武神と不撓不屈と愚か者の異世界探索行 中日
寒すぎて震える
ほんのりと甘い香りの湯気に包まれながら、とんでもないことになっちゃったなぁと、大山サトシは湯船の中で正座になり壁を見つめる。
異世界最大の武力を有する組織12種族連合。その筆頭指南役であるというアンジェリカ。
エルフ温泉郷でお世話になった牛人族の介護士で高名な冒険者であるマリーと、彼女が所有する7体のゴーレム。
サトシは彼女たちと一緒に、深淵域種というエネミーが操る転移魔法により、温暖な港町から荒涼たる大地が広がる別大陸へと跳ばされてしまった。
エネミーはアンジェリカが消し飛ばしたが、歴代の魔王とやらが顕現するという、とんでもなく危険な場所らしい。
12種族連合の転移装置が備えられている要塞まで、歩いて3日はかかる位置という事だ。
寒風が叩きつけてくる夜の平原を、襲ってくるエネミーを撃退しながら長時間徒歩移動する事になり、サトシの体は冷え切っていた。
アンジェリカの案内で、歴代の勇者パーティが作り上げたという秘匿拠点へと辿り着き、そこでようやく休息を取る事が出来た。
マリーのゴーレムが食材を出してくれたので、サトシはそれを使い、皆に暖かな料理を作り腹を満たす。
食後に片付けをしていると、マリーが風呂の温度がちょうどいいというので、サトシは喜んでログハウスの奥にある風呂場に向かった。
服を脱ごうとすると、脱衣所に入ってきたマリーのゴーレム4号が、大量の入浴剤を取り出して、グイグイと押し付けてくる。
「4号は入浴剤を集めているの?これがおすすめなんだ?ありがとう、使わせてもらうね」
桜色の球状の入浴剤がイチオシらしく、ありがたく使わせてもらう。
風呂場はなかなか広く作られており、シャワーが備え付けられた洗い場に、サトシが足を伸ばしても余るくらいの木で作られた湯船が備わっている。
シャワーで体を洗い汚れを落とし、入浴剤を投入した湯船に体を沈めた。
最初は熱いと感じるが、少しの時間が過ぎるとちょうど良く感じる。冷えていた足の爪先がゆっくりと温まり、強張っていた体がほぐれていくのが分かる。
「ふぅ、お風呂はいいなぁ……リリンが生み出した文化の極みだよぉ」
体が温まってくると心も穏やかになる。
古のアニメの名台詞が、サトシの口をついて出る。
いや、あれは歌だったかな?彼が出るとボインレーでノウジルなんだと、ユウキがよく分からない事を言っていたなぁと思い出す。
皆んなは無事かなと思うけど、あちらにはジュリアがいるし、エリナがいると考えれば安心出来る。
なにせジュリアはとんでもなく強いし、エリナはすごく頼りになるリーダーなので。
サキとセイラはいつも通りイチャイチャしているだろうけど、心配をかけて申し訳ないなと思う。
サトシが居ないとご飯を作れるのがサキとユウキだけなので、負担をかけてしまうのも心苦しい。
そして、サーシャ。
あの優しいお姫様の護衛をしていたのに、サトシはこんな遠くまで飛ばされてしまった。帰ったら叱られるだろうなぁと思う。
あと、メイド長には尻を蹴られそうだし、双子からはイジられそう。
そういえば、メイド長のミリアがアンジェリカの試練に生き残ったら、いい事をしてやるって言っていたなと思い出す。
いい事って何なんだろう。サトシは全くさっぱり一切興味はないけれど、ちょっとだけわずかに微かに気にならない事もない。
柔らかな香りのする桜色の湯に、ミリアの艶やかな唇を思い出し、サトシの鼓動は速くなる。
そういえばここ数日はジュリアとマリーの訓練が厳しくて、シャワーと食事を済ませた後は、ジュリアとサーシャの話し声を聞きながらすぐに寝入ってしまっていた。
最後にスッキリとしたのは、温泉郷を出た日だ。洗い場でサッパリしておくべきかと思う。
明日の早朝は天気が荒れそうだというアンジェリカの判断で、出発は日が昇るまで様子を見るという。雨が降ると厄介なエネミーが出現するそうだ。
致してしまっても、体力を回復する時間は充分にある。
「サトシ〜?湯加減どない?」
「ヒィ!?すごく……気持ちいいです……」
