第六十三話 トライagain…!
新しい朝が来た。
希望の朝というより、困惑の朝なんだけど。
寮暮らしといえど、上級士族向けの寮室には化粧台もあり、暁姉上は鏡の前で梳るのに手間取っておられるので、あたしはお手伝い中。
あたしが意識を失っている間、どのような心境の変化があったのか、士官学校入学後の暁姉上は扇を逆さまに広げたような変わった髪型をしている。
ボブカットとかの方が、暁姉上には似合うと思うんだけどなあ。
暁姉上は、テキパキとナチュラル風のお化粧をしながら、
「朔は武術の腕前は上出来なのに、その割に精神面が全く鍛えられてないのは、【月輪観】に頼りすぎていたのではなくて?」
あたしは驚いたものの、【邪気眼】あたりから説明を受けたものと納得しつつ、
「迷いそうになったときは、常に心の中で満月を観想する事で、雑念を払ってきたのは事実です」
「本来は、悟りの境地に至るための精神活動であったとか、【邪気眼】から聞かされているわ」
この世界には、密教を含めた仏教そのものが存在しないので、悟りの意味は微妙に違うのかなあと内心思いつつも、
「前世でも物心がつく前から身についていた習慣なので、あたしにとっては精神修養という自認はなかったのですが、今のあたしにこそ、必要な精神活動なんだと思います」
「今は、心の中からお月さまを見失っているそうね? お月さま以外に、この世界で貴方がもっとも精神を研ぎ澄ませるイメージに対して、心を向ける必要があるのではなくて?」
暁姉上の言葉がすんなりと胸に落ちて、心の中に朝陽さまと陽月さまの花壇を観想してみる。
メス落ち発言で荒れていた心中が満たされる感じがする。
「あら、ようやくいい表情になったじゃない。士官学校に在籍しているのは武家の出だけじゃないの。天城の人間は、皆の模範にならなければならない。何があっても、この事だけは忘れないでね」
男の子の体になってしまってから、辛い事ばかりだったけれど、あたしの心身を案じてくれる人たちのために、克己心を確かなものにしないとね。
士官学校の朝は早い。
夜明け前でまだ暗い四時には起床し、グラウンドで仁王立ちで待つ教官殿の前に集合し、足並みを揃えて整列する。
話題がそれちゃうけど、【蜘蛛神】の離反以降から、夜の月は満ち欠けするようになり、夜は暗くなるようになっている。
待っていた教官殿のお名前は、戸塚香取。
朱門お祖母さまの妹、つまり、あたしたち姉弟の大叔母さまにあたる人物である。
女性ながら、筋骨隆々な全身は向こう傷の跡だらけで、いかにも歴戦の勇士という佇まい。
戦場で膝に受けた矢傷が原因で第一線を退き、現在は士官学校で後進の指導にあたっておられる。
肉親だからといえ、お互いに甘えさせたり甘えたりの関係になどならないよう、他の皆と平等以上に厳しく指導してくださっている。
「総員、傾聴! 全訓練分隊、集合したね? では今朝も何時も通り、裏山まで重装弓騎兵の装備で楽しいお散歩と行こうじゃないか。駆け足! 急ぎな!」
この世界の重装弓騎兵の防具は、鎌倉武士の大鎧のような時代遅れなものではなく、見た目は徳川家康公の南蛮胴具足のようなデザインで、神様伝来の謎技術で防御力を強化しつつも軽量化されたものになっている。
防具が軽くなっている代わりに、弓と矢が鋼鉄製のため、武器まで含めたフル装備の重量は四十kg超えてそうなんだけどね。
裏山までの往復は五十kmはあるのに、一時間以内に、ただし全員同じ速度で帰ってこないといけない。
四十kgの重りを身につけて山道を時速五十kmで人間が走るなんて、前世の常識ではあり得ないんだけど、幼年学校時代よりも身体が成長した今のあたしなら、音の速さの二倍近くの巡航速度で地形に関係なく疾走できるので、たいして苦にならない。
むしろ、ゆっくり走らないといけないのが苦痛なくらいなんだよね。
あたしが分隊長を務める第五十九訓練分隊のメンバーは、親友にならなければならなくなった志熊、小坊主みたいにアニキとあたしに懐いてるらしい妙高戸隠、伊吹の甥にあたる万二郎吹雪、寮監を昨夜退職して正式入隊した紅葉ちゃん、実質的には今日が初顔合わせになる川内時雨までは、あたし的にオッケーとしても。
幼年学校では愛宕派だった、清滝天音、桂川伊万里の二人組まで居てるのが悩ましい。
愛宕とはもう無関係と、理性では理解してるんだけど、愛宕撫子は、あたしを男の身体にしてくれやがったから……。
おっと、花壇を心に観想して平常心、平常心、平常心。
訓練分隊とはいえ、今はあたしの部下であることには違いはないのだ。
私情で八つ当たりなんかしたら、家名に泥を塗りたくることになってしまう。
などと内心では考えつつ、手早く装備を揃えてテキパキと身につける。
