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砂漠転生  作者: たまりん
第1章 砂漠脱出編
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37/82

第37話 再出発


 朽ちた関所を後にし未知なる夜を行く。

 背負いし荷には生存の証が詰まって。

 毒の痛みを糧に変えし戦士の足音は。

 冷たき砂の海を刻み夜空へと響いた。


 

 翌日の夕暮れ。


 タクミは関所の門に立っていた。


 沈みかけた陽が、崩れかけた石壁を赤く染めている。


 古びた関所の輪郭を、すべて燃えるような朱に溶かしながら、夜の気配がゆっくりと空を覆い始めていた。


 風は弱く、足元の砂が音もなく流れていく。


 息をひとつ、深く吐く。


(戻ったな)


 身体は軽い。指先まで違和感はない。


 あの熱に浮かされたような倦怠が、まるで遠い日の記憶みたいに思える。


 拳を握り、ゆっくりと開く。どこにも澱みはなく、力が素直に伝わってくる。


 問題はない。


 視線を関所の内側へ向ける。がらんとした空間。誰もいない石造りの部屋。


 ただ壁だけが、最後の光を受け止めて、鈍く赤く沈んでいる。


「ありがとな」


 小さく呟く。自分でも驚くほど素直な言葉が、自然とこぼれ落ちた。


「助かったよ」


 パンパンと、石壁を軽く叩く。


 乾いた音が、ひび割れた石肌に染み込んで消える。


――パラパラ。


 砂が崩れる。壁の隙間から、細かな粒子がさらさらと流れ落ちていく。


 まるで古い骨が、ようやく役目を終えてほどけていくようだった。


「脆いな」


 苦笑する。


 この関所はもう、十分すぎるほどにその役目を果たしたのだ。


「よし」


 短く区切るように息を吐く。


「行くか」


 振り返らない。砂漠に向けて、ただ一歩を踏み出す。


 そのまま門を抜ける。


 ザッ


 ザッ


 砂を踏む音が、静かに続く。自分の足音だけが、広い世界にぽつりぽつりと置き去りにされていく。


 日はほぼ沈みきり、空は濃紺から黒へと移ろう境目にあった。


 西の端だけがかろうじて朱を残しているが、それも刻一刻と闇に食われていく。


 大地の輪郭だけが、かすかな残光に縁取られて浮かんでいた。


 腰に手をやる。瓢箪型の水筒が、歩くたびに小さく揺れている。軽く叩くと、中身の重みがちゃぷりと応えた。


 水はある。


(大丈夫だ)


 背中にずしりと感じる重み。


 サンドワーム皮のバックパック。


 その感触が、肩越しに今の自分のすべてを物語っている。フォレストダイヤウルフの干し肉。折りたたんだ法衣。焚き火用の木片。ナイフ。


(忘れ物はない)


 肩を軽く回す。背嚢の重みが肩甲骨に食い込む感覚も、今はむしろ心強かった。


 歩く。


 一定のリズムで。足が砂を捉え、離し、また捉える。


 単調な繰り返しが、かえって思考を研ぎ澄ませていく。


 ザッ。


 ザッ。


 風が吹く。


 夜の帳から滑り降りてきた冷たい空気が、外套の表面を撫でていく。


 だが、その冷たさは布に阻まれ、肌までは届かない。


 外套が体温を包み込み、外気をほどよく和らげてくれる。


(ちょうどいい)


 歩きながら、視線をゆっくりと巡らせる。


 岩。その落とす濃い影。風に削られた砂の起伏。


 白一色の平坦な景色だったかつての旅とは違う。今はあちこちに隠れられる場所がある。身を寄せられる岩陰がある。


(いつでも休めるな)


