神のような悍ましきモノと遭遇せし愚か者
時間が飛ぶように過ぎていく
大山サトシは体を貫く悪寒と吐き気を堪えて立っていた。あまりの恐怖に全身が泡立つような錯覚すらある。
つい数分前まで暖かな春の夜風が吹く、海が見下ろせる丘にいたはずだ。
しかし、今は悲鳴のような強い寒風が吹きつける草原に立っている。満天の星空と月明かりに照らされた視界には、人工の灯りが一切見当たらない。
サトシの目の前にはマリーのゴーレムである3号と4号が分厚く巨大な盾を構えている。さらに、その前には0号が2振りの短剣を突き出し備えている。
後ろには緋色の大きなカーディガンに包まれ眠ったままのマリーをお姫様抱っこした1号がいて、その背後に盾と斧を構えた2号、5号、6号が周囲を警戒している。
頭上には小さな球体が浮かんでいて、そこから発せられる三角錐の透明の壁が、サトシ達の周囲に展開していた。
20メートルばかり先にいるアンジェリカが設置してくれた、精神攻撃や呪詛を防ぐ結界のようなものらしい。この中から絶対に動かないようにと言い渡されている。
そのアンジェリカは人型の奇妙なナニカと対峙していた。
サトシには自然体で立っているだけのように見える。
だが、奇妙なナニカが歪に長い腕らしきモノを、風を切るスピードで叩きつけているのに、アンジェリカの体には触れる事すら出来ずに粉砕されている。
しかし、ナニカの腕はその度に再生を繰り返し続けており、あまりの不気味な光景に体が強張ってきた。
何故、こんな事になっているのか全く理解できずに、それでも死地に足を踏み込んでいる事だけはサトシにも分かる。
状況を把握する為、つい数分前までの出来事を頭の中で思い返し始めた。
護衛対象であるサーシャが宿泊している建物の前で、サトシはアンジェリカと名乗った小柄なエルフと対峙していた。
人類の生存圏を確保する目的で結成された、異世界最大最強の暴力装置であるらしい12種族連合。アンジェリカはそんな団体の筆頭指南役という存在であるという事だ。
「アンジェリカさんが僕を試しに来たのは分かりました。だけど、そうしなければならない理由がよく分からないんです。僕のギフテッドというものは、そんなに危険なものなのでしょうか?」
ギフテッドという謎パワーで、肉体が強く頑丈になったのはありがたい。
しかし、それが問題となるようなものなのか、サトシには分からない。
「エネミー群の侵攻により、人類種はわずな数十年で大幅に支配地域と人口を失いました。公式には28億の命が失われたとなっていますが、それは身元が判明した数です。暗数を含めた数は40億を超えています。これは、この世界の人類種の20%にもなります」
それは社会生活が成り立たなくなるレベルではないのかと、サトシは息を呑む。
異世界の現状の厳しさと、そこであと5年も生き抜かねばならない事に胃が痛くなってくる。
「しかし、それでも人類種は完全な協力体制を築きあげる事は出来なかったのです。100を超える種族の中から、12種族が連合を作り上げ、生産体制を構築し、輸送網を整備し、軍を編成して、数々の拠点を作り上げて対抗してきました。わずかずつですが、人口も増えつつあります」
その12種族連合が自衛軍と協力体制を築き、その下部組織の1人としてサトシはこちらにやってきた。
「12種族連合以外にもいくつかの組織や団体があります。その中には、エネミー群を駆逐した後の世界で、覇権を握る事を目指している組織がいくつもあるのです。その組織にとって、サトシ様のギフテッド『豊穣なる開拓』は脅威と捉えられたのでしょう。あらゆる種族と子を成せる能力ですが、男性に発現したのは過去に1人だけ。かつて、あらゆる種族から信頼され友誼を結び、8つの大陸を制した古代の大王のみです」
そんな事を言われても困ってしまう。
サトシは子を成すどころか、まだ致した事すらない新品の体のままだというのに。
それに人口がそれだけ減っているのに、世界の覇権などと言っている場合なのかと思う。
「サトシ様があらゆる種族と友誼を結び、沢山の子を成し、王となり攻めてくる。そうなる前に始末してしまえと考える者たちまで出てきました。その者らによる暗殺を警戒した、いくつかの種族の長は念入りに交渉をし、わたしがサトシ様を見定める事を条件に、不可侵条約を結びました」