やるかと決意も新たに湯船から出ようとしたら、マリーの声がしてサトシは震える。
「なんやの?変な声だして……お母ちゃん、湯加減ええみたい」
「魔石に収納してあるのは、温泉郷の湯ですからね。2代前の勇者はお風呂にこだわりがある子だったので、彼女の要望により設置したのです」
ガラリと木で出来たスライドドアが開き、マリーとアンジェリカが入って来る。
「お母ちゃんは勇者パーティに何回か入ってた言うてたもんなあ」
「定期的に上位存在の神託を受けて転移して来るのですが、異世界勇者はいつも弱い子ばかりですからね。心配でつい手助けしてしまうのです」
サトシは慌てて内腿に荒ぶりかけた益荒男を挟み込み、壁に向かって正座をする。
「先代はめっちゃ強かったて聞いた事あるけどなあ」
「ああ、あの子はなかなかの腕でしたね。かなり強くはなりましたよ。今のマリーと同じくらいには達していましたね」
勇者について語り合いながら、掛け湯をして湯船に入る2人。
牛人族やエルフ氏族が、身内と認めた人間に対して、肌を晒す事にあまり頓着しないのは薄々気がついていた。
それでも、まさか何も隠さないで入ってくるとは想像の埒外であり、魔法使い歴7年目に突入したサトシには刺激が強すぎる。
小柄ながら小さな頭と短い胴に長い脚のマリーと、華奢ながら女性特有の丸みを帯びたアンジェリカの美しい肢体が、チラリとしか見ていないのにサトシの脳裏に焼き付いた。
「そ、そろそろ僕は出ようかな。いいお湯だったなぁ」
言い訳をして、サムズアップしたがるブツをタオルで隠しながら湯船を出る。
「サトシ!あかんやろ!あったまって体から垢浮き出とるやろうし、きちんと洗わんと!しゃーないからうちが背中擦ったげる」
「あらまあ、マリーはお母さんみたいですね」
ザバリとマリーが勢いよく立ち上がる音を尻目に、慌てて脱衣所に逃げようとするサトシだが、唐突に体が動かなくなった。
床から植物で出来た椅子のようなものが生えてきており、そこに拘束されてしまっていた。
「ヒェッ!?なにこれなにこれなにこれ!」
サトシは抜け出そうと全力で足掻くがびくともしない。
「無理ですよ。それ、パニックを起こした方を落ち着かせる麻酔成分がありますから。おとなしく洗われなさい。隅々まで綺麗にしてさしあげますから。隅々まで……ね?」
目の前にはにっこりと優しく笑うアンジェリカが立っていた。いつの間に湯船から出たのかすらサトシには分からない。
サトシに理解できたのはただひとつだった。
(アンジェリカさん、絶対にメイド長と同じタイプだ!絶対に逆らわないようにしよう!あと、出来るだけ近づかないようにしよう)
優しい表情と言葉遣いなのに、サトシを見る目が捕食者そのものだ。
「あの、優しくしてください……」
ぶるぶる震えながらもサトシは懇願する。
「そんな怯えた顔と声をするなんて、イケナイ子ですね。わたし、少し昂ってしまいそうです」
「お母ちゃん、つまみ食いしたらあかんよ。ジュリアちゃんやエリナちゃん、サーシャ様が先や。順番は守らなあかん」
「マリーはお堅い子ですね。サトシさんは硬くなっているようですが」
サトシの益荒男を見て、ニンマリと笑うアンジェリカが怖い。
怖すぎてギュッと目を閉じる。
そして、サトシはこの後、2人にめちゃくちゃ丁寧に隅々まで洗われた。
バスタオルで体を拭いながら、サトシはスゥスゥする股間に違和感を感じる。
マリーに足の指の間から頭の地肌まで、いい香りのする温泉郷特製石鹸を使い洗われたのは気持ちがよかった。
しかし、明日からしばらく着替えられない可能性があるからと、体を清潔に保つ為という理由で、アンジェリカに髭と首から下の体毛を全部剃られてしまった。
「何だか風通りがいいな……しばらくしたら慣れるんだろうけど」
いつもと違うペタペタした感触に戸惑いながら、服を着ようとするが、脱衣場のカゴに入れていたはずなのに見当たらない。
「あ!サトシ!服なんやけど3号が洗ってから、防寒対策するみたいやから、今夜はバスローブで寝てな」
