第五話 守り刀
つかまり立ちが出来るようになってから、ようやく気が付いたこと。
扶桑人は、地球人とは膝関節の構造や筋肉のつきかたが、大きく異なるみたい。
地球人の膝関節は、膝より前に折る事は出来ないのに、扶桑人の膝関節は、少しだけ前にも曲げることが出来るのよ!
一見、扶桑人と地球人の外見は、そっくりに見えても、やっぱり色々と身体の構造が違うようね。
地球人としての歩き方のくせがどうしても抜けず、つたい歩きもおっかなびっくり。
両足でしっかりと歩き回るには時間がかかりそう。
武術の神髄の1つは歩法、つまりフットワークなんだけれど。
武術の鍛錬で、地球人の膝関節によるフットワークをみっちりと叩きこまれたあたしは、新しい身体の重心の取り方、足の踏みしめ方のコツがつかめず、何度も転ぶたびに、「朔ちゃん、大丈夫? 痛くなかった?」と、母上たちと、姉上が駆け寄ってくれて、心配ばかりかけちゃって、申し訳なく。
扶桑国にも、武術が存在するはずなんだけれど、日本の武術が魂にまで刻まれているあたしの場合は、身につけるのに他人の倍以上の努力が必要になりそう。
たった一つの取り柄が、あまり役に立ちそうにないと思うと落ち込んでしまうわね。
動けるようになってから、こっそり乙女の大事な場所がどうなっているのか確かめてみたんだけど。
幼児期の大事なところの記憶はあいまいだけれど、今のところ地球人と変わりは無いみたい。
でも、第二次性徴が来る日が怖いなあ。
それより、目先の悩みは、髪の毛の色よ!
ピンク色なのよ、ピンク色!
それも、ピンクブラウンみたいな日本でも見た事のあるヘアカラーじゃなくて!
アニメみたいな本当のピンク色なのよ!
邪気眼からは「淫乱ピンクおめでとー」なんてアホなこと言われたから、竹刀でメッタ打ちにしてやったけれど、あいつ全然痛がらないのよね。
将来、毛染めすると手入れが大変そうだし、もうめんどーだから開き直って、ピンク色とは末永くお付き合いしようかなあ。
話は変わりますが、もうすぐ、あたしの初めての誕生日みたいです。
あたしと同じ日に産まれた、陽月さまとの合同お誕生日祝賀会が催されるとか。
身分の違いから、もしかしたらあたしは、お刺身のツマみたいな扱いになるかもしれないけど、お祝いして貰えるのは嬉しいなあ。
しばらくの間はあたしの両親は休暇を貰っていて、ずっとあたし達と一緒にいます。
姉上に厳しく躾けられて、あたしの言葉遣いは時々丁寧になります。
具体的には、暁お姉ちゃん、もとい、姉上が目の前にいる時です。
「いいですか、朔。貴女も間もなく一歳になろうとしている今、言葉遣いは改めねばなりません。陽月さまのお祝いには、光王陛下の名代として、貴族の方がいらっしゃいます。天城家の一員としての自覚を持ち、決して粗相無きよう振る舞いなさい」
三歳の姉上が、一歳未満のあたしに真顔でお説教の最中です。
普通、あたしの年齢で自覚を持ったりしないと思うのですが。
最初の頃は、あたしに対してだけは年齢相応の話し方をしてくれていた姉上は、もう思い出の中にしかいません。
両親は、そんなあたしたちを、生暖かい眼差して見守ってます。
二人から内緒で教わりましたが、姉上は背伸びしたいお年頃なんだそうです。
そう聞かされると、なんだか姉上の事が可愛く見えて、お説教うぜえなという気持ちは無くなりました。
両親は休暇を頂いたとの事で、暫くは四人家族が全員揃って、穏やかな毎日を過ごしております。
……丁寧語はこれぐらいでいいかしら?
