第六話 セーラー服と日本刀
鏡の中をくぐると、そこは洞窟だった。
家族旅行で観に行った、富士山山麓の溶岩洞に似てるけれど、決定的な違いがある。
岩が溶けたというより、無数の骨が溶けてからみ合ってるような内壁なのよ!
ぶっちゃけ、すごくキモイです。
朝陽さまたちはどこかしら?
目の前の通路は、左右に分岐していて、どちらに進めばいいのか、わからない。
焦るあたしの脳裏に、あたしの、否、邪気眼の声が響く。
《マイク音量大丈夫? チェック、ワン、ツー、……よし。脳内でははじめまして、邪気眼だよ~ん》
マイクなんてどこにあるのよ!
二人の命が懸かってるんだから、真剣にやってちょうだい!
《朔ちゃんは、頭が固いなあ。ま、焦らさずに本題に入ろう。悪夢は、【夢幻迷宮】からやって来て、生者の魂を飲み込もうとするのさ。キミは【夢幻迷宮】の中に居る。どちらに進めばいいのかは、【月輪観】を使えば、朝陽ちゃんたちの気配を感知できる。そちらに向かって進みたまへ。急いだ方がいいよん》
【夢幻迷宮】ってのに、悪い女神とやらが封印されてるのよね。
……考えるのは後回しだ。
呼吸を整えてから、心の中に満月を観じる。
すると左側の分岐の先から、朝陽さまと、もう一人誰かの気配と、おぞましいナニカが在る事が分かる。
全速力で気配に向かって走り出す。
脳裏には、他にも様々な神通力の名称と効果がよぎるけれど、攻撃用の神通力や、『溜め』が必要なものは、実戦でいきなり使いたくない
。
あまり選択肢が無いけれど、あたしの本分は武術だ。
右手に握る守り刀さえあれば、何とかして見せる。
幾度も分岐があれども、気配を頼りにして、躊躇することなく疾走を続けると、洞窟の床に竪穴が空いており、そこから声が聞こえる!
竪穴に飛び込むと、上下感覚が無くなる。
落ちていくのか、あるいは昇っていくのかさっぱりわからないけれど、満月を観じるままに呼吸を整える。
――気が付くと、花園に辿り着いた。
本来は咲き誇っていたのであろう花々が、踏み荒らされ、しかも無残に枯れている。
きっとここが、朝陽さまの夢の中だ!
花々を踏み荒らした足跡を辿り、疾走を再開する。
やがて、足跡はなくなるけれど、誰もいない?
声も聞こえない?
でも、満月を観じている時のあたしの目を誤魔化すことは出来ないのよ!
逆手に構えた鞘から、守り刀を抜き放ち、目の前を一閃。
花園の景色を切り払うと、ガラリと視界が一転する。
足元には、両足を潰されて苦悶の声を上げる幼児が一人。
そして、すぐ目の前には、朝陽さまの頭を鷲掴みにした怨霊が立っている。
間髪入れずに、【月光の聖域】の神通力を発動する。
あたしの全身から、黄金の光が迸り怨霊を弾き飛ばし、光は足元に月の女神の神紋を描く。
この神紋の内側は、月の女神の加護を受けた【月光の聖域】。
怨霊など寄せ付けない!
怨霊は派手に吹っ飛ばされて、感電したかのようにビクンビクンしながら硬直している。
怨霊の手からはなれた朝陽さまが落ちてくるけれど、神紋は優しく受け止めた。
朝陽さまは、無残にも両腕をねじ切られている。
あの怨霊がやったのか!
すると、両足をつぶされたのが、陽月さま!