暗殺の標的にされかけていたと知り、サトシは恐怖に囚われ震えてくる。
そんなの絶対おかしい。まだ、異世界に来て20日程度で、初任給すら貰っていないというのに。
「サトシ様にすれば、ご自身に何ら責のない言いがかりのようなものでしょうが、それほどの能力だと自覚しておいてください。では、お話はこれまでです。10分間、わたしはこの位置から動きません。お力を見せてください。その後、1度だけ右拳で打ち込みます。生き残れれば、わたしが必ずその者らを納得させます」
見るからに華奢な女性であるアンジェリカに攻撃してくるように言われ、サトシは困惑するのと同時に、こんな強い人に何をしても無駄ではないのかという無力感に襲われ体が萎えそうになる。
今までこの無力感を跳ね除けられず、何度も何度も逃げ出してきた。だけど、仲間たちと出会い、共に過ごし、鍛え上げてきた時間と想いが心を奮い立たせる。
目を閉じて深く息を吸う。
日本の訓練施設で教官であるスバルに尻を蹴り回され、異世界に来てからジュリアとマリーに何度も吹き飛ばされながら、必死に身につけた戦闘術を思い出し、ゆっくりと息を吐くとサトシの中から無力感は消えていた。
脱力したまますり足で間合いを詰め、牽制のジャブを放つ。当たると思った瞬間、弾かれてしまい左腕に激痛が走り顔を歪ませる。
何が起こったか分からないまま、アンジェリカに何度も打ち込むが掠ることすら出来ず、痛みを我慢しながら観察すると、小指で軽く突かれているだけだった。
「躊躇っていると、大切な存在が一瞬で消えてしまう事もあるのですよ」
アンジェリカが右掌を突き出しただけで、空気が凍りついたような殺意を感じ、サトシの体は逃げようと反応する。
けれど、背後には仲間が居るドーリーと宿舎がある事を思い出し、強引に腰を落として踏み込み右拳を叩きつける。
体ごと背後に弾き飛ばされ、地面を転がりながら何とか立ち上がるが、何をされたのかも分からない。
「今のは素晴らしい判断でした。仲間を背にすると見違えるほどに良い動きになりますね」
にっこりと柔らかく微笑むアンジェリカの小さな体が、そびえ立つ山のように見える。
サトシは再び萎えそうになる心を無視して、大地を踏み砕き脚を伝い昇ってきたエネルギーと、丹田に溜めた氣を捻り合わせ、全身の関節を連動させて加速した力を拳に宿して叩き込む。
あの緑色のアークデーモンを消し飛ばした時よりもさらに強いと確信出来た一撃は、華奢な腕の先にある小さな掌に受け止められた。
凄まじい轟音が響いたがそれだけだった。打ちつけた拳は微動だにしない。
「まだぎこちないですが、この技を突き詰めていけばエネミー群だけでなく『アレら』にも通じるようになるでしょう……10分が過ぎましたね。では、1度だけ右拳を打ち込みます。生き残ってくださいね」
拳を握ったアンジェリカから逃げるように間合いを取る。
スローモーションのように、ゆっくりとした動きで近づいてくる姿にサトシは少しだけ安心した。
そうだ試しだって言っていたじゃないか試験みたいなもので命の危険なんてあるわけがないミリアは命の瀬戸際なんて言っていたけどあの人はちょっとスタイルが良くて美人で綺麗な髪をしたすごくいい匂いがする有能なメイド長だからって調子に乗っているんじゃないかと思うそもそもこんな優しそうな女性が命を奪いに来るなんてそんな事があるはずないちょっとテンパっていたけどもう大丈夫これで終わりこのゆっくりの拳をガードするだけでいいんだでもこの感覚はどっかで感じた事があるなそうだ異世界に来た日に基地司令の動きがゆっくりに見えた事があったそうか集中するとこんな風に見えるんだでもどうして体が動かないんだろう?いや動いている?少しずつだけど動いてあれ?これガードが間に合わない?間に合わないとどうなるんだ?ああそうかアンジェリカさんの動きが速すぎるのかこんな速いのが当たったら体が壊れてしまうんじゃないだろうかあれ?じゃあなんでこんなふうに頭の中で色々と考える時間があるんだろうああこれが走馬灯が見えるってやつなのか
間合いに入ったアンジェリカの拳が近づいてくる。
