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ラヴ探偵伊知地セイラの異世界ラヴ事件簿

冨樫作品では、戸愚呂弟がいちばん好きです。


 伊知地セイラは激怒した。必ず、かの厚顔無恥なエロフの王女を除かなければならぬと決意した。セイラには略奪愛が分からぬ。セイラは、常に同性からのモテ人生を歩んできた。

 幼稚園から高校卒業まで、先輩たちから妹になりなさいと誘われ、同級生たちからはズッ友だょ!と鼻息荒く抱きつかれ、後輩たちからはお姉様になってくださいと懇願され続けたが、惹かれることなく過ごしてきた。けれども、他人の恋愛には人一倍に敏感であった。


「サーシャちゃんお話したい事があるんだ〜」


 サーシャのライブ会場裏手にある宿舎。その3階にある広く機能的に作られた部屋のベッドに、お風呂を済ませたセイラは怒りを込めて腰掛けていた。

 一番風呂を譲ってくれたサーシャは、風呂から上がり風魔法を使って一瞬で髪を乾かせ、美味しそうにレモンを絞った水を飲み干している。


「どうされましたセイラ様。わたくしでよければ、喜んでお話を聞かせていただきます」


 いつも通り可憐な笑みを浮かべ、嬉しそうにセイラの隣に腰掛けるサーシャ。親愛の情が籠った言葉と表情だ。まさか、この女狐がセイラの最愛の恋人であるサキを狙っていたなんて、全く気づかなかった。


「もう分かっているよね〜サキの事だよ〜」


 そう、あれは温泉郷に滞在していた時だ。歌のレコーディングをすると出掛けたサキが、目を赤くして戻ってきた。

 セイラは心配になってどうしたのかと尋ねたが、何でもないと顔を恥ずかしげに赤く染めて、理由を教えてはくれなかった。しかも、サキの体からは濃密なサーシャの柔らかな甘い香りが漂っていたのだ。


 浮気だと直感が囁いた。

 セイラの鋭敏なラヴセンサーが発動し、恋人の浮気を察知したのだ。

 もちろん、愛するサキが尻軽なはずがない。

 このけしからん肢体のエロフの王女が、手練手管を駆使し、初心なサキを垂らしこんだに違いないと確信した。

 セイラは最愛の恋人であるサキを責める気は一切ない。悔しいがサーシャは美しい。面食いのサキが迫られて、屈してしまったのは仕方ない。何も言わずに寛大な心で許してあげた。なにせ追求して振られるのが怖かったし。


「サキ様?サキ様がどうかされましたか?」


 だが、不思議そうに小首を傾げるこの白々しいエロフは許さない。味方のフリをして、サキを略奪するなどというけしからん事をしたのだ。

 そもそも、何をどうやったらあのサキを泣かせられるというのか。セイラはほぼ毎日、ベッドで鳴かされているというのに。


「姫さま、アレの事ではないですか?サキ様がセイラ様にだけ見せて良いと仰っていたアレです。今朝方、ようやくミシャが仕上がったと持って参りました」


 メイド長ミリアの言葉に合点がいったらしく、ポフっと手を合わせるサーシャ。仕草がいちいちあざと可愛いく、それが似合うのがなんだか悔しい。


「そうでした!サキ様からお聞きになったのですね。わたくしの衣装やメイクを担当しているミシャにまとめさせていたのです。あの子は凝り性でして、お渡しするのが遅くなりました。申し訳ありません」


 にこやかに笑うサーシャに、セイラは信じられないと目を向ける。セイラだけに見せて良いとサキが言ったという事は、間違いなくあれだ。

 セイラは高校を卒業するまで、数多の恋する乙女のラヴを感知し、恋のラビリンスを見抜き、ピンク色の脳細胞を閃かせて、100組を超える姉妹を成立させてきた。熟練のラヴ探偵セイラはあらゆるシチュエーションを熟知している。

 高校の漫画研究会にいた友人ノエルが、同人誌で描いていたやつだと確信した。

 ビデオレターとかいうけしからんものだ。

 新しい恋人に命じられて、昔の恋人に映像を送り脳を破壊するという、とんでもなくけしからんやつだ。

 しかも、この寝室から部屋ひとつ隔てた前室にサキが居るというのに。そういうプレイを見せつけに来たのかと身構える。


 ドキドキしながら待っていると、ミリアがベッドサイドにある金庫から美しい装丁の本を取り出し、セイラに手渡してくる。


「こちらのアルバムです。どうぞ、存分にお楽しみください」


 まさかの映像ではなく写真だった。

 予想外の攻撃にセイラは緊張で手を震わせながら、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを整える。