あたしにはしんどい。
宮仕えするであろう将来を考えると、元服までの間に本当のしつけや礼儀作法をみっちりと仕込まれそうよね。
ちなみに、扶桑国で王族として扱われるのは、扶桑国王家の皆さまだけ。
扶桑国の祭祀を司る一族なんだそうな。
扶桑国の政務に携わるのが宮廷貴族。
分国王は、扶桑王家に封ぜられた武家貴族。
帯刀を許された下級貴族は通称、士族。
士族が成り上がって武家貴族になったり、逆に武家貴族が分国王の地位を追われて士族になることもあるとか。
赤城家は武家貴族。
天城家は士族なんだとか。
日本の中世の身分制度と似ているようで、ちょっと違うのかも。
勉強はあまり得意じゃなかったから、うろ覚えなのよねえ。
他にも色々わかったことがある。
夢の中で見た月は、太陽光の反射ではなく、自らが輝いているように見えたのに、夜空に浮かぶ月は、『満ち欠け』するのよ。
三日月を見たこともあれば、満月を見たこともあり。
月が見えない朔、いわゆる新月の日もあり。
見て理解できないものは、聞いて確認するしかない。
「泉母上、月が三日月に見えたり、満月に見えたりするのは何故でしょうか?」
泉母上は、縫い物をしていた手を止めて、あたしに微笑む。
前世の泉かあさんも、裁縫が得意だったのよねえ。
本当に別人なのかしら? と訝しむ中、泉母上が解説してくれる。
「この世界には元々、月は無かったの。【悪しき女神】が弱いもの苛めをしているのを見かねて、【月の女神】さまが降臨された時が、この世界の初めての朔だったそうよ。【月の女神】さまはいつも月光の輝きで、私たちを守っていてくださるけれど、【悪しき女神】が光を遮るから、月の形が変わって見えるの。朔は瑞兆とされるから、朔に産まれたあなたを朔と名付けたのよ」
あたしの名前の由来が、今頃わかりました。
それより、月がなかったですって?
まあ、衛星がない惑星があってもおかしくはないんでしょうけど。
それとも何か寓意が含まれているのかしら?
「私たち、扶桑人の祖先は、【月の女神】さまにより、この地へと遣わされたのよ。だから、先住の民からは【訪い人】とも呼ばれているの。月の女神さまの降臨で力を取り戻した、土着の神々の加護と恩恵のもとで、私達の祖先と先住の民は共に戦い、【悪い女神】を【夢幻迷宮】の奥底に封じ込めて、めでたしめでたし……だったら良かったんだけれど」
泉母上に微笑みに影が差す。
悪い女神とやらを封じ込めて終わりじゃなかったのかしら?
あたしの顔を見た泉母上は取りつくろうように言の葉を紡ぐ。
「朔ちゃんはまだ先住の民とは会ったことは無かったわよね。お外に出られるようになったら、お友達になれるといいわね」
などと泉母上が仰るというこは、扶桑人と先住の民は、友好的な関係なのかしら?
扶桑人が訪い人ってことは、元々は別のどこかからやって来た種族なのかしら?
うーん、ファンタジー的な世界なら、エルフとかドワーフが先住の民に居そうだけれど。
この世界の場合はどんな種族がいるのかしら。
などと考え事をしていたら、響母上がやってまいりました。
「暁は、もう寝てしまったよ。朔もそろそろ寝た方がいい。今夜も枕元には必ず守り刀を置いて寝るようにね。忘れてしまうと、悪い夢に食べられてしまうよ」
日本にも守り刀と言って、邪気や災いを払う護符として、産まれてきた子供の為に用意する風習があるんだけど、この世界にも同じ風習があるみたい。
黒漆塗りの柄と鞘に、天城家の家紋である、巴紋入っているあたりも、日本の守り刀にそっくり。
前世のあたしも、守り刀を持ってたのよね。
……耐火金庫の中にしまっておいたはずだから、夢の部屋にもあるのか、確かめてみようかしら。
目を開けると、見慣れた天井が見える。
何時もの様に、腹筋の力だけで上半身を起こして部屋の中を見渡すと、邪気眼は三面鏡の前に座り、ニヤニヤと気持ちが悪い笑みを浮かべているのが見えた。
キモイからスルーしよう。
生まれ変わっても、なぜかこの部屋でのあたしの姿は前世のままなのよねえ。
お腹に手を当ててみると、バキバキに割れてるのが分かる。
腹筋がシックスパックになってるJCって珍しいわよね。
いいのよ!
