第3章
「二十ドソでどうだい?」
皮革工房の職人である男は言った。シミの目立つ作業着には、革の欠片や糸クズだけでなく、白髪まであちこちに付いている。彼は朝から晩まで働き、疲れた様子を隠せない。
「安いよ! 昨日の夜解体したばかりなんだし、五十ドソは払ってほしい!」
売りにきたヘンリーは即答する。職人は眉間にシワを寄せ、彼をじろりと睨む。
「おいおい勘弁しろよ? 初めて剥いだにしては上出来だが、目立つ傷が三ヶ所もあっちゃ、とても言い値じゃ買えないな」
職人はそう言うと、ヘンリーが持ちこんだ猪の毛皮、正しくは魔獣の毛皮に指を走らせ、戦いや解体による傷を指さした。
「……四十」
「三十までしか払わんつもりだったが、将来を期待して三十二にしてやる。もういいよな? そろそろ閉める時間なんじゃが?」
「わかったよ」
皮算用通りにはいかなかったが、彼は三十二ドソで手を打つ。
とはいえ、内心では満足気だ。なにせ、農家の次男である彼には、それでもちょっとした大金だった。
ヘンリーが工房から出てくるなり、待っていたジュリエットが、右手をぬっと差し出した。
「半分の十六ドソ、今くれるよね? ここを見つけたのは私だよ?」
彼には残念だが、握手やハイタッチを求めているわけじゃない。儲けの半分を寄こせというわけだ……。なかなかの聞き耳だね。
「う、うん」
交渉できる様子はなく、彼は彼女に半分渡した。
「肉も半分取るつもり?」
「あら? 村を出るときに約束したの忘れた? 旅のお金については、半分半分でやるって話」
数日前の自分を恨むしかないヘンリー。この分だと、キス代千ドソに到達できるのはいつになることやら……。
「肉を早く売っちゃお。腐ったら売れないよ?」
「そんなのわかってるよ」
ヘンリーとジュリエットは、町の繁華街へ向かう。数軒の酒場が営業中だからだ。
布に包まれた「豚肉」は、鮮度を失わせつつあった。自然と早まる、ヘンリーの足取り。ジュリエットはその熱意に少々呆れながらも、彼の背中を追う。
一軒目と二軒目の酒場で門前払いを喰らうヘンリーとジュリエット。子供兼変な奴が来たというわけで、挨拶すらさせてもらえない。
国が魔族に侵略されているにも関わらず、どちらも満員御礼で繁盛していた。店の明かりが夜道を照らし、楽しそうな声は駄々洩れ。そんな中、二人は次の酒場へ足早に向かう。
三軒目の酒場は、高カロリーな肉料理が名物で、油や焦げの匂いが、店中にムンムンと漂っている。肉が景気よく焼ける音も加わり、二人を客にしてしまいそうだ。こみ上がる食欲に耐えつつ、店内を見回し、店の人間を探す。
「今日の無事に乾杯!」
「親方、お疲れ様です!」
乾杯の声が、あちこちから上がる。ここも満員御礼だ。
「おい、子供の来るところじゃない」
血まみれエプロン姿の店主が、二人に言った。両手のジョッキグラスには、エールビールがなみなみと注がれている。
「あの、豚肉は足りてますか⁉」
挨拶なしで、突破を図るヘンリー。
「んん? 豚? ……そんなら、ちょっと来い」
店主が言った。二人を厨房へ入れてくれるらしい。
彼がほろ酔い状態な点は、目をつぶろう。両手のジョッキをテーブルに叩きつけ、中身が泥酔客を濡らした点も含めてだ。
「これは豚肉なんだな? すっごく獣臭いんだが?」
厨房にて、店主が言う。分厚いまな板の上に置かれた、「豚肉」こと魔獣の肉。
「……そ、そうですか? 昨日の夜、解体したばかりですよ?」
「いや、腐ってるわけじゃない。コレは猪じゃないよな?」
さすが肉料理を扱い、酒場を切り盛りする人間は違う。豚肉じゃないことぐらいはお見通しだ。
魔獣の肉を売りにきたとまでは思わなかったようだが……。
「……すいません。豚じゃなくて猪です」
この譲歩は正解だ。魔獣の肉とバレなければいいのだから。
「まあいいだろう。豚も猪も、酔っ払いは気にせずつまむからな。……念のため言うが、黙ってろよ?」
詳細は省くが、この店主もなかなかのワルだった……。
――豚肉が猪肉に変わるハプニングはあったものの、肉の売却もこれで済んだ。節約のため、ヘンリーは安い宿を探す。
ところが、彼女の希望は町一番の宿だ。野宿続きなんだからと、彼は彼女に押し切られた。割り勘とはいえ、儲けの多くがこれで消えてしまう。ヘンリーは自分が手にした金が、まるで幻だったように思えたはず……。
千ドソまでの道のりは、高く険しいだけじゃなく、こういう難所もあるわけだ。若きヘンリーには、いい勉強になったはず。
「同じ部屋にしてあげたんだから、ありがたく思いなよ?」
割り勘にも関わらず、妙に上から目線のジュリエット。
「う、うん! そうだね!」
思わず納得してしまうヘンリー。
部屋がトリプルルームで、バターロール頭のおばさんとの相部屋でも、同室という話は事実だ……。
ところが、割に合わない出費で悲しむヘンリーの前に、小さな光が灯る。相部屋のおばさんが、腕利きの交易商人だったおかげだ。バターロールを連想させる髪型はさておき、商人ギルドに頼り切らずに仕事をこなす逸材だった。
おばさんは親切な人で、未熟者のヘンリーに商売のいろはを教えてくれた。ヘンリーは、知識を脳に叩きこんでいく。その熱心さは、おばさんが感心するほど。一通り話し終えると、満足気な表情で眠りについた。
おばさんは、彼の熱心さがジュリエット目的だということを知らないほうがいい。世の中には、知らずにいたほうが幸せという事実が、ところどころに落ちているもの。