 狙撃の師匠でもある山田タカシにも言われたではないか。頭の中は常にクールにしておけと。

 覚悟を決め、ゆっくりとアルバムの表紙を開く。



 アルバムの中は、美しい衣装で飾り立てられたサキの写真で溢れていた。


 セイラ達民間警備員は、任務についている時にメイクをする事はほぼないが、休日に出かける時にはもちろんする。

 けれど、プロの手で整えられた姿は見たことがない。磨き上げられた、サキの鋭利な刃物のような美しさに見惚れる。


「しゅ、しゅごい〜サキかわいい〜サキきれい〜」


 しかも写真の解析度がすごい。まるで本人が目の前にいるかのような存在感がある。

 肌や髪の質感、瞳の輝きまで焼き付けられている。


「セイラ様、次のお写真は一際素晴らしいですよ。わたくし、撮影中にしばらく見惚れてしまいました」


 サーシャの言葉にページをめくると、セイラは呼吸を忘れた。

 それまでの写真は、サキが恥ずかしそうにしていたり、照れている姿ばかりだった。

 それがどうだ。真紅のオフショルダーのドレスを着たサキが、満面の笑みをカメラに向けた瞬間を捉えた一枚に息を飲む。


「セイラ様が防衛戦で、指揮個体を撃墜されたお話をされた時のお顔です。とても素敵な笑顔ですね」


 普段、あまり表情の変化や感情の揺れがない恋人の、くしゃりとした年相応の幼く明るい笑顔。

 何という愛らしさかとセイラは涙が溢れてくる。こんなに想ってくれているのかと歓喜で心が満たされる。


 あれ、じゃあ浮気は?サキはこんなに想ってくれているのに、エロフプリンセスサーシャと浮気したのはどういう事なのかと問いたい問い詰めたい小一時間問い詰めたい。サキを問い詰めて重い女だとは思われたくないので、サーシャを問い詰めたい。

 真実はひとつなのだ。この事件の真相を突き止めてみせると、セイラは決意する。ラヴ探偵の名に賭けて!




 セイラは枕に顔を埋めて脚をばたつかせていた。あまりの羞恥心に消えてなくなりたくなる。


「もう〜恥ずかしすぎるよ〜サーシャちゃん、ミリアちゃん。疑ってごめんなさい〜2人ともお願いだから〜サキにはナイショにしておいて〜」


 サキが家族を思い出し泣いていたのを、サーシャが慰めた。それだけの事だったらしい。

 何がラヴ探偵かと。何が真実はひとつかと。数分前までの自分に問いたい問い詰めたい小一時間問い詰めたいと、セイラは恥じる。


「安心してくださいねセイラ様。わたくし、旦那さま一筋ですからね」


「セイラ様のお可愛らしいところを知れて嬉しいです」


 含むところが一切ない、エルフ主従の優しい言葉が身に沁みる。どうしてこんな優しい人たちを疑ってしまったのか。この借りは返さなければならぬとセイラは決意した。

 体を起こし、ベッドの上に正座をして表情を引き締める。


「サーシャちゃん!最近、サトシとはどうなの?このわたしが手を貸すよ!翡翠女学院8代目ラヴ探偵伊知地セイラの名に賭けて!」


 このままで済ませて良いはずがない。300年もの伝統がある翡翠女学院ラヴ探偵を20年ぶりに継いだセイラにも矜持があるのだ。

 そういえばラヴ探偵装備一式を返却していないなと思い出し、休暇で日本に戻れた時に返そうと心のメモ帳に記す。


「お心遣いに感謝致しますセイラ様。ラヴ探偵……なるものは恥ずかしながら存じません。しかし、ご安心ください。わたくしは先程、大勝利を収めたばかりなのです」


 長い耳をピンと立てたサーシャが、若干ウザいドヤ顔になり胸を張る。


 その仕草にようやくかとセイラは安堵した。ドーリーではジュリアと一緒にサトシのベッドに潜り込み、ほぼ毎日3人で眠っているはずなのに、明け方にシャワー室を使っている形跡がないのだ。

