第23話 蛙の軍靴
城の奥底で古の精鋭が履きし軍靴を得る。
歩むたびに地を蹴る力は遠き旅路の糧。
軍の記念品が八百年の闇から解き放たれ、
足取りを軽くし男は更なる深淵を往く。
城塞遺跡探索、十日目。
外套を見つけてから、これといった遺物は出ていない。
拠点に戻り、バックパックから法衣を取り出した。大樹司祭の法衣。
この三ヶ月、砂と汗と血、そして泥臭い肉汁を一身に吸い込んできた相棒だ。
鼻を近づけると、鼻腔を突くほどの過酷な臭気が鼻を突く。
「……世話になったな」
捨てる気にはなれない。畳んで丁寧にバックパックの奥にしまった。街に着いたら、ちゃんと洗ってやる。
今日の探索目標は倉庫区だ。
城塞の奥深く、そこは瓦礫が丘のように積み上がっていた。
崩れた壁、折れた梁、砕けた木箱。何層にも重なり合い、かつての生活を押し潰している。
「ここ、後回しにしてたんだよな」
足元の木片を拾い上げ、指で軽く押す。
ボロッ、と脆い音を立てて崩れ去った。やはり、ここの木材は全て腐り果てている。
食料庫だったのか、武具庫だったのか。確かめる術すら失われている。
「……やってみるか」
タクミは距離を取り、瓦礫の山に向かって助走をつける。
足が当たる直前――意識を一点に集中させ、瞬時に硬化を発動。
――バゴォ!
衝撃音が響き、瓦礫の山が爆発するように崩れ去った。すぐに硬化を解除する。
これは完全にタイミング勝負の荒技だ。移動中に転んだら命取りだが、瓦礫処理にはこれ以上ないほど適している。
「これなら、少しはマシな物が出てくるだろ」
何度も助走と硬化キックを繰り返し、倉庫の奥へ無理やり道を作る。
舞い上がる砂煙と埃に咳き込みながら作業を続けていた、その時だった。
瓦礫の下、深くに埋もれていたものが目に留まった。
「……ん?」
石を蹴り、崩れた木材を払う。
現れたのは、木箱だった。周囲の木片とは明らかに質が違う。
木目は滑らかで、八百年の時を経たとは思えないほど状態が良い。
表面を撫でると、緻密な劣化防止の魔法陣が刻まれていた。
さらに、側面の刻印に目を凝らす。
サラディンの知識を脳裏に呼び覚ますと、即座にその正体が判明した。
「辺境伯家……『王国の盾』か」
紋章には『西方守護』『王命直轄』の文字。単なる貴族ではなく、王国の中でも特別な権限を持つ軍の名家だ。
そして、小さく『入隊記念品』と刻まれている。
軍の記念品。蓋をギィと押し開くと、中には一足のブーツが収まっていた。
灰色の軍靴。革の質感は驚くほど柔軟だ。
「少し小さいな」
自分のボロボロになったローファーを見比べる。底は擦り切れ、布は裂けている。
ダメ元で足を入れてみた。
ヌポンッ。
その瞬間、革が生き物のように柔らかく伸び、足の形にぴたりと密着した。
締め付けはないのに、まるで自分の足の一部になったかのようなフィット感だ。
「なんだこれ……」
一歩踏み出す。驚くほど軽い。サラディンの知識が素材の正体を告げる。
『サラトニアフロッグの外皮』。
刃を弾き、衝撃を推進力に変え、長距離行軍を可能にする、当時の王族や上級貴族のみが履いた王国の象徴。流通すらごく僅かな超高級品だ。
「……なるほどな。辺境伯家の坊っちゃんに贈られた逸品か」
地を蹴る。軽く跳ねるような弾力がある。
タクミは履き替えたローファーをその場に置いた。
ありがとう、営業靴。
木箱を持ち上げ、これで井戸から水を汲めないかと考えていた、その時だった。
ギャアアアッ!!
頭上で、ロドスの断末魔が響いた。
タクミは顔を上げる。崩れた司令塔の上空で、何十匹ものロドスが狂ったように旋回し、逃げ惑っていた。
――バキィッ。
空中で肉が引き裂かれる悍ましい音。
一匹が空へ引き上げられた。影の正体を見た瞬間、タクミの心臓が冷たい氷で縛り上げられた。
翼。巨大な爪。
体長は優に二十メートルを超えている。
「飛竜……?」
(……サラディン……)
タクミは呼吸を止め、意識を脳内のデータベースへと叩きつける。
ワイバーン。その種の判別は、生と死を分ける。
『……もしワイバーンに出会ったなら、まず色を確認しろ』
脳裏で、サラディンの冷徹な声が響く。
『黄と赤――乾燥地帯の亜種。気性は荒いが、縄張りを侵さなければ深追いはしない。回避可能』
『青と緑――密潤地帯型。毒嚢を持つ個体が多く、持久戦は危険』
『総じて繁殖期や抱卵期は凶悪化する。巣の半径一キロ以内には近づくな』
知識の奔流は、そこで一度淀んだ。
そして、禁忌に触れるように言葉を紡ぐ。
『黒と白銀――』
その単語が浮かんだ瞬間、タクミの脳裏で警報が鳴り響いた。
『出会うことはない。王国史上、確認例は数件のみ』
『……即時離脱。交戦を考えるな』
『魔力出力、肉体強度、飛行速度、再生力――すべてが規格外。単独で都市を壊滅させ得る、討伐対象ではない。……「災害」として扱え』
タクミは目を凝らした。
空を覆う巨体。翼を広げれば、太陽を遮るほどの面積がある。
鱗は、光を吸い込むような漆黒。
「……黒」
その一色を視認した瞬間、心臓が凍りつき、四肢から熱が引いていく。
死の匂いがした。いや、死そのものが空に浮かんでいる。
「……出会って……しまった……」
この城塞は、今や一匹の「災害」の餌場と化した。
(経過日数:百十三日)
空を覆い尽くす漆黒の翼が死を運ぶよ。
災害という名の王にその瞳を捕らえられ、
百十三日目の静寂は恐怖に塗り潰され。
逃げ場なき城塞で男は死と対峙をする。





