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砂漠転生  作者: たまりん
第1章 砂漠脱出編
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第3話 召喚された男

――――――――――――――――――――

 冷たい夜風が異界の砂を舞い上げる。

 七百万人を滅ぼした罪の記憶が語られる。

 営業職の男は理不尽な現状にただ困惑し。

 絶望の淵で、運命の歯車が回り始める。

――――――――――――――――――――

 

 砂漠の夜は、昼とは別の顔をしていた。


 昼間あれほど猛威を振るった熱は、嘘のように消え失せていた。


 代わりに、骨の髄まで染み込むような冷気が、瓦礫の隙間という隙間から忍び込み、空間を支配している。


 崩れ落ちた研究棟の壁の裂け目から、夜風がかすかに吹き込んだ。


 さらさら、と。砂が石床を流れる音だけが、静まり返った闇の中で、かそけく呼吸するように満ちている。


 タクミはその冷たい石の床に座っていた。


 背中を壁に預け、膝を立て、その上にだらりと両腕を置く。視線の先には、自分の腕に乗せた二つの籠手。


 水色の宝石を埋め込んだもの。桃色の宝石を埋め込んだもの。どちらも、星明かりを受けて鈍く、沈んだ光を帯びている。


 旧サラトニア王国の兵装――らしい。


「……これだけ?」


 思わず、声に出ていた。


 目の前に立つ蒼い存在――サラディンは、静かに、しかしはっきりと頷いた。


「それだけだ」


 あまりに即答だった。風が、二人の間をすり抜けていく。


「いやいやいや」


 乾いた笑いが、自然と漏れる。自分を落ち着かせるための、そんな笑いだった。


「普通さ、あるだろ。こういうのって」


 指を一本立てる。ひび割れた天井を仰ぎながら、まるで見えない誰かに訴えるように。


「勇者の力」


 二本目。


「無限魔力」


 三本目。


「レベルアップ機能」


 四本目。


「ステータス画面」


 五本目。指を開ききった手を、かざすようにして。


「チート」


 サラディンは、ゆっくりと首を横に振った。蒼く透き通った輪郭が、かすかに揺らめく。


「ない」


 沈黙。


 長い沈黙。耳が痛くなるほどの、静けさ。


 タクミはゆっくりと天井の崩れた穴を見上げた。


 剥き出しになった夜空が、ぽっかりと口を開けている。


 星が、異様に近い。手を伸ばせば届きそうなほどに、冷たく、無数に散らばっている。


「……マジか」


 それしか出なかった。言葉は、白い息になって闇に溶けた。


 漫画やゲームなら、ここで光が降りる。特別な力が覚醒する。世界最強の称号が与えられる。


 だが現実は、砂漠。崩れた建物。幽霊のような亜神。そしてガントレット二つ。以上。


「硬化の兵装は何者をも寄せ付けぬ」


 サラディンの声は低く、波の底のように静かだ。その響きだけが、やけにこの空間に馴染んでいた。


「まあ……」


 肺の奥に溜まっていた熱を、ゆっくりと吐き出す。


「ブラック企業からは逃げられたけどさ」


 研究棟の外へと視線を向けた。


 崩れた壁の向こうには、夜の砂漠がどこまでも広がっている。


 地平線まで、何もない。音もなく、ただ闇が堆積している。


「これはこれで、ハードモードすぎない?」


 サラディンは答えない。その沈黙が、何よりも雄弁に事実を語っていた。


 タクミは観念したように、その場に仰向けに寝転がった。


 背骨に石床の冷気が直接刺さる。天井の穴に切り取られた星空が、視界いっぱいに広がっていた。


「帰れないんだろ?」


 視線は星へと向けたまま、静かに問う。返事はない。だが、それが答えだった。


 目を閉じる。冷たい瞼の裏で、これまでの人生が走馬灯のようにチラついた。


(まいったな)


