佐倉サクラは異世界なんかお断りしたい
閑話異世界編その1です
麗かな春の日差しを浴びて、満開の桜吹雪の中、花びらを蹴散らし歩きながら、ふざけんなと佐倉サクラは憤る。
あまりの怒りに鼻息が荒くなり、先程は少し鼻血が出てしまったくらい、憤っている。
サクラは自衛軍に所属する特殊技官である。自衛軍異世界ゲート人工島駐屯地の端っこの地下。通称穴蔵がサクラの職場だ。
2年前に新築された、1DKの格安家賃の女子寮から徒歩5分。朝はぎりぎりまで寝ていられる上に、週末に申請すれば、格安で朝と夜に美味しい食事が出る。
そして、残業すらほぼないのに、給料はすこぶるいい理想の職場。
口の悪い幹部は、掃き溜めなどと嘲笑っているらしいが、サクラはこの職場と12人の部下を誇りに思っている。
サクラの専門は、魔石と呼称されている、異世界のエネミーが落とす鉱物を使った、結界発生装置の維持管理である。
穴蔵はエネミーとの戦闘に有効な、ギフテッドと呼称される能力を得た者たち。中でも戦闘系特殊技能を授けられた、人外の力を持つ者たちの訓練場のひとつだ。
破壊的な力を持つ故に、通常の訓練場では施設が全壊してしまう為、結界発生装置を大量に導入した特殊な場所である。
ここ2年ほどは平和だった。先日、自衛軍の英雄たる敷島スバルが訓練生と戦闘訓練をした時には、施設が半壊したが、修復可能であったし、訓練生は数日前に訓練を終え、異世界へと旅立った。
しばらくは平穏な日々が続くはずだった。
忙しく働く工兵隊の修復作業を眺めつつ、開発局から送られてきた、試作ではあったが絶大な効果を発揮した、小型結界発生装置の改良案を提案したりして過ごしていた。
今週末には部下たちと花見をする予定だった。
将来、特殊なカフェのオーナーを目指しているサクラは、基本的に節約を心掛けている。
しかし、のんびりとしつつも、真面目に手を抜くことなく、懸命に働く部下たちに誘われれば、財布の紐を緩める事に躊躇はない。
普段、大好きなお酒を飲むのは、サクラがいずれ配信界の頂点に駆け上がると確信している、空前絶後の逸材のチャンネル『レッツゴー☆セイヤ』の生配信時のみと決めている。
しかし、気の良い部下たちとならいいだろうと、一緒に花を愛でながら、酒を飲むのを楽しみにしていた。
それにしても、あのチャンネルの登録者が20人を越えないのはおかしいと思う。
給料日にスパチャをすると、泣きながらありがとうございますと、鮮やかな飛び土下座を披露してくれる、面白い奴なのになと考えていたら、司令部から出頭するようにと連絡がきた。
どうせ、いつもの予算に関する嫌みをネチネチと言われるのだろうと思い、デスクに常備してある栄養ドリンクを飲み干し、ぐうの音も出ないほど論破してやると、鼻息荒く司令部に向かう。
まさか、あんな辞令が降りるなんて想像すらしていなかった。
サクラは怒りが収まらないまま穴蔵に戻り、自分のデスクに座ると、デバイスを長らく使っていなかったバッグに放り込む。
そして、サクラから目を逸らし続ける、有能で気の良い愛すべき部下たちに言い放つ。
「明日から、異世界に出向するよう辞令が降りた。期間は3ヶ月だ。ついては助手がいる」
有能で愛すべき部下たちは、我先にと手を挙げると信じていた。なにせサクラは愛され系上司を目指してきたし、尊敬を勝ち得ていると思っていたからである。
だというのに、何故、愛すべき部下たちは、下を向いて仕事に集中するフリをしているのか。
現在、施設は修復作業中だ。工兵隊とのやりとり以外、仕事なんかないのだ。