四十kgをいかに早く装備するかも、訓練のうちなのだ。
分隊員総員が完全装備状態なのを確認すると、あたしが命令するまでもなく、全員が一糸乱れず駆け出して、戸塚教官の前に再び整列する。
戸塚教官の前には、先客として、朝陽さま、陽月さま、暁姉上、葛城さんの訓練分隊が並んでいた。
あたし達は、五番目か。
一番を目指せるように、訓練しないとなあ。
さほど待つこともなく、全ての訓練分隊が完全装備で背筋を真っ直ぐ伸ばして立ち並び、戸塚教官の命令を待っている。
「一番遅かったのは、利根の第六十三訓練分隊だね。戦友を待たせた貴様たちには、とっておきのご褒美をくれてやろうじゃないのさ! 砂袋を一人二つずつ、背負って行きな!」
あの砂袋は、とても重いらしい。
第六十三訓練分隊長の利根さんは、いつも通りの飄々(ひょうひょう)とした表情で軽々と自分の分を手早く背負うけど、他の隊員たちは戸塚教官の宣告に、一瞬青い顔をしながらも、利根さんに遅れないよう慌てて砂袋背負い始める。
「全訓練分隊、出発しな! 帰ってきたら、鳳翔殿が、皆がお楽しみの美味い朝食を用意してくださっているんだ! だがしかし、定刻通りに戻ってこなかった訓練分隊は朝食抜きだ! 急ぎすぎず、かと言って遅れずに規律正しく行って帰ってくるんだよ! 以上! ひよこ共、走れ走れ!」
指揮官先頭と率先垂範の精神を体現するように、戸塚教官自身もフル装備で、皆を先導するように真っ先に走り出す。
膝に受けた矢傷で現役引退したはずなのに、走っている間、重心を崩さず、一切息も乱さないのよねえ。
赤城国の軍人は、化け物じみてる。
流石に三号生ともなると、朝の軽い駆け足で脱落するものはおらず、裏山への道中で特にアクシデントも無かったので、全員が予定時刻通り士官学校の運動場に帰還できた。
速さを競うわけではないので、全ての訓練分隊が最初の順番通りに戻ってきたわけだけど、実際のところ長距離走に一番秀でた訓練分隊は、陽月さまが率いる第七訓練分隊らしい。
陽月さまは、あたしが意識を失っている間に、女性へと性転換しているため、赤城家の次代は姉弟ではなく姉妹になっていたんだとか。
昨夜の気配察知では性差までは気が付かなかったなあ。
扶桑人は、大きな心境の変化がないと性転換には至らないそうなんだけど、あたしが知らない間に、陽月さまに何があったのか興味あるなあ。
さてさて、ようやく朝食にありつけるわけだけど。
食事は訓練分隊間の結束のために、訓練分隊ごとに集まって頂くことになっている。
久しぶりに朝陽さまや陽月さまとお話したいけれど、夕食後までは我慢かなあ。
「アニキ! ここの席を確保しました! 今朝もご馳走で、オレは嬉しいです!」
妙高は、毎朝はしゃいでるみたい。
実家よりも、ここの方が美味しいものが出てくるだからなんだとか。
そんな妙高の隣には、実は妙高の彼氏であるところの吹雪が腰掛ける。
その正面には、清滝さんと桂川さんが並んで座るんだけれど、彼女たちも付き合ってるんだとか。
同性同士の番の軍人見習い多すぎない?!
ここは、テーバイなのかよ! と突っ込みたくなるけれど、あたしの両親、祖父母、主筋の赤城家も同性結婚してるのよねえ。
神聖隊みたいに同性の番だけで編成された大隊もあるらしいし、この異世界では当たり前のことなのかなあ。
早く女の子に戻って、彼氏作りたいなあと思いつつ、あたしが腰掛けると、両脇を固めるように、志熊と紅葉ちゃんが座り、最後に遠慮がちに川内さんが座る。
これ、明らかに川内さんに気を遣わせちゃってるよね。
「川内さん、今朝の卵焼き美味しそうだよ。鳳翔さんが作る卵焼きって絶品なんだよね。皆揃ったところだし、食べようか」
皆がそれぞれ、いただきますと手を合わせてから、朝食に手を付け始める。
細身なのによく食べて、しかも食べるのが早い川内さんの御膳に、あたしの卵焼きを半分載せてあげると、川内さんは明るい表情で「ありがとう」と返してくれる。
「秋月さん、貴女、月の巫女王候補と耳にしておりましたのに、士官学校の寮監を突然辞めたと思いきや、正式入隊ですとか。強い神通力をお持ちなだけでなく、九頭龍の伝承者候補ともなりますと、随分と優遇されますのね。正直、羨ましいですわ」
「士官学校でただ一人、素顔を見せずに鉄仮面で過ごすことを許されている、志熊さんほどじゃないと思うけどね」
「二人共、ステイ! お待ち! 朝から険悪な空気を作ってどうするのよ。文字通り同じ釜の飯を食べる間柄になったんだから、お互いに歩み寄りなさいな」
声が大きく高くならないよう注意しながら、二人に注意するあたし。
せっかく、あたしが雰囲気を一新しようとしたのに!
