第4話 水の亜神
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揺れる焚き火が虚無の闇を切り裂く。
語り継がれる過去と、狂える亜神の影。
見知らぬ土地へ、男はただ足を向ける。
過酷な荒野を往く、旅路が幕を上げた。
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火が、小さく爆ぜた。
乾いた薪が弾け、赤い火の粉が闇へ散る。
その一瞬だけ、崩れた石壁が明るく浮かび上がった。
冷気が足元から這い上がる。昼の熱を忘れた砂漠は、まるで別の世界のようだった。
研究棟の屋根は崩れ、天井は抜け落ちている。
星だけが、遠く冷たく瞬いていた。
タクミは石床に座り、焚き火に手をかざす。
影の向こうに、水の亜神サラディンが立っている。半透明の身体が、炎に照らされ淡く揺れていた。
「この世界は、三つの大陸から構成される」
静かな声が、夜気に溶ける。
「中央大陸、北方大陸、更には南大陸から成る」
タクミは腕を組んだまま聞いていた。
「此処は中央大陸の中央部——かつてサラトニア王国の栄えた地にほかならない」
視線を外へ向ける。月明かりに照らされた砂の海。起伏もなく、果ても見えない。
「……七百万人、だったか」
「そうだ」
サラディンは頷く。
「城も港も学院も、その地には揃っていた。交易の中心、文化の都——それこそがサラトニアであった。我々が——それを終わらせたのだ」
焚き火が小さく爆ぜる。タクミは責めない。慰めない。ただ炎を見ている。
「他の亜神は?」
淡々とした問い。
「世界の全ての地へと、散り去った」
サラディンは静かに答える。
「自らを枷にはめた者も、少なからず存在する。……壊れしは、ただ一人なり」
炎が揺れる。
「炎のヴァルディア」
その名は、重い。
「彼女は、炎の根源に触れ、その自我が焼き尽くされた」
火がぱちりと弾ける。
「暴走か」
「違う。似て非なるものだ」
静かな否定。
「人格は磨滅し、そこに残存したのは——『燃やす』という、ただ一つの原初的欲動のみ。他の者たちは、壊れてはおらぬ。罪を負いて、なお生きている」
タクミは小さく息を吐いた。
「人間だって、壊れるときは壊れる。百年もいらない」
サラディンは目を細める。
「君は恐れないのだな」
「怖いよ」
即答だった。
「でも、どうにもならないことを考え続けても意味ないだろ」
薪を突く。
「で、この砂漠。どっちに行けばいい」
サラディンはわずかに顔を上げる。
「海沿いに町がある。漁港町」
「名前は?」
「オルデ」
短い響き。タクミの表情が、ほんの少し緩む。
「町があるなら十分だ。……距離は分からぬ」
「……は?」
「私は、この研究棟の外に出たることなし」
「永遠の時を生きるニートか。俺がいた世界のニートが霞んで見えるな」
夜風が強く吹き、焚き火が揺れた。タクミは数秒黙る。それから、笑った。
「まあ、知らない土地に放り込まれるのは慣れてる」
出張営業。知らない街、知らない客。行けば、何とかするしかない。
タクミは立ち上がった。崩れた入口の外へ歩み出る。砂が靴の下で沈む。夜の砂漠は広い。
静かで、冷たく、容赦がない。それでも——
「とりあえず、そこ目指すか」
拳を軽く握る。
「生き延びることだ。それ以外に優先すべきはない」
「了解」
軽い返事。
だが足は止まらない。タクミは空を見上げる。見知らぬ星々が瞬いている。
完全に異世界だ。帰れない。保証もない。力もない。それでも。
「行くしかねえか」
小さく笑う。
その背を見つめながら、サラディンは目を閉じた。
八百年。止まっていた時間。贖罪という言葉だけで繋ぎ止めてきた存在理由。その歯車が、わずかに動く。
このとき、タクミはまだ知らない。
砂漠の本当の広さを。乾きと飢えが、人をどこまで削るのかを。
そして——漁港町オルデへ辿り着くまでに、一年を超える歳月を要することを。
夜は静かだった。だが物語は、もう止まらない。
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知識なき道標は、ただ一つの町の名だけ。
距離さえ分からぬ広大な砂海へ漕ぎ出す。
男の背を見送り、亜神の時間が動き出す。
数多の苦難を予感させ、夜が更けていく。
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