改めて呼吸を整え、心の中に満月を観じる。
【月光の癒し手】の神通力を発動。
神紋から、黄金の腕が伸びてきて、朝陽さまと陽月さまを優しく抱きしめる。
【月光の癒し手】に抱かれていれば、肉体だけでなく、魂の傷も癒えるはず。
夢の中で受けた傷では、出血しないみたいね。
二人とも酷い怪我だけど、全く流血していないのが、逆に怖い。
肉の筋とか、骨が丸見えなんだもの。
荒い呼吸を繰り返していた二人の呼吸が、だんだん穏やかなものになり、二人がおずおずとあたしを見上げる。
「助けに来てくれたことには、心からの感謝を。でも私は捨て置いて、陽月を連れて、貴女は逃げなさい! あれは、貴女のような少女が勝てるような相手じゃないわ! 陽月だけでも助けて!」
朝陽さまは鼻がつぶされた無残な顔で、あたしに懇願する。
ここまで蹂躙されても、朝陽さまの心は折れていないようで、ホッとする。
「僕ではなく、姉上を連れて逃げて下さい! 姉上は、赤城家の嫡子! 残すのは僕の方にしてください!」
初めて見る陽月さまは、両足をつぶされただけでなく、両耳を引きちぎられている!
これだけ酷い目にあっても、お互いをかばいいあう二人のうち、どちらか一人だけなんて選べないでしょ!
「傷が癒えたら、二人が先に逃げなさい。こいつはあたしがぶった切っておくから、心配は無用よ」
【月光の癒し手】は即死でなければ、致命傷でも癒す効果がある神通力。
でもゲームの回復魔法のように、一瞬で回復させるようなことは出来ない。
傷が深いほど、治癒に時間がかかる。
まずは時間を稼がないと。
セーラー服には鞘を納める帯なんてないので、思い切って鞘を手放す。
両手で守り刀を握り直し、改めて怨霊の様子を観察する。
怨霊は見た事が無い意匠の鎧に身を包み、腰には太刀を佩いている。
眼があるべきはずの場所には、青白い炎が揺らめいている。
ざんばら髪に、蝋人形のような肌。
見た目では、男女の区別は出来ないわね。
太刀相手ではリーチに差があるし、この世界の剣術は全く分からない。
怨霊は、【月光の聖域】から弾き飛ばされた衝撃から立ち直ったのか、こちらに向き直り抜刀する。
「小癪な小娘め! 妾の邪魔立てをする気かえ? 赤城の小童共と一緒に、我が女神の元へ送ってくれようぞ!」
怨霊がこちら目がけて、ヒタヒタと間合いを詰めてくるけど、やはり日本の剣術とは足運びが違う!
こちらのリズムを崩されないように、慎重に立ち回ろう。
あたしも【月光の聖域】から飛び出し、怨霊の上段からの袈裟切りを紙一重で躱すつもりが、頬を浅く斬られた!
傷口から力が抜けていく?
動揺したら、殺される。
調息と同時に満月を観じる。
怨霊が繰り出す斬撃に辛うじて反応し、守り刀で必死に受け流しながら、じりじりと間合いを詰めていく。
全てを受け流すことは出来ず、無数の掠り傷を受け続ける。
怨霊の膂力は常識を逸している。
まともに打ち合えば、守り刀は折られてしまうかもしれない。
慎重に、力を受け流すように、太刀の軌道に守り刀を合わせ続ける。
あの甲冑を、守り刀で貫くのは無理だろう。
太刀に対して、短刀や無手で対抗する技は身につけてはいるけれど、怨霊の技量は、あたしに隙を見せてくれない。
となると、神通力しか手立てがないけれど、いまのあたしには神通力の同時行使は二つまでが限界。
【月光の聖域】か【月光の癒し手】のどちらかの制御を手放さないと、次の手をうてない。
【月光の聖域】なら怨霊を吹き飛ばせるかもしれないけれど、同じ手は通じないと思う。
試行錯誤と、火花散らす激しい剣戟を繰り返す。
「小娘、邪魔をするでない! 赤城の血統は、絶やさねばならぬのだ!」
怨霊が繰り出す斬撃の苛烈さが加速していく。
このままじゃ、間合いを詰めるどころか、凌ぎきれなくなる!