サクラは立ち上がり、小さな体を精一杯大きく見せる為、仁王立ちになる。
そして、いつもは技官のアニメ声最高っす!と煽てて、技官に一生ついていくっす!と媚びてくる部下たちの顔を、一人一人見渡していく。
どいつもこいつも、下を向いたまま、視線すら合わせてこない。
「誰か、わたしと、異世界に、行きたい者は?」
返事は沈黙だった。
「志村、おまえはどうだ?うん?好きだろ異世界。アニメは異世界モノに限るって言っていたよなぁ」
すぐ近くでダラダラと汗を流す男に、優しく声をかける。
「技官、申し訳ありません。自分はアニメを卒業しました。妻と息子との時間を大切にすると決めたのです」
凛々しい表情でそう主張するが、おまえは独身だろうがいつ結婚したんだそもそも3次元の女なんか声優さん以外は眼中にないと、昨日まで熱く語っていただろうがという意志を込めて、声優オタクを睨むが下を向いてしまう。
「菅田、おまえはどうだ?ハーレムを築くのが目標なんだろ?うん?ケモミミハーレム最高と言っていたよな?異世界はケモミミだらけだぞ」
これだから、声優オタクは駄目なんだと、その隣にいた巨漢に話しかける。
「じ、自分には年老いた両親がいます!1人息子なんです!何卒!何卒ご勘弁ください!」
おまえは両親が14歳でくっついて、自分は5人兄弟の次男で、来月妹が産まれると言っていただろうが。20代半ば過ぎにもなって、そんな嘘をついて恥ずかしくないのか。
部下たちに次々と聞いていくが、どいつもこいつも、嘘を平気で並べたてて拒否するクズどもだ。こんな奴らの上司の顔が見てみたい。
「鵺野、おまえはどうだ?わたしに憧れて自衛軍に入り、一生付いていくと宣言していたよな?うん?当然、異世界にもついてくるよな?」
最後に残った、サクラの大学の後輩で、サクラに憧れていると言っていた、去年配属されたばかりの新人女性技官に語りかける。
憧れなんだから、当然、異世界にも付いてくるだろうついてくるべきだついてこない選択肢などないのだ。
「佐倉技官。憧れとは理解からもっとも遠い感情なんです。いにしえの師匠の作品にもそう書いてあります」
その漫画はサクラも大好物だ。コミックスはもちろん、アニメも全部コンプリートしている。なんなら詠唱もできる。
「もういい、鵺野ユキ。お前を助手に任命する!明日からわたしと異世界だ!」
高らかに宣言をして、こいつらとは絶対に酒は飲まないと決意し、サクラは関係各所への連絡と調整を始めた。
サクラが自衛軍に入ったのは、大学のゼミの教授が魔石研究の第一人者であり、自衛軍に協力していた事がきっかけだ。
教授からは、技官は危険が少なく、給料が安定していると聞いていた。
小学校から大学までずっと同じで、自衛軍の英雄である敷島スバルのように、人類の未来を守りたいなどの、高い志を持って入隊したわけではない
夢であるカフェオーナーになる資金を貯めたら、すぐに退役する気だ。具体的には資金が貯まるであろう、40歳前後で辞めてやるとロードマップも作成済みなのだ。
だというのに、エネミー群が闊歩する異世界にまた来る事になった。
何故なら、サクラは自衛軍に所属しており、自衛軍は軍隊であり、軍隊の辞令に拒否権などないからだ。
サクラが異世界に来たくない理由は、危険だからというだけではない。
それもあるが、もうひとつの理由の方が大きい。
「技官、大丈夫ですよね、、、要塞って5層の防壁で囲まれているって話だし」
自衛軍の技官は訓練期間後に、異世界に一度は来る事になっているが、駐屯地で半日過ごして、すぐに帰るだけだ。