マリーの声に棚を見ると、折り畳まれた大きなバスローブがあった。さっそく着てみると、とても着心地が良い。
「マリー、ありがとう。これすごく肌触り良いよ」
「温泉郷の特製や。うちらは少し話あるから、先に寝ててええで」
「うん、わかった。先に休ませてもらうね」
2人は洗いっこした後、また湯船に浸かっていた。
女性のお風呂は長い。急かしてはいけない事をサトシはここひと月で学んでいた。
寝室に向かうとゴーレム2号がドアの前でヤンキー座りをしている。それを見て、マリーのゴーレムたちは、それぞれに個性豊かだなぁとサトシは感心する。
そういえば、あちらの世界のコンビニでたまにあっていた、母と仲が良いご近所のサナちゃんは元気かなあと思い出す。サトシが夜中にコソコソと買い物に行くと、いつも入り口近くでヤンキー座りをしていて、飼い猫のモモの画像を見せるように言われた。
夏はアイスを、冬は肉まんを一緒に食べながら、モモの画像を飽きることなく見ていた。
何にも言わずに異世界に来ちゃったから、サトシのことはともかく、母とモモの心配をしているだろうなと思う。生きて戻れたら連絡しようとデバイスの予定表に書き込む。
デバイスを閉じると、目の前に木の水筒のようなものがグイッと差し出された。
「これ、飲んでいいの?」
2号にもらった水筒の蓋を開くと、果汁らしきものが入っていた。ひとくち飲むと、桃のような柔らかな甘さと香りがする。乾いた体に染み込むような喉越しの良さに、再び口をつけて一気に飲み干してしまう。
「すごく美味しかったよ。ありがとう2号」
マリーのゴーレムは7体とも人型をしている。
柔らかな銀色に輝く金属で作られており、頭部があり胴体があり四肢がある。しかも、腕には5本の指まである。顔には目にあたる部分に魔石が2個埋め込まれていて、それが輝いて感情を表しているようにも見える。
礼を言って2号に水筒を返すと、ドヤ顔をしているような雰囲気をサトシは感じた。
寝室に入ると20畳くらいの大きな部屋だった。キングサイズのベッドが2台あり、敷布団と掛け布団に毛布が用意されていた。
奥のベッドの傍にゴーレム6号がいて、ぴょんぴょん跳びながら手招きしている。近づくとポフポフとベッドを叩き出した。
「ここで寝ていいの?」
そう聞くと、6号は両手を腰に当てて何度も頷く。
動作が軽やかでとても可愛らしい。
サトシは礼を言ってベッドに横になると、薄くて軽い毛布と羽毛布団をかけてくれた。サラサラとした感触がある。ほぼ重さを感じないのに、とても温かい。しかし、熱がこもることもなく快適である。
寝具の準備をしてくれたマリーとアンジェリカにお礼を言いたくて、2人のお風呂上がりを待とうと思ったが、疲れていたらしく意識はすぐに無くなった。
夢を見ていた。夢だとわかる夢だった。
サトシの住む家から少しだけ歩いた、川沿いにある満開の桜並木を抜けた先にそのコンビニはあった。
明るいコンビニの入り口から、少し離れた場所でその女の子はヤンキー座りをしていた。
「サトシ!おせーぞ!腹減って倒れそうだ!」
ご近所に住むサナが睨みつけてくる。サトシより20歳は年下で、祖母と母親と3人住まいだ。
少し脚が悪い祖母をよくお世話している。綺麗に染められた鮮やかな金髪は、小さく華やかな顔立ちによく似合っていた。
「サナちゃんは母の店で夕食を食べたんじゃないの?」
「食べた!今日は煮込みハンバーグだった!アオイさんのご飯はいつも美味い!でも、この時間は腹減るんだ!」
若いってすごいなと思う。母の作るハンバーグは1個250グラムはある。それを食べたのにお腹が空くなんて若い胃袋はすごい。
お腹が減ったのに、サトシが来るまで待っていたらしい。
「それじゃあ肉まんでも食べる?」
「食う!あたしはピザまん!2個な!」
サナがデバイスを向けてくるので、サトシも差し出すと電子マネーが譲渡される音がする。
「サナちゃん、金額が多いよ」
「いいんだよ、あたしはモデルのバイトで稼いでんだから」
