第七十一話 僕らの戦場 その壱
瑞穂内親王殿下の寝所の前には、注連縄で封印された大岩が置かれている。
天の岩戸を連想させる大岩の両脇を守るように、赤い烏帽子と官服姿の二人の少女が立っている。
少女たちは弓を持ち、矢をつがえずに張った弦を強く弾いて引き鳴らす鳴弦の儀を一心不乱に行っている。
鳴弦の儀は、悪気邪気退散のためのお呪いで、病魔退散を祈祷するときにも行われる儀式なんだけれど、威圧感のある大岩で寝所の前が封印されているのを見る限り、別の意図も感じられる。
可哀想に、瑞穂内親王殿下ご自身が、病魔の原因のような扱いされてるみたい……。
あたしたちを先導してきた頭中将が、大岩の前へと歩み寄り、四回の長手を打つと、大岩から注連縄がスルリと抜け落ちて。
中腰になった頭中将は、大岩を持ち上げて、右脇へと大きく移動させてしまう。
闘気で身体強化を行ったわけではなく、なんらかの神通力らしい。
余談だけれど、闘気と神通力の違いは、闘気は神に頼らず、己の生命力を薪にくべて燃やすようなイメージから魔法のような現象を引き起こす力で、神通力は神と交信する≒神に通じることで、魔法のような現象を引き起こす力で、見た目の効果は似ていても、拠り所とする力が全く異なる。
闘気を使いすぎると体が疲れて、神通力を使いすぎると、気持ちが疲れるとこも違いかな?
寝所の前から大岩が除けられると、中から漏れてきた生魚が腐ったような、生臭く不快な匂いが鼻腔を蹂躙する。
頭中将たちの顔色が厳しくなるのを見る限り、状況は悪そうだ。
自然現象で、こんな匂いがすることは無い! と断言できるぐらいに、言葉には出来ないぐらい苦しい汚臭。
【月の女神】さまとの鍛錬では、如何なる悪条件でも万全に戦えるように、悪臭無限地獄巡り百万本デスマッチみたいな、酷すぎるものばかりだったからね。
女神さまが再現できる悪臭は一通り体感しているのだ。
胸を張るようなことじゃないし、そんな状況でもないので、頭中将を追いかけて、あたしも寝所に踏み入る。
その後に、リズちゃんを先頭に、仲間たちも恐る恐る入ってくる。
寝所の中央には、天蓋付きの寝台があり、そこには、まるで耳なし芳一のように全身と着衣に呪禁を写された姿で脂汗を流して苦しむ、瑞穂内親王殿下が。
そんな殿下を必死な形相で介抱する女房と、巫女が一人ずつ居るのが見える。
女房は、眼差しと顔立ちが頭中将が似ているので、彼の親族なのかな?
相手が内親王なら、秋津島のご令嬢がお側に侍るのはあり得るでしょうし。
巫装束の女性は何者なのかしら?
彼女の存在感からは、物理的な圧力すら感じられるんですけど。
鉄火場ながら、立ち振る舞う姿は、あたしがこれまで見た誰よりも雅びやかで、華がある。
そして、この神通力の気配!
少女時代のあたしなんて、比較の対象にもならず、今の紅葉ちゃんでも束になっても敵わないその力からは、女神さまたちに匹敵する峻厳さ荘厳さを強く感じさせて、一目しただけで平伏したくなる。
「ようこそおいでくださいました。貴殿が天城殿ですね?」
巫女は静かに、しかしよく通る声で、あたしに声をかけてくる。
「……天城朔でございます。光王陛下のお召しによりまして参上仕りましてございます」
巫女の眼光に気圧されながら、平伏してから、名乗りを上げるあたし。
「面を上げて、どうぞ、瑞穂の元へおいでなさい」
瑞穂内親王殿下を呼び捨てってことは、王族なのかしら?
文通のやり取りからは、このような王族女性の存在を示唆する内容は、なかったはずなのだけれど。
あたしと違い、リズちゃんたちは慣れているかのように、頭中将に先導されるまま、寝台へと歩み寄るのを見て、あたしも付いていく。
「……朔殿……。こ、こうして、お、お目見えするのは、初めてです、ね」
あたしが近くによると、瑞穂内親王殿下は、途切れ途切れではあるけれど、はっきりとした口調で、あたしに声をかけてくださる。
……あれ?
呪いで頭部が豚頭になってたはずが、人間のそれに戻ってる!