今回のような3ヶ月の出向など、特殊技官以外には、ほぼない。
「鵺野、いつまでビビってんだ、、、いい加減に腹括れ。防壁はグレーターデーモンが突っ込んできても、ひび割れすらせん。安心しろ」
サクラの言葉にやっと落ち着いたのか、周囲を観光客のように、見渡し始める鵺野にため息が出る。
「技官!エルフ族ですよエルフ!あんなに大勢います!すごいなぁ皆んな綺麗だしキラキラしてますよ!あんな美形だらけってすご過ぎですよぉ。あれ、、、なんかこっち見てません?というか囲まれてません?」
気のせいではない。見られているし、遠巻きに囲まれている。
「気にすんな。あのキラキラどもからしたら、珍獣がいるって感覚なんだろ」
はぁそんなものですかと、納得行かないような部下を引き連れて、目的地の指令部へと向かう。
絡まれないコツは、お仕事中だから話しかけんなよ噛み付くぞと威圧しながら歩く事だ。
「お待ちしておりました、佐倉サクラ博士」
日本語ではないのに、日本語に聞こえるエルフの翻訳魔法の声。ポカンと見惚れている部下に、口を閉じろと言いたくなる。
「ご無沙汰しております、リリア副司令」
自衛軍に協力的な、現地の友好団体である12種族連合。その中でも、最も協力的なのがエルフだ。
エルフ達が森の中に築いている、無数の都市の中でも、最大の250万人を抱える大都市から、自衛軍に派遣されている戦闘集団のトップが、このリリアだ。
身長は170センチを超えている。一見、華奢に見えるが、透けるような不思議な素材の赤色のローブから覗く手足には、強靭な筋肉が付いている。儚げな美貌は美形揃いのエルフの中でも、一際美しく、神話に謳われる妖精そのもの。
さらに細いのに胸と腰のあたりは張り詰めていて、同性のサクラでさえ息を呑むくらい魅力的だ。
異世界慣れしていない、若い部下が見惚れるのも無理もない。
「ああ、、、サクラ博士。お久しぶりにお会いしましたが、貴女の美しさはますます磨かれ、天上に座す美の女神の寵愛、ますます深くなられているご様子。貴女にお会いでき、案内係として選ばれたのは、この上ない幸せです」
隣にいた鵺野がえ?とサクラを見てくる。
サクラは一般的な成人女性より、わずかばかり小さい。自称150センチはあるが、体はいわゆる幼児体型だ。顔も少しそう少しばかり、化粧の具合で幼く見える場合がある。具体的にいえば、三十路を迎えた頃、仕事終わりでコンビニに寄ったら、補導されそうになったのが心の傷になっているくらいだ。別にふつう、誰もが経験することだ
「副司令は相変わらず、お世辞がお上手ですね」
ひきつりそうになる顔を、無理矢理笑顔にする。
「お世辞などではありません。女神の寵愛を授かりし博士を一目見たいと、噂を聞いた世界中の同胞が押しかけております。お仕事の邪魔はしないよう、通達は出しておりますが、プライベート時間はお困りになるかも知れません。そうならないよう、このリリアが側女としてお仕えいたします。お好きなように使ってくださいませ」
サクラの両手を握り、床に膝をつき、その儚げな美貌を蕩けるような笑顔にして、リリアは耳元に口を寄せてくる。
「寝室に呼んでいただければ、いかようにもご奉仕いたしますサクラ様」
あまりにも艶かしい囁きに背筋が震える。隣にいる部下はフリーズしていた。
助けろ!憧れの上司を助けろ!何の為におまえを連れてきたと思ってんだ!はやくこのエロフを引き離せという意志を込めて横目で睨むが、鵺野はフリーズしたままだ。役立たずめ!お茶の時間のおやつ抜きするぞ!
