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砂漠転生  作者: たまりん
第1章 砂漠脱出編
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第38話 人嫌いの工房


 砂の彼方に現れた無骨な石造りの建物。

 装飾なき壁は機能の美しさを刻むのみ。

 砂塵を払い扉を壊して中へと踏み入れ。

 伝説の職人が遺した工房の深淵に触れる。


 

 歩き続けて、十一日目。


 砂の海に、変化が生まれた。


 遠く、地平線の歪みの中に、かすかな影がにじんでいる。


 陽炎でも、気まぐれな蜃気楼でもない。それは確かな質量を持って、波打つ砂の彼方に沈んでいた。


 幻ではない。


 立ち止まり、タクミは目を細める。乾いた風が外套の裾をはためかせ、細かな砂粒が頬をかすめていく。


 建物だ。


 それなりに大きい。だが、かつて見たあの城塞遺跡ほどの威容ではない。

 

 むしろ、砂漠に蹲る獣の背のように、低く、沈み込んでいる。


 タクミは歩く。


 ザッ。


 ザッ。


 砂を踏みしめる音だけが、規則的に、途切れることなく続いていく。


 近づくにつれ、沈んだ影はゆっくりと輪郭をあらわにしていった。


 中央に、大きな石造りの建物がひとつ。


 その周囲に、ぽつぽつと崩れた建造物の残骸が散らばっている。


 風に削られ、砂に埋もれ、もはや原型をとどめていないものも多い。


 民家か?


 いや――


「民家にしちゃデカいな」


 呟きが、乾いた空気に溶けていく。


 規模が合わない。集落にしては、中心にある建物が重すぎる。


 まるで集落そのものが、この建物のためにあるかのような佇まいだ。


 主構造物は半ば砂に埋もれ、まるで地面から生えているようにも見える。


 それでもなお、その石壁は押し黙った圧力を放ち続けていた。


 砂風に削られ、なお崩れずに残るものだけが持つ、静かな誇りのようなものがそこにはある。


 ザッ。


 ザッ。


 足を止める。目前に、石の壁が無骨にそびえていた。


「貴族の屋敷?」


 違う。貴族の館にあるような豪奢さはどこにもない。壁面に装飾の痕跡すら見当たらない。


 ただひたすらに硬く、ただひたすらに機能的で、戦うためでも見せるためでもない、別の意思がそこには刻まれているようだった。


 “使うため”の造り。


「なんだこれ?」


 壁に沿って回り込む。足元の砂がざり、と鳴る。


 入口を探す。


 ない。


 どこにも見当たらない。おそらくは砂に埋もれてしまっているのだろう。


 窓もない。ただ通気孔とおぼしき小さな突起が、いくつか壁面から突き出しているだけだ。煙突らしき構造も見えるが、先のほうは崩れ落ちている。


「やるしかないか」


 壁際に立つ。左手をぺたりと石肌に押し当て、感触を探る。


 冷たい。だが、その冷たさの奥に、石の密度と厚みが手のひらを通して伝わってくる。


 壊せる。


「ここだな」


 足を開き、腰を落とす。右腕をゆっくりと引き絞り、呼吸をひとつ、止める。


――瞬間。


「フンッ」


 踏み込みと同時に繰り出した拳が、空気を裂き、石壁の一点にめり込む。


 ガントレットの硬化が全力で発動し、衝撃が壁の内部を走り抜けていく。


――バガァ!


 轟音。石が砕け、無数の破片が飛び散る。巻き上がった砂塵が、あたりを白く染めた。


 タクミは動かない。構えを解かず、砂塵が収まるのを待つ。


 やがて視界が戻る。


 拳大の穴から内部を覗き込むと、外よりもずっと浅く、床までの距離はおよそ一メートルといったところか。中は思いのほか広い。


 気配は――


「サンドヴァイパーいないよな?」


 目を細め、音を殺してしばらく内部を観察する。


 砂の流れに不自然なところはない。物陰から何かが動く気配もない。ただ沈黙だけが、穴の向こうに満ちている。


「いないっぽいな」


 慎重に、砕けた縁に手をかけ、体を持ち上げる。ゆっくりと中へ身を滑り込ませ、砂まみれの床に着地する。


 鈍い音が、がらんとした空間に響いた。


 内部は冷えている。外の乾いた熱とは違う、閉ざされた空気がひんやりと肌にまとわりつく。


 長いあいだ誰も踏み込まなかった場所特有の、重く沈んだ静けさがそこにはあった。


 奥を見る。巨大な構造物が、闇の中で沈黙している。


「暖炉じゃないよな」


 無骨すぎる。これは生活のための火ではない。もっと別の、加工のための熱。


 ――炉。


 手前に視線を落とす。金属の塊がいくつか転がっている。ひどく腐食しているが、形はかろうじて残っている。


「金床?」


 点と点が、静かに繋がっていく。


「武器工房かなにかかここ?」


 視線が鋭くなる。


 脳裏で、これまで歩いてきた道のりが地図となって組み上がっていく。


 関所の外、旧王国の西側。三つの関所の位置関係。そのひとつから外に出て、ここまでの距離と方角――。


(……サラディン……)