サトシは詳しくないが、サナはモデルさんとして有名らしい。まだ10台半ばなのに偉いなあと感心して、働くことなく母から小遣いを貰っている事が情けなくなる。落ち込みながらも、肉まんとピザまんに飲み物を買う。
外に出るとサナが嬉しそうな顔で受け取り、早速かぶりつく。
「美味え!冬のピザまんより、春のピザまんの方が美味く感じる!あ!モモちゃん!モモちゃんの画像見せろ!」
デバイスを渡すと、目を輝かせて写真フォルダを開き画像と動画を見出す。
「可愛いなぁモモちゃん。窓越しにあたしと目が合うと、いつも目を細めて鳴いてくれんだ!ほんとに可愛いなぁ」
その姿を見ながら、サトシも肉まんにかぶりつく。
母の店のお客さんがくれる、関西名物334の豚野郎まんも美味しいけれど、コンビニの外でかぶりつく肉まんは、どうしてこんなに美味しいのかと思う。
でもこれは夢だ。昨年の春にあった出来事を夢の中で繰り返しているだけだ。
しかし、この肉まんは大きくて弾力がすごい。口に含んでも全くほぐれない。それに何だか甘いような気がする。おかしいなぁと思いながら、口に押し込み続けていたら、ゆっくりと意識が覚醒する。
蕩けそうな甘い香りと、張り詰めた柔らかな弾力にふわふわとする。
「もう、サトシは甘えん坊さんやなあ」
マリーの声がする。サトシの意識が鮮明になってくる。これはまずいんじゃないかと思う。
どう考えても、マリーに頭を抱えられている。それじゃあこの口に含んでいるのは。
「申し訳ありませんでした」
サトシはベッドから飛び降り、正座をして、床に頭をつけて謝罪をする。古式ゆかしいジャパニーズ土下座である。
「そんなんせんでええんよ。別に減るもんやないんやから」
何だかものすごく上機嫌な声のマリー。
「牛人族は赤ちゃんがいなくても、定期的に胸が張りますから、吸い出してあげるといいですよ」
笑みを含んだ声のアンジェリカに、この人は何を言っているのかと、サトシは戦慄を覚える。
牛人族の女性にはそういう特性があると聞いてはいたが、無許可で直に吸い付くなど許されるわけがない。なにせ角と胸は牛人族にとって神聖な物だと聞いたこともあるし。
「もうええから、はよ着替えて朝ごはんにしよ。サーシャ姫さまやジュリアちゃんたちが心配やしな」
マリーはそう言って寝室から出ていく。
顔を真っ青にして項垂れているサトシに、ゴーレム3号が服を手渡してくれる。
「あ、服を洗濯して防寒耐性をつけてくれたの?ありがとうね3号」
戦闘用補助服はいい香りがした。見た目は変わらないが、こちらの世界には付与術という謎技術があり、寒くないようにする機能を付けてくれたのだろうと思う。サトシが着替えようとすると、アンジェリカがジッと見つめてくる。
「スッキリ、させてあげましょうか?」
「大丈夫です」
楽しげに笑いながら出ていくアンジェリカ。
異世界エロフめ!けしからん表情で誘いおって!サトシが歴戦のベテラン魔法使いじゃなければ、屈していたかもしれない舌を突き出し誘うようなけしからん表情だった。
おはようございますしたがるマイサンを、深呼吸しながら宥めて服を着る。着心地は同じだが、昨日までと明らかに違う暖かさに頬が緩む。
「すごくあたたかいよ。ありがとうね3号」
プイッと横を向いて出ていく3号の後ろを、弾むような足取りの6号がついていく。ドアの外で何か揉めているような気配があり、マリーのゴーレムたちはまるで人間みたいだなあとサトシは思う。
サトシが朝食を作ろうと外に出ると、竈の前で5号が立っていた。流し場の横にある台に、果物や卵、ベーコンが並べられてある。驚くことに、サトシの母が喫茶店で使っているホットケーキミックスまであった。高品質で有名なメーカーのものだ。
使っていいと5号が身振りで示してくれたので、朝食にホットケーキを焼いて、果物をカットしたものを乗せた。ベーコンエッグと野菜サラダも添える。
昼食は移動しながらの可能性もあると、アンジェリカから言われていたので、硬いパンにバターと辛子マヨネーズを塗り、しっかり火を通したベーコンと厚焼き卵のサンドイッチを用意した。
