってはいけない魔獣。
脳裏に浮かぶのは、忌まわしい名だ。
サンダーレイブン。ロア。デヴァウア。
出会えば、それは即ち終わりを意味する。
サンダーレイブンは最深部の水場に巣食う。近づかなければ遭遇率は低い。
しかし、問題はロアとデヴァウアだ。森の頂点に君臨する捕食者たちは、その移動範囲さえ掴めない。
常に、背後に何かの気配を感じる。空気が冷たく張り詰め、肌を粟立たせる感覚が消えない。
ふと、ある懸念が脳裏を過る。
(そういえば、硬化に魔法は効かないって言ってたな)
雷撃を、本当にこの身体で受け止められるのか。
(……サラディン……)
思考を問うよりも早く、言葉にならない知の奔流が流れ込んでくる。
『雷魔法の中には、対象を即死させる威力を有するものが存在する。特に第四階梯以上の魔法は、生身の人間には耐性が不可能である。しかしながら、汝に譲渡したガントレットは対亜神用に設計されており、硬化は七重構造を有する。理論上は第八階梯までの攻撃にも耐え得る』
「階梯ってなんだ?」
『根源より力を搾り出す時に踏むべき段階、すなわち階梯のことである』
「要はランクってことか」
『超越者は根源に対して直接的な干渉を許されており、その結果として最高位である第八階梯までの行使が可能である。一方、人間の身体で扱えるのは第五階梯が上限である。なお、サンダーレイヴンの放つ雷撃は推定出力が第四階梯相当ないしそれ以下であり、これを受けても生還した者が存在する。討伐報告は二件確認されている。従って問題はないと結論づけられる』
「マジかよ、チートだな、この小手」
『油断するな。魔獣の中には、我ら亜神に匹敵するものも存在する』
「黒いワイバーンか」
あの時感じた、抗いがたい絶望的な巨体を思い出す。油断など、するはずもなかった。
やがて、蓄積された疲労がタクミの四肢を蝕み、動きに鈍さが出始めた。
「安全な場所を探そう」
深緑の柩。この死と隣り合わせの森に、安全という概念が存在するのだろうか。
それでも、足を止めなければ判断力が鈍り、死期を早めるだけだ。
木に印を刻みながら、黙々と進み続けたその時。足元の根を越えた瞬間、不意に視界がわずかに開けた。
一本の巨大樹。その根元に、ぽっかりと空いた穴がある。
慎重に近づき、中を覗き込む。
「空洞だ……」
その巨木は遥か昔に寿命を全うし、内部は空洞になっていた。
直径は十五メートルほど。天井は抜け落ち、そこから細い空の欠片が覗いている。
地面は乾いており、腐葉土も少ない。
「とりあえず、ここで休むか……。眠くて無理だ……」
安堵に似た重い溜息と共に荷を下ろし、背を空洞の内壁に預ける。
冷ややかな木肌の感触が心地よい。
天井の裂け目から、一条の細い光が差し込んでいた。
「ここから星が見れればいいけどな」
外からの物音に全神経を集中させる。
風が枝を揺らす音。遠くで何かが枯葉を踏みしめる音。
獣なのか、あるいはただの風の気まぐれなのか。判別はつかない。
ここは爆心の外側。だからこそ、森も魔獣も滅びずに残った。
超越の儀の爆炎は、この地を削りきれなかった。ならば当然、当時の頂点種たちも生き延びている。この森は、滅び損ねた世界の残骸なのだ。
光は、届かない。
けれど完全な闇でもない。
わずかに差す細い陽光が空洞の中央を照らし、光の帯の中を塵がゆらりと舞い上がる。
「進むしかない」
戻れない。
砂漠を越え、ようやくここまで来た。
今さら五日も七日も迂回などできるはずがない。
最短で抜ける。それだけだ。
タクミは深く息を吐き、静かに目を閉じる。意識が急速に混濁し、浅い眠りへと引きずり込まれていく。
意識の深層で、森がざわめき続けていた。
届かぬ光の下で、深緑の柩は、今もなお静かに呼吸を繰り返している。
(経過日数:371日)
砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。
第44話「届かぬ光」でした。
四日間歩き続け、ようやく見つけたわずかな休息場所。
朽ちた巨木の空洞は、かすかな光が届く安息の地。
だが、この森の静けさはいつまで続くのか。
次回、第45話「深緑の柩中層」