頭の中で取り止めのない思考が加速し流れていく中で、サトシの右腕に巻かれたミサンガが紅く閃き、静電気のような痛みが走り勝手に跳ね上がる。
ジュリアに脊髄反射するまで叩き込まれた、氣をゴムのようにして肉体に何層も重ねる技術で衝撃を吸収しようとする。
さらに、こちらも脊髄反射するまでマリーに叩き込まれた、全身の関節を使う衝撃吸収の技を重ねる。
それでも、右掌にアンジェリカの拳が触れると、全身に破壊的な力が襲ってきた。
体が消し飛ぶ覚悟をした瞬間、首筋と心臓の上にある内ポケットに収納したハンカチが大きく柔らかな光を放ち、襲ってきた衝撃がぴたりと止まり消える。
「まさか、サーシャ様だけでなく『赤雷』や『帝龍鱗』からも守護の髪を貰っているとは……命を拾いましたね。その想いと縁を大切にしてくださいねサトシ様」
若干、呆れたような顔をしたアンジェリカはそう言って微笑むが、サトシは地面に両手と両膝をつき、必死に痛みを我慢しながら息を整える。
ゆっくりと痛みは治ってくるが、本当に命を失いかけた恐怖に声が出ない。
「これにて、試しの儀を終えます。12種族連合筆頭指南役アンジェリカの名において、大山サトシ様を人類の存続に関わる特異戦力と認めます。以降、連合の保護下に入る事をここに宣言いた……」
体がふわりと動く感覚があり、地面に転がされた事にサトシが戸惑って顔を上げると、目の前にアンジェリカの小さな背中があった。
「セバスチャン!お前の言った通りであったな!何が武神か!薄汚い裏切り者め!自らの故郷の小娘の男だからと手加減しおって!この牛人族の大英雄たるバラン様が、その許されぬ呪い持ちの侵略者に天誅を降してくれる!」
いつの間にか少し離れた場所に大きな男がいた。
縦にも横にも大きく、酷く歪な角を持つ顎下にたっぷりと肉がついた大男だ。
「うむ!そうであるな!セバスチャンの判断はいつも正しい!流石はお爺様より仕えし忠臣よ!吾輩がこやつらを懲らしめれば、あの族長様も認めるであろう!うん?そうか?……そうであるな!この吾輩こそが族長に相応しい!」
何だか様子がおかしい。誰もいない隣の空間に芝居がかった口調で話しかけており、もちろん返答も無いのに頷いたり、相槌を打っている。
それに、この巨体でどうやって厳重な警戒網が敷かれたこの場所に近づいてこれたのか。
遠巻きに武器を構えたエルフ達に囲まれているが、バランと名乗った大男は気にした様子もない。
「全部隊に通達!深淵域寄生型近接物理種と会敵!ドーリーと魔道装甲車の前に物理結界を張りなさい。わたしが無力化するまでは100メートル以上の距離を取り、それ以上近づかないように」
「アンジェリカさん、あの人……いやあれはなんなんですか?生き物なんでしょうか」
バランの黒く捻れた2本の角が、ナメクジの如く不気味に蠢いている。
視界に入るだけで強い嫌悪感が湧いてきて、サトシは後退りをしてしまう。
「この世界では異世界とのゲートが開いてしまう現象があります。サトシ様達がいらっしゃった世界のように意思疎通が図れる事もあれば、そうでない世界もあります。アレらは全く共存する事が出来ない世界からやってくる、神を自称する悍ましき来訪者です」
「何を訳の分からぬ事を抜かしておる!うむ!セバスチャン!吾輩に任せよ!武神などと持ち上げられておるあの女に真の勇者の力を教えてくれる!そして、侵略者の首を?首まで取る必要はあるのか?うむ、そうか……セバスチャンがそう言うなら……はて?セバスチャンはそのような進言をする者であったか?」
腕を組み首を傾げるバランの角が、激しく伸縮を繰り返し蠕動する。
その角に対してアンジェリカが手刀を振るうと、光の刃が飛んだ。
不気味な角は根本から切り落とされ地面に落ち、先ほどまで騒いでいたバランは目を見開き何事かを呟き続ける。
「吾輩は吾輩は……牛人族の偉大なる大戦士である曾お爺様の再来として……何故だ何故なのだ?セバスチャンが生きておるはずがない……幼き吾輩を庇ってデーモンに切り裂かれた……この手で火葬したはず……何故だ?いつから吾輩は……」
地面に落ちた2本の角は蠕動を続けてくっつき、急激に大きくなり始める。数瞬でバランより大きな人型になり、口らしき場所から悲鳴のような音が鳴り響く。