 営業は辛かった。


 だが、そこにはまだ生活があった。コンビニ。終電。スマートフォンの青い光。温かいシャワー。安い居酒屋の騒がしさ。


 今は、何もない。あるのは、砂。そして、この体の芯まで冷やす、静寂だけだ。


 風が吹く。やがて、その風に混じるように、サラディンが言った。


「水筒を渡しておこう」


 空間が揺らぐ。


 蒼い光の粒が集まり、複雑な幾何学模様が静かに回転する。


 魔法陣だ。


 そこから、ぽとりと、無骨な瓢箪型の水筒が落ちた。タクミは反射的に手を伸ばし、それを受け止める。


 軽い。


「水成の陣が刻まれている」


「水を生み出す」


 タクミは眉を上げ、水筒を見つめた。手のひらの中で、ひんやりと冷たい。


「……それは助かる」


「砂漠に於いて、水は命そのもの」


「食料は?」


「魔獣を狩るといい」


「魔獣?」


 聞き慣れない単語に、思わず聞き返す。


「主たるは、サンドワーム。大サソリ。ロドス」


 サラディンの声は淡々と、その物騒な名前を並べ立てる。


「……食えるの?」


「食える」


 タクミはしばし天井の星を見つめ、それから、ゆっくりと遠い目になった。


「営業マンから魔獣ハンターか」


 小さく呟いた自分の声が、妙に遠く聞こえた。


 だが、不思議と、絶望はなかった。怖くはある。


 自分の身にこれから降りかかる理不尽を思えば、足がすくむ思いだ。


 だが、心のどこかが、驚くほど軽い。


(毎日数字に追われるよりは)


 自分の生死がこれほど明確な方が、まだ、わかりやすい。


 タクミは体を起こし、改めて水色の宝石が埋め込まれたガントレットを手に取った。ずっしりと重い。


「で。使い方は?」


「水色の霊符《れいふ》」


 言われた通りに腕にはめる。重い。


 しかし、金属が肌に触れた瞬間、じわりと熱が広がり、まるで最初からそこにあったかのように腕に馴染んでいく。


「それは硬化の兵装」


 サラディンの声が、わずかに強さを帯びた。


「身をして鋼以上の堅牢を備えしめる」


 タクミは目を瞬かせ、自分の拳を見つめる。鋼以上。


「……それ強くない?」


 ようやく、口元に素直な笑みが浮かんだ。


「強い」


 サラディンのその言葉に、少しだけ、口角が上がる。


「ただし」


 サラディンの声が、注意を促すように低くなる。


「全身を硬化せば、もはや動くこと能わぬ」


「欠点あるんかい」


「一部のみに留めれば、身動きは奪われぬ」


「なるほど」


 タクミは拳を握ったり開いたりしながら、相槌を打った。


 次に、桃色の宝石がついた方を持ち上げる。水色のものより、どこか不思議な温かみがあった。


「これは?」


「形なきものに形を、虚ろなるものに触覚を付与する」


「……?」


「呪われし亜神を消滅させるための兵装」


 その一言で、空気が変わった。桃色のガントレットが、急に重くなった気がした。


「ただし、その耐久性は著しく低い」


「わずか数度の使用で不可逆的な崩壊を来す」


 タクミは言葉を失い、手の中のガントレットを見つめる。


 見た目は軽そうなのに、ずしりと手に食い込む。これには、使命が乗っている。


「重要アイテムじゃん」


「そうだ」


「慎重に使え、と」


「そうだ」


 再び訪れた沈黙。風が、崩れた壁の隙間で笛のように鳴る。砂が、さらさらと流れる。星が、無言でまたたく。


 タクミはゆっくりと立ち上がった。


 関節がポキリと鳴る。外へと歩き出す。


 研究棟の入り口だった場所に立つと、どこまでも広がる夜の砂漠が、彼を待ち構えていた。


 果てしない世界。理不尽。不条理。説明不足。


 だが。


「……まあ」


 小さく笑う。それは、自分自身に言い聞かせるような、静かな笑みだった。


「なるようになるか」


 投げやりではない。


 諦めでもない。ただの事実。


 この世界で、自分の足で立って、進むしかないという、ただそれだけの事実だ。


 背後で、サラディンが静かに目を閉じた。


 八百年。彼はこの場所で、ただ一人、罪を抱え、王国の滅びを見続けてきた。


 その永い贖罪の時間が、今、ようやく動き出そうとしている。


 砂漠の夜は、変わらず冷たい。


 骨の芯まで凍えさせるような、容赦のない冷たさだ。


 だが、ほんのわずかに。風の中に、熱が混じった気がした。



――――――――――――――――――――

 異形の籠手が男の腕に力を与えゆく。

 だが敵は神に等しき亜神たちである。

 帰路なき砂漠で彼は何を掴むのか。

 希望なき生存の物語が今、静かに始まる。

――――――――――――――――――――


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リシェルとガウル
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