 それだけで、心の持ちようが違う。


 選択肢があるというのは、かくも人間を落ち着かせるものかと思う。


 ザッ。


 ザッ。


 サボテンが点々と立っている。


 あるものは腕を広げたような奇妙な形で、あるものはただ一本、空を刺すように伸びている。


 どれも沈黙したまま、夜の砂漠で息を潜めている。


「腹減ったら頼むぞ」


 ぽつりと呟く。


 返事はない。当然だ。


 風がかすかに砂を鳴らすだけ。


 だが、それでいい。沈黙が、今はむしろ心地いい。


 視線を落とす。足元の砂に、夜が落とした濃い影。その中に、かすかな緑が点々と滲んでいる。生命の色。


 歩き続ける。


 ザッ。


 ザッ。


 ふと、足元に丸いものが転がっているのに気づく。


 止まる。


 しゃがみ込み、そっと拾い上げる。


 手のひらに載せると、ずしりと重い。


 こぶしほどの大きさで、表面はごつごつと硬い。見覚えのある形。忘れようもない感触。


「おまえか……」


 低く呟く。


 砂まみれのそれを指先で転がしながら、苦い記憶が口の奥に広がる。


(こいつのせいで酷い目にあったな……)


 死にかけた。止まらない嘔吐と下痢。


 全身から力が抜け落ち、視界が狭まり、自分の名前すら思い出せなくなるような感覚。あれは、まさしく地獄の底だった。


(砂漠の罠)


 わずかに顔をしかめ、手のひらで転がす。夕闇の最後の残り光を受けて、表面が鈍く濡れたように光る。


「これ、魔獣に食わせたらどうなる?」


 口の端が、ほんのわずかに上がる。どこか悪戯を思いついた子どものような、ひそやかな笑みだった。


「試すか」


 もうひとつ、足元の砂から同じものを探り当てる。


 摘み上げ、バックパックの口を開ける。中はすでに干し肉や木片でぎちぎちに詰まっていて、わずかな隙間もない。


 ギリギリだ。


「入った」


 押し込むようにしてねじ込み、無理やり蓋を閉じる。


 背負い直すと、さっきよりもさらに重量が肩にのしかかる。


「最終兵器」


 立ち上がり、ポケットを軽く叩いた。まるで相棒に語りかけるような仕草。


 背負い直す。重い。肩紐が鎖骨に食い込む感覚が、自分の輪郭をくっきりと刻む。


 だが問題ない。歩けない重さじゃない。


 歩く。


 ザッ。


 ザッ。


 下半身に、わずかな隙間風を感じる。


 スーツの下は関所に置いてきた。汚れきっていて、とうに使い物にならなくなっていた。いや、あのまま着続けるほうが無理だった。


「仕方ない」


 少しだけ息を吐く。歩くたびに、布地のないところを冷たい夜気がかすめていく。


「スカスカするな」


 小さく呟き、微かな違和感に苦笑する。肌を撫でる砂漠の空気は存外に冷たく、慣れるまでもう少しかかりそうだ。


 だが。


「どうせ人はいない」


 こんな砂漠の真ん中で、誰の目もありはしない。気にする意味はどこにもなかった。


 視線を上げる。


 夜が深くなる。


 空には星が滲み、ひとつ、またひとつと、闇に白い穴を穿っていく。


 砂漠の夜空は驚くほどに澄んでいて、光の粒が手を伸ばせば届きそうな距離で瞬いている。


(まだ行けるな)


 足は止まらない。不思議と疲れもなかった。


 むしろ体の芯に静かな熱が灯っているようで、動いているほうが落ち着く。


「距離、稼ぐか」


 小さく呟く。声はすぐに風に攫われ、誰にも届かない。


 応えるものはない。ただ砂だけがどこまでも続く。地平の彼方まで、音もなく、闇に沈んでいる。


 ザッ。


 ザッ。


 歩く。

 止まらない。


 音だけが残る。砂を踏む乾いた音。


 吐く息のリズム。バックパックの小さな軋み。


 それだけが、静かな砂漠に刻まれていく。


 一人の男の足音だけが、どこまでも続く夜の底で、小さく、だが確かに鳴り続けていた。


(経過日数:327日)



 スカスカと風を通す軽装に苦笑しつつ。

 三百二十七日目の月が彼を照らして。

 荒野の静寂を友に男はただ歩きゆく。

 理不尽な世界で彼は己の道を進む。


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リシェルとガウル
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