あたしは武術家なんだから!
ベッドから降りて、机の下に置いてある耐火金庫を開けると、刀袋が入っている。
これだ!
女子中学生の部屋に耐火金庫は場違いだけど、日本刀の保管には気を遣うのよ。
刀袋をほどくと、中には黒漆塗りの柄と鞘には、【三日月に九曜】――高雄家の家紋が入った短刀が現れる。
合口拵なので、鍔は無い。
懐かしい。
正座して、膝の上に乗せた守り刀の鞘を払い、刃紋を蛍光灯の光で透かして見てみる。
この守り刀は模造刀でもなければ、刃引きもしてない。
正真正銘の日本刀。
あたしの健康を祈って、家族があたしのためだけに、刀工に鍛刀を依頼してくれたもの。
「おや、守り刀のことを思い出したのかい? いやあ、丁度良いタイミングだったね。キミは運がいいんだか悪いんだか、よくわからないねえ」
何時の間にか、邪気眼があたしの傍により、物珍しそうに守り刀を見つめている。
「丁度良いタイミングって何よ? あたしは感傷にひたってるんだから、邪魔しないでちょうだい」
すっかり気分が台無しになり、むくれるあたし。
「緊急事態が発生したから、ボクの話は聞いておいた方が良いと思うけどな~。聞きたくないなら、別にいいけどねん」
「……何よ、意味深な物言いをして。夢の中で、どんな緊急事態があるわけ?」
邪気眼は、キモイ笑みを消して真顔になり。
「朝陽ちゃんと陽月ちゃんが、悪夢に襲われてるよん。早く助けに行かないと、二人とも悪夢に殺されてしまうよん」
邪気眼の発言に、あぜんとするあたし。
悪夢に殺される?
何よ、それ!
「この世界は、怨霊なんかが悪夢に出てきて、人を殺してしまうんだよ。悪夢を払うために、この世界の人間は守り刀を肌身離さず大事にするんだけど、誰かが二人の守り刀を盗んじゃったようだね。護衛も気が付いてないから、本当に危ないよん」
「ちょ、ちょっと! それって本当なの! 急いで起きて、母上たちに知らせないと!」
魔術っぽい何かがあるなら、悪夢に出る怨霊とやらも、あり得ない話じゃないわ!
ちなみに、この世界で扶桑人が使う魔術っぽい何かは、神通力と呼ぶらしい。
「それでは、間に合わないよん。今すぐ朝陽ちゃんたちの夢に飛び込んでいかないと。ついておいで」
邪気眼はスタスタと三面鏡に歩いていくので、守り刀を鞘に納め、あたしも足早に追いかける。
「この鏡から、他人の夢の中に入ることが出来るんだよん。スゴいっしょ? 守り刀があれば丸腰じゃないよね。さあ、怨霊退治にれっつごー!」
「れっつごー、じゃないわよ! 夢の中で怨霊と戦うなんて、どうすればいいのよ!」
邪気眼は、真っ直ぐに、あたしの瞳を覗きこむ。
「キミが前世で、武芸の鍛錬に明け暮れた経験が役に立つはずだよ。その守り刀なら、怨霊とも戦える。霊験あらたかな護符なんだからね。それに、ボクがキミに刻み込んでおいた神通力も、夢の中ならある程度使うことが出来る」
「神通力って、使い方が分からないんだけど。……まあ、それはいいわ。悪夢の中で守り刀を振るう事が出来るなら、きっと戦えるはず!」
古来より、妖怪退治は武芸者の役割なのよ!
幸い、前世では人間以上の存在との実戦形式の稽古も積んでる!
あたしの顔を見て、邪気眼は、満足そうにほほ笑む。
「その意気だよ。神通力も怨霊との戦いの最中に、使い方を『想い出す』よ。では、鏡を通して、悪夢の中へとご案内~」
邪気眼の能天気な声を背に、あたしは守り刀を握りしめ、鏡の中へと飛び込んだ。