左上段からの斬撃は、この怨霊の必殺の一撃に違いないと見切る。
右側に半身をひねり、斬撃に左腕を合わせることで致命傷を避けながら、縮地で怨霊の懐に飛び込み、守り刀を鎧の継ぎ目に突き立てる。
ほぼ同時に、左肩に灼熱のような痛みが走る。
守り刀は、怨霊にはあまり通じていない。
怨霊は勝利を確信したのか、哄笑を上げながら、大振りの袈裟切りを放とうとするのがわかる。
相手が、自分の勝機に見せる油断は、こちらの勝機でもある!
【月光の聖域】の制御を手放す。
あたしの背中から、二筋の黄金の光が直立し、翼の形に展開しながら、光は怨霊の両腕を蒸発させる!
【月光の翼】。
本来の用途は飛翔だけど、その翼は術者を守る盾でもあり、破邪の剣ともなる攻防一体の神通力。
仰け反った怨霊の体に、守り刀を更に深く突き立てる。
怨霊は絶叫を上げながら、あたしに回し蹴りを放つ。
流石にこれは回避できず、あたしは吹き飛ばされる。
人体は無数の身体器官により構成されていて、そのいずれかが失われても体軸や視点がぶれて、敵に隙を見せてしまう。
その隙を最小限のものとする為に、平衡感覚が崩れても、ボディコントロールを失わない鍛錬を、前世では何度も仕込まれていた。
左肩の痛みが脳天を突き抜けるけど、まだ、やれる。
腹筋の力だけで上半身を起こし、そのままの勢いで跳ねて立ち上がる。
怨霊は素早く身を屈めると、あたしの左腕をその口に咥える。
脳裏に怨霊の言霊が鳴り響く。
《小娘、敵ながら天晴よ。勝負は預ける事にしようぞ。次はその首も刎ね、わが女神に捧げると誓う。妾の名は凛花。汝の宿敵の名前を、ゆめ忘れる出ないぞ》
怨霊はくるりと身を翻すと、あたしの左腕を咥えたまま走り出す。
追いかけるべきかしら?
でも、流石にもう戦えそうにない。
膝をつきそうになると、両脇から誰かがあたしの体に寄り添うように支えてくれる。
朝陽さまと陽月さまね。
「貴女には百万の感謝を。よくぞ、あの怨霊を退けてくれたわね。私は赤城朝陽。貴女の名前を教えて貰えないかしら?」
傷はすっかり癒えたのか、朝陽様はニッコリと微笑み、その瞳には賛嘆の光で満たされている。
でも、正直に名乗っていいのかしら?
「僕からも、御礼申し上げます。僕達の為に、その魂を賭して下さった御恩は、終生忘れませぬ。僕の名前は赤城陽月です。御身の武功に報いる為にも、御名前を教えて下さい。
陽月様の耳も癒えている。
濡れるような黒髪に、紫色の優しげな瞳。
名は体を表すと言う通り、朝陽さまが太陽のような輝かしい美しさなら、陽月さまは儚げな美しさ。
ううむ、美形の姉妹? だったのね。
でも、困った。
嘘は吐きたくないけれど、馬鹿正直に名乗って良いのかしら?