 本当に3人でぐっすり眠っているらしく、サトシは何をグズグズしているんだと、セイラはずっとヤキモキしていた。

 それにしても先程という事は、お外だったのかとちょっとドキドキする。初めてがお外は、サトシにはハードル高めだったんじゃないかと心配になる。なにせ見た目と違い意外と繊細な男だし。


「ジュリア様より先に旦那さまの唇を頂戴しました。これはもう大勝利確定!わたくし大勝利!これからは、ジュリア様に優しくしてさしあげようと思います」


 最初は聞き間違いかなとセイラは思った。

 サトシに対して、あれだけセンシティブなアピールをしていたサーシャが、キスくらいで大勝利って絶対に聞き間違い確定だ。

 しかし、チラリとミリアを見ると、残念そうに首を振ってため息をついている。

 40手前のおじさんと、人間と寿命は異なるとはいえ、推定30歳は超えているだろうエルフの恋愛でこれは酷い酷過ぎる。


「サーシャちゃん。わたしから見てサーシャちゃんには足りないものがあります」


「わたくしに足りないもの……ですか?何でしょうかセイラ様」


「危機感です。サーシャちゃんは、サトシが他の誰かに持っていかれていないと思ってない?」


 うんうんそだそだとばかりに、深く頷くメイド長と、キョトンとした顔のお姫様。


「サーシャちゃん、サトシはかなり狙われているんだよ。要塞の副司令のリリアさんとかもそうだし、わたしの考えが確かなら、アルスさんもかなり怪しい」


「そんな!旦那さまはわたくしの胸や顔を見て、いつもお顔を真っ赤にされています!リリア様はお美しい方ですが、わたくし負けているつもりはありません!それにアルス卿?まさか、旦那さまは男性もお好きなのですか?」


「わたしの見たところ、サトシはイケる口だからね。総受けだよ総受け。あのタイプは全て受け入れる。はやくジュリアやマリーちゃん達と一緒に囲わないと、見境なく受け入れて本当にハーレムキングになっちゃうよ」


 やっと真剣に考えだしたサーシャに、ようやく危機を認識したかとセイラは安堵する。何故かミリアがため息をついて、ダメな人が増えたみたいな目をしているのが気になったけれど。


「それにさ、なんだか凄い人が来てるんでしょ。結界越しにでも眼にビリビリすごいのが来るんだけど。あの人は大丈夫なの?サトシ持っていかれない?」


 静かな夜だ。暖かな春の穏やかな夜。強力な結界と腕利きのエルフ達に守られた安全な宿舎。

 けれど、セイラの持つ2種類の魔眼は、はっきりと巨大なエネルギーを持つ生き物を捉えていた。

 あの凶悪な緑色のアークデーモンですら足元にも及ばないような怪物が外にいる。サトシと対峙しているのが見える。

 セイラはあの鉄火場ですら、自分が生き残れないと思った事は無かった。けれど、その認識が初めて揺らぐ。


「あの人、ほんとに大丈夫?かなりヤバい感じだよね。火山の噴火とか強力な台風とか、そういう抗えないレベルの強さだよね」


 それに凄まじく嫌な予感がする。サトシが居なくなってしまうような嫌な予感。


「セイラ様、ダンナ様を試しに来られたのは温泉郷の筆頭付与術師であり、12種族連合の相談役でもあるアンジェリカ様です。甘い方ではありませんが、理不尽な事をなさる方ではありません。そこはご安心ください」


「アンジェリカ様は、確かにとてつもなく強い方です。しかし、旦那さまもいずれはあの方と同じ高みに達すると、わたくしは思っております。旦那さまには口付けの際、出来るだけの加護と防御魔法をかけておきました。必ず生き残って、わたくしの元に帰ってきてくださいます」


 2人の言葉に嘘はないのだろう。しかし、それでもセイラの頭から嫌な予感が無くなってくれない。

 

 そんなうっすらとした不安の中、前室に通じる扉がノックされた。ミリアが対応に立つ。顔を出したナージャの話を聞いた後、顔を強張らせる。


「セイラ様、サキ様がお話があるとの事です。サキ様のギフテッド『叡智』が発動し、ダンナ様が数日姿を消すとの予知があった模様です」

『ラブ探偵』


  翡翠女学院に伝わる、恋と愛の事件を紐解く存在。学院300年の歴史の中でわずか8名しかいない。

 最も新しい継承者は伊知地セイラ。代々受け継がれているフロックコートと黒檀のステッキ、メーカー不明の懐中時計がある。

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