生気を感じさせない、青い表情なのが、かえってなまめかしく感じられる、小顔で整った容貌は、お姫さまという身分から連想しやすい美少女ぶりである。
「エ、エリザ、ベスど、の、が、顔を戻して、くだ、さったの、で、す……」
そう微笑んで見せる、瑞穂内親王殿下の表情からは、リズちゃんに対する絶大な信頼を寄せているのが、察せられる。
「御顔だけではございません。呪いを完全に祓うために、あたしは参上いたしました。……失礼します」
ルル皇太女が宿りし、義手の左腕をそっと伸ばして、瑞穂内親王殿下の右手に優しく添えるあたし。
「事前にご説明差し上げた儀式を執り行い、瑞穂内親王殿下をお救い申し上げます」
聖装姿に変身したリズちゃんが、クスシヘビが巻き付いた杖を、瑞穂内親王殿下の頭上に掲げる。
「委細、任せます。頼みましたよ」
「どうか、殿下をお救いください!」
瑞穂内親王殿下の代わりに、縋るような目で見つめてくる、巫女と女房に対して、
「殿下と閣下の皆さまのご期待に沿うように、粉骨砕身いたします!」
と力強く宣言しながら、笑顔で頷き返し、あたしは大きく息を吐いて調息して精神集中を開始する。
「……精神同調開始! いざ、殿下の夢の中へ!」
リズちゃんの杖がひときわ強く明るく輝くと、ストンとあたしの意識が落ちる。
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全身を切り裂くような冷たい風が吹きすさぶ。
前後左右上下の全てに視線を向けても、どこが天で、どこか地なのかわからない空中に、あたしたちは投げ出された。
……切り裂くようなといいますか、闘気で防護膜を形成しても、なお痛いので、何も備えがないと、全身八つ裂きにされてるよね。
これが、瑞穂内親王殿下の夢の中なのかあ。
とりあえず、足元に足場を形成して、中に立つ。
「おい、リズ! どっちに向かって飛べばいいんだよ!」
夢の中には、リズちゃんと住吉が、一緒にやって来たはずなのだけれど……。
リズちゃんは確かに、あたしに並ぶように飛んでいるのだけれど、住吉の声でがなりたてる、この豪華絢爛な拵えの長剣はなんなのかしら?
まるでゲーム中で、主人公の最終装備として振るわれるようなカッコだけは良い長剣だけれど、あたしの趣味じゃないなあ。
嫌味を感じさせるぐらい金ピカだし。
「スー君から見て、九時の方向が怪しいかな。あちらに何かがあるのは間違いなさそうだよ」
満面の笑みを浮かべながら、長剣に語りかけるリズちゃんの姿を見て、ようやくあたしも現状を把握した。
「もしかして! あんた、住吉なの! ……あ~。そう言えば、リーフおばさまって、異世界の聖剣だったんだっけ」
住吉のお父上の勇気おじさまが、異世界に【ゆうしゃ】として召喚されて冒険した時の聖剣が、リーフおばさまだったと聞かされているんだけれど。
まるで小学生のように若々しくといいますか、容姿が幼すぎるリーフおばさまからは、その異世界を救った究極の聖剣だったと言われても、ピンとくるものがなかったのだけれど。
母親が聖剣だったのなら、夢の中の住吉が、聖剣っぽいなにかに見えても、おかしくないのかなあ?
「なんだよ、朔! あんまりジロジロと見るなよ! ぶっとばすぞ!」
長剣な住吉のどこに目があるのかわからないけれど、あたしの視線を感じる機能はあるみたい。
住吉の怒声を遮るように、ルル皇太女があたしの前に顕現する。
「住吉殿の威容には、吾も瞠目したぞ。ご両親はさぞかし見事な方たちなのであろうな」
親を褒められて、満更でもないのか、住吉は、
「俺の自慢の両親だからな! 流石、皇太女殿下は、話がわかるじゃないか!」
明らかに調子に乗り始める住吉。
そうだったよね。
両親を褒められるとわかりやすく喜んだんだっけなあ。
住吉のご機嫌が回復した様子に、満足そうに微笑みながら、ルル皇太女が宣言する。
「エリザベス殿の見立ての通り、まずはあちらを探索しようではないか。では、ついて参れ!」
どさくさに紛れて主導権を握ったつもりらしい、ルル皇太女の後を追うように、あたしも空中を走り始めた。