デバイスを確認すると朝の6時だった。外の天気が荒れているという事で、朝食をゆっくりと摂る事になった。アンジェリカとマリーはよく食べる。サトシは少し量が多いかと思っていたが、2人は綺麗に食べ尽くしてくれた。
「ご馳走様やで。美味しかったなぁ。お腹いっぱいや」
「よいお味でしたよ。ご馳走様です。サーシャ姫さまに捨てられたら、わたしが養ってあげますね」
サトシの体調もかなりいい。前日は疲労困憊だったが、しっかり食べて風呂で温まり、ぐっすり眠ったお陰で体が軽かった。
戦闘用補助服の上から戦闘用重装甲を身につける。なんだか軽く感じると思ったら、重量軽減、物理と魔法の両方に対する防御力を高める付与を、アンジェリカがつけてくれたそうだ。
さらに、その上からアンジェリカが出してくれた大きな外套を羽織る。美しい緋色をしていて、内ポケットが沢山ついてあり、びっしりと魔法紋様が織り込まれていた。
「サトシ、移動の隊列決めるで。まず、先頭はお母ちゃんが進む。索敵、戦闘、結界の全部がいちばん上手いのがお母ちゃんやから。次に0号を配置して、その後ろにサトシや。その左右に3号と4号。サトシの後ろにうちが入って、その左右に1号と2号が入る。うちの後ろに5号と6号や。ええか?戦闘は出来るだけ避ける。移動を優先するから、歩き詰めになるで」
「もし会敵した場合、戦闘はわたしとマリーが行います。サトシさんの攻撃力はなかなかのものですが、人型以外に当てる技術はまだまだです。戦闘が始まったら、ゴーレムが囲みますから、腰を落としてじっとしていてください。この辺りのエネミーは強力ですからね」
マリーは装備を変えていた。斧は右手に銀色のものだけで、もうひとつの巨大な斧は収納魔法を付与したポーチに入れているそうだ。左手には小手をつけていて、いつもは剥き出しの脚に、鮮やかな緋色の脚絆を付けている。胴体部分には何らかの皮で出来た真紅の軽鎧を装備していた。
アンジェリカは短い杖を持ち、10個の小さな盾を宙に浮かしている。何だか見たことがあると思ったら、サーシャに今の戦闘スタイルを教えたのがアンジェリカだという事だ。
2人の装備はおそらくサトシを守る為のものだ。エネミーとの戦闘経験が乏しい為、足手まといになってしまう。せめて、迷惑だけはかけないようにしなければならない。
「よろしくお願いします」
食事と後片付けを終えて1時間ほどが過ぎると、荒れていた天候は落ち着いたようで拠点の外に出る。
薄暗い曇天で太陽は見えず、霧雨は降っているが風はそこまで強くない。気温は相変わらず低いが、サトシの戦闘補助服には3号が防寒機能を付与してくれたお陰で暖かい。
道らしきものが一切ない荒野だが、アンジェリカには進むべき方向が分かるらしく、軽やかに散歩でもするかのように歩いていく。
それにしても、昨夜はあれだけ襲ってきたエネミー群が近づいて来ない。空には昨日もいたバカでかい鳥が群れで飛んでいるし、火を吹く羊の群れもいる。遠い場所には巨大な肉食恐竜みたいなのまで闊歩していた。
サトシたちは派手な外套を纏っているのに、まるで気がついていないように見える。
「サトシ、その外套にはお母ちゃんが隠蔽魔法付与してあるから。うちのカーディガンもそうやし、ゴーレムたちも隠蔽機能があるんや。油断は出来んけど、戦闘は避けられるんよ」
不思議に思っていたサトシにマリーが説明をしてくれた。昨夜は気配の消し方を知らないサトシを目指してエネミーが集まって来ていたと察する。戦闘を避けらるのはすごくありがたい。マリーとアンジェリカはあっさり倒していたが、なにせあの羊ものすごく強いし。
アンジェリカの進むスピードは速い。ゆったりとした足取りだがかなりの速度が出ている。体調が万全なのと、重装甲に重量軽減付与をしてもらえたえたお陰で、サトシも遅れずについて行けている。
霧雨もやんで、少しだけ晴れ間も出て来た。1時間程度歩き10分ほどの休憩を繰り返して、道なき荒野を進んで行くと、昼過ぎに岩が密集する場所にたどり着いた。