この二人は、あたしが意識を失ってる間も、良好とは言い難い関係だったのかなあ。
トホホ、水と油みたいな隊員を統率するのも、指揮官に求められる資質なんだろうなあ。
「紅葉さん、ごめんなさい。ちょっと口が過ぎたようですわね。この通り謝罪しますわ」
志熊の方から折れてくれて、紅葉ちゃんに頭を下げるとか!
あっちの世界であたしを組み伏せた志熊とはかなり性格違うのかなあ。
アレは、明らかにオレサマ系だったしなあ。
「志熊さん……。あたしの方こそごめんなさい。これからは仲間として切磋琢磨していきましょう」
紅葉ちゃんも志熊に頭を垂れてから、仲直りの証として握手したいのか、笑顔を作ってから右手を志熊に差し出すと、志熊も同じように手を差し出して、握手を始める。
……握手なのよね?
見た感じ、すんごく強く握り合ってるように見えるんですけど!
ギュムギュムッっとか、ミシリミシリッなんて擬音が聞こえて来そうな感じなんですけど!
「今朝の主菜は、ザリガニの塩焼きなんだけど。あたしってば、幼い頃はザリガニとエビの区別がついてなくってさあ。エビ美味しいって言いながらザリガニをモリモリ食べてたのよね。二人共、食欲あまりないんなら、ザリガニくれないかなあ」
我ながら、ちょっと苦しいか!
お願い、話に乗っかってきて頂戴!
「あら、朔さんてば、食いしん坊さんですこと。では、あたくしの分を差し上げますわ。はい、アーンしてくださいな」
志熊が花が咲き誇るような笑顔になり、ザリガニを箸でつまんで、あたしの口にねじ込もうとするのを見て、紅葉ちゃんも無言でザリガニをあたし目掛けて差し出してくる。
二人共、張り合っちゃって、冷静さを失ってるじゃない!
一口でまるごと食べられる大きさじゃないでしょうに!
どっちから先に食べるかで揉めたくないので、あたしは深く調息してから、すばやく二体に分身して、同時に食いついてしまう。
身体が成長したことにより、九頭龍の技量は色々と向上しており、最大で五体まで同時に分身できるようになったことを寮室で今朝確認しておいてよかった。
サクッとザリガニを食べてしまってから技を解いて、一人だけのあたしに戻る。
これ、食べたザリガニは、二つともあたしの胃袋に入ったのかしら?
「驚いた。今の、九頭龍皆伝の奥義の一つじゃない」
流石の紅葉ちゃんも呆気にとられており、他の隊員たちも称賛の眼差しをあたしに向けてくる。
よし、完全に話題を反らした!
「朔さん、御美事ですわ。やはり、朔さんこそが、あたしの番に相応しいと、再認識させていただきましたわ」
「志熊、アニキは男子にしか興味ないんですから、本格的に振られる前に、大人しく身を引いたほうがいいですよ」
妙高の発言に同意するように、吹雪も深く頷いている。
この風評被害、どこまで広がってるのかしら。
「男子にしかご関心がない朔さんだからこそ、私達も安心して、朔さんの指示命令に従えるのです。頼もしいことですわ」
ね~、と二人で納得しながら、何気に嫌な発言をする清滝さんと桂川さんの誤解は、解かない方が分隊はまとまるのかなあ、などと考えていると、背後に陽月さまの気配が。
「陽月さま、おはようございます」
主筋にあたるので、全員が立ち上がり、陽月さまに頭を下げる。
「楽にしてくれ。朝食後、第七訓練分隊と第五十九訓練分隊は、第二浴場で入浴する手はずとなっている。手早く食事を済ませ、お前たちも第二浴場に集合せよ。以上!」
「「了解しました!」」
敬礼するあたしたちと言いますか、あたしに向ける陽月さまの視線が何気に冷たいような?
【豊穣の女神】さまが余計なことをしてくださっていたなら、陽月さまとの関係修復も早急にしないと駄目だなあ。
第三者から見た現在の主人公の姿は、オネエ言葉で話す、かなりマッスルな武士道少年です。
次回は、ドッキドキのお風呂回になります。
乞うご期待!