 知識の層にそっと触れる。


 すると、ぷつりぷつりと断片が浮かび上がってくる。関所の外にある工房。ただひとつだけ、そんな記憶がある。


「ゴントの工房」


 情報が、静かに流れ込んでくる。


『名はゴント・イアンハド。種族はドワーフ。王国随一の職人にして高級貴族御用達。金属加工・皮加工に秀で、その技術は他の追随を許さず。作品には刻印——すなわち銘、もしくは交差したハンマーを打つ。弟子は二十を数う。されど——性格は最悪。厭人家、人を嫌い、森の外れに工房を構えたり』


「間違いないな」


 視線を上げる。炉の造り。金床の位置。すべてが、頭の中に浮かんだ情報とぴたりと重なる。


「ゴントの工房。ここか」


 胸の奥が、わずかに熱を持つ。現在位置がほぼ確定した。長いあいだ曖昧だった自分の足取りが、ようやく一本の線になった。


「沿岸部まで」


 距離を測る。


「オルデまで。あと三分の一」


 小さく息を吐く。その白い吐息が、ひどく澄んだものに思えた。


「見えたな」


 十一日。ただ歩き続けた。何もない砂の海を、ただひたすらに。


 ようやく、道が繋がった。


「諦めなくてよかった」


 だが、すぐに表情を締める。


「油断するな」


 ここは安全ではない。ただ“無人なだけ”だ。


 天井が崩落するかもしれない。何かが潜んでいるかもしれない。まだ知らない危険が、いくらでも転がっている。


「とりあえず、拠点にするか」


 見回す。屋根は生きている。少なくとも風は完全に防げる。砂漠の夜をしのぐには、それだけで十分すぎた。悪くない。


 その時――


「ん?」


 違和感。外套の内側に手を入れる。指先が、刺繍の上をなぞる。なにかが引っかかった。


 脱いで、広げる。内側に刻まれた古い文字が、薄暗がりのなかで浮かび上がる。


「ゴント工房作……」


 刺繍は古く、擦り切れかけている。だが確かに、そう読める。


 一瞬、手が止まる。


 そして。


「はは」


 小さく笑う。肩の力が抜けたような、静かな笑いだった。


「ゴント工房か」


 足元を見る。サラトニアフロッグの革で作られたブーツ。その側面に、見覚えのある刻印が刻まれている。


――交差したハンマー。


「これもか」


 視線が柔らぐ。


「世話になってるな」


 八百年も昔の職人。 


 もうとっくに存在しない。


 この世界のどこにも、彼を知る者は残っていない。


 それでも、確かに、その技術だけがここにある。


 自分の腕を包む外套のなかに、足を守る革のなかに、たしかに息づいている。


「ゴント」


 誰もいない空間に向けて、静かに呟く。


「助かったよ……」


 石壁がわずかに反響を返す。


 タクミは立ち上がる。


「少し片付けてやるか。何かあるかもしれないしな」


 崩れた石を寄せ、足場を整える。


 何百年分の砂埃を、手で払い落とす。


 それは掃除というより、この場所に再び息を吹き込むための、ささやかな儀式のようにも思えた。


 火を起こす。慣れた手つきで木片を組み、小さな火種を落とす。パチ、と乾いた音が鳴り、オレンジ色の光が炉の残骸をぼんやりと照らし出した。


 揺れる光のなかで、かつてここにあった光景が、かすかに透けて見えるようだった。


 鉄を打つ槌音。火花の散る熱。無数の武具が、この暗がりの中で生まれていったのだろう。


 今は、静寂だけがある。


 八百年、誰も来なかった場所。


 その沈黙を、小さな焚き火の揺らめきだけが、優しく破っている。


 タクミは火を見つめる。


 考えはしない。


 遠い昔に思いを馳せるでもなく、過ぎ去った時間を惜しむでもない。


 ただ、進むための確認だけが、静かに頭の中を巡っていく。


 距離。水。食料。体力。風。


 すべてを計算し、明日の歩みを組み立てる。


 そして、また歩く。それだけだ。


 パチ。


 パチ。


 火の音が、静寂に小さく響く。


 外はすっかり闇に包まれ、砂は動かず、風も弱い。砂漠では珍しい、凪いだ夜だった。


 その静けさのなかで、タクミは静かに目を閉じる。


 遥か昔の、会ったことのない職人に。


 ただ、言葉にならない恩を感じながら。


 夜は、深く、深く沈んでいく。


(経過日数:338日)



 八百年の時を超えて響くハンマーの音。

 遺された刻印に旅の無事を感謝をする。

 三百三十八日目の夜は静かに更けゆき。

 彼は遥か昔の技術を糧に明日を刻む。


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リシェルとガウル
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