「予定より早く着きましたね。ここでお昼にしましょうか」
アンジェリカが少し開けた平坦な空き地で休憩を宣言した。岩から染み出す小さな水場がある。
ゴーレムたちが3人を囲むように展開し、サトシは防水シートを敷く。バックパックからお弁当を取り出していたら、かなり離れた場所から複数の視線を感じた。
作業をしながらチラリと目線だけでマリーを見ると、反応するなと小さく瞬きをしたのでそのまま昼食を摂る。少し酸味があるパンに、出汁をしっかり効かせた卵焼きとベーコンの塩っけが混じり合い、口の中で旨味が膨れ上がる。
ゆっくりと噛み締め水で流し込む。視線がさらに増えたように感じる。
昼食を終えて、移動を再開する。視線はずっと追ってきていた。サトシに分かるくらいだから、もちろんアンジェリカとマリーも気が付いているだろう。2人が放置しているという事は、敵意を持つ存在ではないのだろうと思う。
歩き続けていると少し傾斜がついて来た。岩が増えて、植物が密集している場所もあった。視線の数が時間を追うごとに増えて、夕方になるとさらに増えた。
日が沈み始めた時、かなり遠くから見えていた巨大な岩の前にたどり着いた。見上げるような巨岩であり、横幅もかなりある。
その巨岩の裾に大きな穴があり、人影が集まっていた。
「何者か!?ここは魔人族の支配地域である!無関係な者の侵入は許さん!直ちに立ち去れ!」
10代半ばにしか見えない金髪の少女が甲高い声で警告をしてくる。背は低く痩せており、顔立ちは整っているが表情は厳しい。
「わたしは温泉郷のアンジェリカと申します。深淵域種の転移魔法にてこの大陸に飛ばされてしまいました。12種族連合の要塞に向かっています。今夜の宿と隧道の使用許可をお願いしたく参りました」
「温泉郷のアンジェリカ様だと!?伝説の英傑ではないか!キサマのようなチビが、魔人族の救世主であるあの偉大なる方の御名前を騙るとは許すまじ!いざ、尋常に勝負し痛い!痛い!母様痛い!」
少女は手に持った槍を突きつけてくるが、穴から飛び出て来た背の高い女性に頭を引っ叩かれ、小脇に抱えられてお尻を叩かれ始めた。
「アンジェリカ様、ご無沙汰しております。長のシェリルです。娘のリズが失礼を致しました」
「60年ぶりでしょうか?ご無沙汰しております。シェリルさんが跡を継がれたのですね」
引き締まった長身の女性が、深々と頭を下げた。顔見知りらしく、アンジェリカもにこやかに応じる。
「ええ!?母様、本物のアンジェリカ様なの?でもチビだよ?」
「お黙りなさい!アンジェリカ様は神域まで達した身体操作で、有事に対応する力を貯めておられるのです!無礼は許しませんよ!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!お尻叩かないでえ!」
またお尻を引っ叩かれる少女。どうやらアンジェリカはもっと大きいらしいが、身体操作とやらで小さな体になっているらしい。
「アンジェリカ様、冷えたでしょう。今夜は私の家にお泊まりください。お連れ様もどうぞ」
「ありがとうございますシェリルさん。こちらは娘のマリーとそのゴーレムたち。こちらはわたしのペットのサトシです」
アンジェリカが紹介してくれる。マリーが娘はその通りだが、サトシはペットと言われてびっくりしてしまう。ペットってどういう事なんだろうか。
ペシっと小さくマリーにお尻を叩かれ、聞かない方がいいらしいと悟って黙っておく。
そして、シェリルと名乗った長身の美女に誘われて、3人は地下への階段となっている穴を降りて行った。
「母様、あのチビがほんとにアンジェリカ様なの?」
「リズ、あなたの方が小さいでしょう。あの方の御力すら分からないのですか?それに、立派な希少種である人間の雄をペットにしていたでしょう。お優しい方ですが、無礼は許しません」
「でも母様、里には余裕がない」
「お黙りなさい。精一杯のおもてなしをします。魔王の奴隷であった我ら種族を解放してくださった方です。困窮していようと関係ありません」




