第五十六話 さよなら、涙。よろしく、勇気。
「あら、美味しい。朔も、お茶を淹れるのが上手くなったわね」
「ありがとうございます。まだまだ、暁姉上には敵いませんが」
前世では、ティーバッグのお茶しか、自分では用意できなかったあたしも、暁姉上指導の手習いで、上手にお茶を淹れられるようになったのよね。
この世界は、自動販売機なんて当然ないし、水以外の飲料を飲みたいなら、お茶ぐらいしかなく。
ちなみに、牛乳っぽいなにかはあるんだけど、赤城の城下町近くには乳牛飼ってるとこがないので、飲料としてはめったに見かけない。
冷蔵庫なんてないもの。
食べられるお魚はほとんどが川魚。
海産物は、干物が殆どで、神通力で凍結されたものは高価で、一般庶民の食卓には滅多なことでは、お見かけしないんだとか。
「様子がおかしかったから、朔のことを心配していたのだけれども。今は、元気そうね」
「はい、暁姉上に相談に乗ってもらって、少し気持ちが楽になりました。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「敢えて苦言を呈するけど、良くって? 公の場でお祝いをされている場合、たとえ本心は喜んでいなかったとしても、士族は喜んで見せないと駄目なのよ。朔の年齢だと、まだ割り切れないかもしれないけれど、努力してみせなさい」
肉体年齢はあたしの方が、朝陽さまよりも若年かもしれないけれど、言われてみれば、朝陽さまが公の場で、不平不満を表情に出したことはない。
それよりも、精通を喜んでないのがバレてるのかしら?
やはり、付き合いが長いから、隠し事は難しいみたい。
「士族は、皆が期待するように、少なくとも公の場では振る舞いなさい。私たちが畑仕事もせずに生活できるのは、民草の信頼に支えられているからなのよ。そのことを、忘れないでね」
「委細承知しました。以後、気をつけます」
姿勢を正して、まっすぐに朝陽さまに視線を向けてから、深々とお辞儀するあたし。
「姉上は此のように厳しく言ってはいるが、朔のことを案じる気持ちは、暁と同じなんだ。もちろん私もな」
「はい」
あたしを見つめる、朝陽さまと陽月さまの瞳の色を見れば、信頼と心配をされていることはわかるもの。
「堅苦しいお話はここまで。訪い人たちのことだけど……。あの高雄は、あたしたちを助けてくれた少女とは、同姓同名の別人だったようね」
「え?!」
やば、思わず大声が出ちゃった!
「朔がそれほど驚くとはな。私から見ても、あの高雄は別人に見えた。そもそも月光加持を使える様子も見受けられないしな」
怪訝な顔をしながら、陽月さまから追撃が!
前世のあたしと、今のあたしの魂の区別でも付いてるのかしら?!
同一人物のはずなのに!
内心脂汗を流しながら、あたしは調息して表情を取り繕う。
「訪い人として現れた高雄殿がお持ちだった懐剣の鞘の家紋は、【三日月に九曜】で、以前に朝陽さまから示されたものと、同一に見えましたが」
暁姉上の助け舟、ナイス!
「そうなのよね。家紋と名前がそっくりなら、同じ一家一門なのかもね。ただ……」
「ただ?」
「あの高雄よりも、土佐と言ったかしら? 彼女の方が、私たちを助けてくれた高雄に雰囲気が似ているように見えたのよね。陽月も意見は同じよね?」
朝陽さまに同意を促されて、陽月さまは深く首肯を返す。
「土佐真礼という名前の少女だったでしょうか? 名前以外、本人の記憶が無いと聞き及びましたが」
前世のあたしよりも、見ず知らずの少女のほうが、今のあたし(正確には、夢の世界における今のあたし)に似ているってどういうことなのかしら?
「いずれにせよ、此度現れた、彼女たちが、私たちを救ってくれた者の消息を辿るために、一番の手がかかりなのは間違いないと、姉上と私の意見は一致している。そこで、朔に相談があるのだが」
暁姉上じゃなくて、あえてあたしに相談ってなんだろうなあと疑問に思いつつも。
「あたしで宜しければ、喜んで。どういったことでしょうか?」
「それがね……。どう説明したら良いのかしら」
あの朝陽さまが!
はにかみながら、モジモジとしておられる!
なに、この可愛い生き物!