仕方がない。
「わたくしは、高雄と申します。身に余る御言葉を賜り、恐悦至極に存じます」
うん、嘘はついてないぞ。
前世のあたしの名前は、高雄朔だったんだからね。
ややこしくなりそうだから、朔の名前は秘密にしておこう。
「高雄ね。良い名だわ。怨霊が消えた今、私の夢を本来の姿に戻すことが出来る」
朝陽さまの言葉と共に、周囲の光景が一変し、様々な色の花々が咲き誇る花園となる。
これが、朝陽さまの夢の中。
前世のかあさん達と違い、あたしは心理学の素養は無いので、夢診断したりはしないけれど。
「剣技の冴え、【月光加持】の力。御美事でした。夢から覚めたら、是非、現身にて赤城城へお越しください。この御恩には赤城の名に懸けて、必ず報います」
陽月さまが褒めてくれている月光加持。
扶桑人は、自分の守護神から神通力を借り受けるんだけど、あたしの守護神は月の女神のようで、その神通力は、【月光加持】と総称されている。
二人に持ち上げ続けられるのも照れくさいので、このまま立ち去ろう。
「これにて、失礼いたします。お二人の守り刀が何者かに盗まれた為、このような事態を引き起こしたようです。夢から覚めたら犯人と守り刀の捜索をお願いいたします」
二人は口々に「何故、そのような事まで知っているのかしら?」とか、「貴女は一体何者なのですか?」と食い下がって来るけど、あたしもそろそろ休みたいのよ。
背中の翼を大きく広げて飛び立ち、羽ばたきで加速しながら、花園の上に広がる青空を高く高く飛翔する。
――気が付くと、何時もの部屋に戻っていた。
「見事だよ、朔ちゃん。前世での血の滲むような努力が、今生で役に立ってよかったじゃないか。おめでとう!」
邪気眼が素直にねぎらってくれると、むずがゆい。
守り刀を納刀しようとして、左腕を無くしただけでなく、鞘も夢の中に置き去りにしてきたことを思い出す。
【月光の癒し手】を発動。
……。
……。
おかしい。
この神通力は、欠損した四肢も再生するはずなのに、傷口がふさがるだけで、左腕が再生されない!
「朔ちゃんは、魂の一部を『左腕』という形で怨霊に盗まれてしまったからね。取り戻さないと目が覚めても、今後は左腕はマヒしたまま動かなくなるよん」
何ですって!
一歳の誕生日を迎えようとする前に、左腕を事実上無くしてしまうなんて!
守り刀を取り落して、がっくりと膝をつくあたし。
今夜の邪気眼はサービス心が旺盛なのか、左側に回り込み、あたしの体を支えてくれる。
「あの怨霊との再戦もあるだろうし、キミは悪い女神にも目をつけられただろうからねえ。利き腕が無事でも、左腕の自由が効かないと大ピンチだよねえ」
嬉しそうに、最悪の未来を語ってくれる邪気眼。
こいつ、やっぱり堕天使だ!
邪気眼の顔を見ると、これこそが愉悦の極み! と言わんばかりの邪悪な微笑を浮かべている。
「そんな朔ちゃんに朗報だ。ボクの魂をキミの魂に接合して、左腕になってあげるよ。これで、夢の中でも現世でも、また五体満足だ。でも、これだけ出血大サービスするんだから、相応の代償を貰っちゃうよ」
ますます悪い笑顔になる邪気眼。
困った!
マジ困る!
あたしの狼狽する顔をニヤニヤと見つめる邪気眼がキモイ。
「まあ、今のキミからは大した代償を貰えないからねえ。出世払いという事で手を打とうじゃないか」
「出世払い? あたしはどうしたらいいの?」
「文字通り、立身出世してくれたまへ。お手軽に出世払いを実現するなら、赤城家に名乗り出て、ごほうびを貰えばいいんだけどね。それじゃあ、面白くないだろ? 今回の一件を他言する事も、キミが高雄である事を名乗る事も禁止だよん」
何ですって!
あんだけ頑張って、文字通り死に物狂いだったのに、左腕を失っただけ、あたしは丸損じゃない!
あぜんとするあたしの顔に、邪気眼が顔を寄せ、文字通り悪魔の囁きを耳に吹きこむ。
「縛りプレイって面白いじゃないか。安易な道なんかツマラナイ。精々あがいて、ボクを楽しませながら、代償を払ってくれたたまへ」
腕一本で、二人の命を救うことが出来たなら、安い買い物だったかもしれないと思い直す。
文字通り、精根尽き果てたあたしは、床に崩れ落ちて意識を手放した。