「リリア様はご冗談がお好きですね、可愛らしい方です」
そう言って、握られた手を無理矢理離す。離れる間際、指先で掌を甘く擦られてゾクゾクして力が抜けそうになる。ああ、つれないお方、でもそこがいいと呟きリリアは立ち上がる。
「では、クラウス博士の研究室にご案内いたしましょうか?先に、お食事でもかまいませんが」
もちろん決まっている。食事は一服盛られる可能性があるから用心しないといけない。
「クラウス博士をお待たせする事は出来ません。案内をお願いします」
仕事中なら、こいつは公私を分けるから大丈夫なはず大丈夫だといいなと思いながら、サクラはひきつりそうになる顔を、無理矢理笑顔にしようとしたが無理だった。
「なんなんですか!技官!さっきのあれなんなんですか!」
フリーズしていた役立たずの部下は、雑多なもので溢れ返る研究室に案内されリリアが去ると、再起動して喧しく吠え始めた。
なんだと言われても、なんなのかサクラにも全くわからない。
「いいか鵺野。エルフという生き物はああなんだ。隙あらばああして戯言を抜かして迫ってくる恐るべき種族なんだ。おまえの仕事は、あたしの盾だ。憧れの上司の為に尊い犠牲となれ」
「いやいやいやいや!明らかに技官ですよ!技官が狙われてますよ!完全にロックオンされていますよあれ!」
「大丈夫だ。何度かこちらに来ているが、何とか無事だ、、、危なかった時はあったがな。おまえはその無駄にけしからん体を張って、あたしを守れ。いいな?」
上官命令は絶対なのだ。返事は「はい」か「イエス」しかない。なにせ自衛軍は軍隊であり、軍隊では上司の命令に拒否権なんぞない。
「無理ですよ!狙われているの技官だけじゃないですか!わたしなんて、戦闘力たったの5かゴミめという目で見られていましたよ!傷つきましたよ!」
サクラが無能な部下を教育していると、筋肉ダルマが入ってきた。
「おお、賑やかだな。サクラの嬢ちゃんと新人か?わしはクラウスだ。しがないジジイだよ」
異世界12種族連合ドワーフ族の大戦士であり、魔導科学の第一人者を前にして、ダメダメな部下は背筋を伸ばしていた。
「ご無沙汰しております、クラウス博士。今回はどのようなご用件でしょうか?」
サクラを呼び出したのはこのジジイだ。絶対に許さない。
「とりあえずこいつを見てくれ。どう思う?」
「結局、技官が原因じゃないですか!技官が報奨金に目が眩んであんな改善案を出すから!防壁ぶち破るってなんなんですか!あの子なんなんですか!」
クラウスの研究室で見せられたのは、人類の叡智の結晶である防壁が5層ともブチ破られた惨状だった。
それをやったのが、穴蔵で敷島スバルと戦闘訓練を行った宇部ジュリアと知り、宿舎で喚き散らしている部下を連れてくるんじゃなかったと、サクラは後悔した。
開発局から送られてきた小型の試作結界発生装置の改良案を、サクラが報奨金目当てに出した。
それが採用されてしまい、防壁に組み込む事になり、防壁の修復に意見が欲しいというのが、こちらに呼ばれた理由だった。
防壁を砕くなら、あの子の姉のウルスラでも可能だろうとサクラは思考する。だが、5層は無理なはずだと確信している。穴蔵で取れたデータが全力でなかったとしても、サクラには大体の最大出力がわかる。
おそらく新しいギフテッドか、それに類する力を得ている。宇部ジュリアはこの時代のカウンター装置だ。人類の危機に対抗すべく生まれてきた英雄のひとりだろうと思う。
その彼女ですら砕けない防壁を作りたいと、クラウス博士に提案されたのだ。
面白いと思った。
サクラは崇高な志があって自衛軍に入ったわけではない。安定しており給料が良いから入ったのだ。
40代になる前に資金を貯めて、カフェオーナーに華麗に転身すると決めている。
だがしかしだ。クラウス博士の構想を面白いと思ってしまった。
人類を救うであろう英雄ですら砕けない防壁を作る。それはきっと、数多くの力無き人を守る盾になるだろう。
インターホンが鳴り、食事に誘いにきたリリアの声がする。それに怯える鵺野が縋り付くように見てくる中、サクラはやってやろうじゃないと、獰猛な笑みを浮かべた。
佐倉サクラは地声がアニメ声です。
部下たちには裏でサクラたそ〜と呼ばれています。
カラオケの持ち歌は、アニメのキャラソンです。