「私から説明しよう。彼らと私たちが親しくなるきっかけを作りたいのだが、私たち姉弟には妙案がなくてな。そこで、朔の意見を聞きたいのだ」
「朝陽さまがはっきりと口にされないのは、珍しいですね」
思わずツッコミを入れてしまうあたしに、朝陽さまは、頬を上気させながら。
「私にも照れくさいと思うことがあるのよ! 朔ってば、意地悪ね!」
大人びた言動をされてはいても、朝陽さまにも年齢相応の少女らしさがあることがわかり、なんとなくホッとしてしまうあたし。
「そういう意味では……。申し訳ありません。朝陽さまを揶揄するつもりだったわけではございませんが、お気を悪くされたんら、幾重にもお詫びいたします」」
あたしがお辞儀すると、朝陽さまからの視線にお許しの意向を感じ取り、再度軽く頭を下げる。
咳払いをしながら居住まいを正してから。
「そうですね。朝陽さまが大事にしておられる、花壇をご覧いただくのはいかがでしょうか?」
玻璃先輩の趣味はガーデニングなので、きっと喜んでくれるはず。
千鳥も、住吉から貰った花の種を、鉢植えに植えて大切にしてたし。
リズちゃんは薔薇の花が好きだったから、地球とはちょっと違う、この世界の薔薇には興味持ってくれそう。
あたしについては、前世はあんまり花には興味なかったけど。
「まずは、朝陽さまのご趣味を披露してから、彼らの趣味趣向についても、それとなく聞いてみるのはいかがでしょうか? 男性陣には、陽月さまのご趣味である、釣りに機会を作って誘ってみるとか」
「……なるほど。相手が訪い人ということで、私も難しく考えすぎていたかもしれないわね。趣味の話題から、相手の関心事について話題を引き出すのは、良い考えかもしれないわね。ありがとう、朔」
「訪い人と言えど、人間であることには変わりはないと思うのです。彼らも突然異世界にやってくる羽目になって、戸惑っていることが多々あるかと思いますので、話題は日常的なもののほうが良いのではないかと思います」
「まずは、花壇から。次は釣りか。朔のやたらよく釣れる釣り竿は、訪い人の目から見ても、逸品であろう。反応が今から楽しみだな」
「私は、一緒に勉強してはどうかと思ったのですが、朔の献策の方が親しくなるには良案に見えますね。いえ、勉強を諦めたわけではありませんが」
真面目すぎる暁姉上の口上に、他の三人は、お互いの顔を見合わせてから苦笑する。
「訪い人たちが、この世界の初等教育にどこまで興味があるのかしら。勉強については、幼年学校での彼らの様子から判断したほうが良さそうね」
朝陽さまの鶴の一声の前では、流石の暁姉上も、それ以上は、勉強について話題にすることができないようで、密かに安堵してしまうあたし。
「あたしからも、一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「良いわよ。なんでも言いなさい」
朝陽さまに促されて、あたしは言葉を選びながら、
「高雄と怨霊との対決について、今一度、思い出しながら詳しく話していただけないでしょうか? 何か、高尾の正体を知る手がかりがあるかもしれませんので」
あたし自身が、その高雄だったわけだから、本来なら、こんな回りくどい問いかけをする必要はないのだけれど……。
あたしが直接見聞きした情報と、朝陽さまたちから聞かされた話との間に情報量の差があると、あたしの発言が、やぶ蛇になりかねないので、朝陽さまから今聞いたという体裁を取りたいのよね。
「あら、言われてみれば、朔に詳細は話した記憶がなかったわね。あれは……」
危ない、危ない。
やっぱり確認しておいてよかった。
朝陽さまと陽月さまは、その夜、凛花と名乗る怨霊に襲われたこよ。
赤城家に対する恨み辛みを慟哭しながら、お二人を嬲っていたところを、高雄と名乗る謎の少女――あたしのことだよ!――が颯爽と現れて、助けてくれたと。
怨霊は、戦いで斬り落とした、高尾の左腕を加えて逃走した。
夢から覚めたら、現実でも会いたいと高雄に伝えたが、その願いは果たされなかったこと、朝陽さまは順番に話してくれた。
「それからは、一度も高雄と会う機会はなかったけど、四年と半年後に、凪の夢の中に現れたことは、朔も知っているわよね?」
「はい」
知ってはいるけれど。
凛花を倒したのに、魂の左腕を取り戻せなかったのは、何故なんだろう?
凛花の後に現れた、燈火と名乗る怨霊がまだ持ってるのかしら?