「ゴーレム達!サトシ様とマリーを護りなさい!跳ばされます!観測班に通達!転移後に位置情報を送ります!救援は無用!サトシ様とマリーは必ず生きて帰します!」
わずかな浮遊感を感じた直後、周囲の景色は一変していた。穏やかな風が吹く丘ではなく、寒風が体に叩きつけられる果ての見えない草原が広がっている。
サトシの周囲にゴーレム達が集まり、陣形を組み戦闘形態になった。アンジェリカが投げた珠は宙に浮かびあがり、三角錐の透明な壁が張られた。
「深淵平原……それも北寄りの中心部か。前線要塞まで3日は掛かりますね。サトシ様、その結界から出てはなりません。精神に強い影響が出る可能性があります」
「あ、はい……後ろ!危ない!」
こちらを向いて穏やかに話しかけてくるアンジェリカの背後から、空気を切り裂く速度で長い何かが叩きつけられた。
バランの切り落とされた角から3メートル強まで膨れあがった人型。その歪に長い腕らしきものだ。
それはアンジェリカに触れる事なく消し飛ぶ。だが、すぐに再生して襲いかかってくる。
「サトシ様は初めてご覧になるでしょうが、アレは深淵域種と呼称される存在です。あまり数はいませんが、極めて強力な再生能力と理解し難い欲求を持つ神を自称する生物です。この個体は、あらゆるものに寄生をする近接の物理特化型となります。しばしお待ちください。すぐに駆逐いたします」
何度も再生し高速で襲いかかってくる触腕を消し飛ばし続けながら、何でもない事のように話しかけてくるアンジェリカ。
よく見ると、小指で宙を引っ掻くような仕草をしている。その動きが少しずつ速くなる。
「良いですか?駆逐方法は再生能力が尽きるまで消し飛ばすことです。エネルギーが切れれば消滅いたしますので」
いつの間にか攻守が逆転していた。
襲いかかってきていた化け物の長い触腕は短くなり、アンジェリカが小指で放つ衝撃波を受け止めるのが精一杯のように見える。
やがて、化け物の巨体が少しずつ小さくなり始めた。3メートルを超えていた体長が数十秒で半分以下になる。
悍ましい叫び声をあげ、その不気味な体が膨らもうとした瞬間、アンジェリカの拳が繰り出された。
轟音が鳴り響き凄まじい土煙がまきあがる。それが収まるとサトシの視界には巨大なクレーターが見えた。
アンジェリカの立つ場所から、放射状に大地が深く大きく消し飛んでいる。まるで隕石が落ちた後のような光景に、サトシは呆然となる。
「深淵種の消滅を確認。サトシ様、皆さんのいるところに戻りましょう。少しばかり北に跳ばされてしまいましたが、3日ほど進めば転移装置がある要塞に辿り着けます。頑張って行きましょう」
「はい、あの、何というか……アンジェリカさん、ここは何処なんでしょうか?」
この人にだけは絶対に逆らわないようにしよう。サトシは冷や汗を流しながらそう尋ねる。
「先程までいた港町とは別の大陸ですね。旧魔王城近くの深淵平原と呼称される場所です。とてつもなく強いエネミー群が沢山いますから、気をつけていきましょうね」
「まおうじょう……あのそれはあの……がんばります」
ラスボス手前ですやんと息を呑む。
えいえいおー!と可愛らしく手を突き上げる武神を見ながら、生きて仲間たちのところへと帰れるのかと、サトシは深く深くため息を吐いた。
『赤雷』サリー
牛人族の踊り巫女。若い頃にデーモンの襲撃をうけ片足を失うが、エルフ温泉郷にて再生術を受ける。不自由な脚に雷魔法を使用して強引に動かし、冒険者をしていた。雷を纏い赤い髪を靡かせる元英雄級冒険者。
『帝龍鱗』アイシャ
かつて、帝龍と番ったハイエルフの家系に生まれた温泉郷の貴族の次女。
魔力に満ちた頑丈な体は何人たりとも傷つける事は出来ない。特に髪の毛は強力な魔力を帯びており、物理攻撃の大半を減衰させる。
『自称牛人族の勇者』バラン
魔王を倒したパーティに所属した大戦士を曽祖父に持つ牛人族。母は牛人族の現族長の従姉妹。
幼い頃から麒麟児として期待されていたが、住んでいた街がデーモンに襲われ壊滅。執事であったセバスチャンの手により命を拾う。
牛人族の大戦士を夢見て鍛錬を重ねてきた。