「怨霊に持ち去られたという、高雄の左腕はどうなっているのでしょうね。今、城にいる高雄には左腕があるようですが」
あたしの問いに対して、朝陽さまは、額に左手を当てて考え込む様子を見せながら。
「凪を襲ったという、燈火については、心当たりがあるのよ。……他言は無用よ?」
朝陽さまのまっすぐな視線が、あたしを射抜く。
「我が母、睦月が、榛名国から嫁いできたことは、朔も知っているわよね?」
「はい」
「母の大叔母に、燈火という女性がいたの。本来なら、防人として、不破関に赴任するはずだったのだけれど、共の者を斬り殺して、出奔してしまったの。ひどい醜聞でしょ?」
扶桑国の武士は、満六十歳になると、魔族から関を守る防人と呼ばれる戦士になる風習がある。
防人として戦うことは、大変名誉であると当時に、その責務から逃げるものは大罪人として忌み嫌われる。
武家貴族一門の者が、責務から逃げてしまうとか、とんでもない不祥事なのよね。
「そのお話、この暁も初めて耳にしました」
「外聞が悪すぎて、公言できない内容だもの。まして、血の繋がりがあるとは言えど、他国の機密に抵触してしまうから」
思わず、ごくりと生唾を飲み込んでしまうあたしを見て、朝陽さまは微苦笑しながら。
「結論から言うと、その出奔人を討伐したのは、我が父、優陽なのよ。もし、怨霊が、あの燈火だとしたら、逆恨みされる理由としては十分よね。凛花についても、燈火について調べることができたら、手がかりがありそうだけれど……」
「……榛名国は、調査の許可を出さないだろうな」
と、続ける陽月さまの表情が苦いものとなる。
これ以上は、無理かな。
「話を脱線させてしまい、申し訳ありませんでした」
あたしが深く頭を下げて詫びると、なんでもなかったかのように、お二人も表情を無理に明るいものとする。
その後は、花壇を披露する段取りについて話し合ったり、どの釣り場なら安全に招待できるかなどについて、話し合った。
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夜の就寝の時間となり。
左腕の神紋に祈りを捧げようとして、はたと気がつく。
右腕じゃなくて、左腕?
月の女神さまの加護を受けているのは、あくまでも右腕。
左腕は悪霊に魂を奪われたのを、邪気眼が彼女の魂の一部分をあたしの魂に接合することで補い。
生身の左腕に関しては、禍津神との戦いで失ったのを、日向博士が作った義手で補っている、というのが現在までの経緯だったはず。
夢からの去り際に、月の女神さまが、左腕に何か加護を与えてくれたから、左腕に神紋が浮かんでるのかしら?
でも、日向博士による治療の直後に、左腕に神紋が浮かんでいたし、辻褄が合わなくなってるような?
ううん、一人で悩んでいても頭の中が整理できない。
ルル皇太女に相談してみようにも、右腕と左腕のどちらに祈りを捧げれば良いのやら。
ダメ元で、右腕に向かい、月の女神さまを称える祝詞を奏上すると、左手だけでなく、右手の甲にも、歪んだ五芒星の内側で煌々と赤く燃える炎の目が浮かび上がる。
良かった、右腕から加護が失われたわけじゃなかった。
意識が暗転し、気がつくと、夢の中のあたしの部屋のベッドの上で目覚めると、ルル皇太女が、あたしの顔を覗き込んでいて、ちょっと驚いてしまうあたし。
「丁度よいときに来たな。先程まで、客人を交えながら、今後について話し合っていたところだ。契約者も参加すると良いぞ」
「客人?」
ルル皇太女の話から、夢の中にふさわしくない単語があったので、胡乱げに眉を顰めてしまうあたし。
「サクちゃーん、こんばんわー。ほら、早くこっちに来なよ!」
「……こんばんわ」
ちゃぶ台の前には、何時も通り快活なリズちゃんと、ちょっと居心地が悪そうにしている紅葉ちゃんの姿があり、ちょっとびっくり。
「こんばんわ、と言いますか、あたしが居ない時でも、あたしの夢の中に入ってこれるものなんだ」
「そりゃ、そうだよ~。ボクは魔法少女だからね~。この程度は、朝飯前さ!」
「リズちゃんは相変わらずだなあ」
心底呆れながらも、リズちゃんにツッコミを入れ始めるとキリがないので、気持ちを切り替えて、あたしもちゃぶ台の前に座ると、紅葉ちゃんが、あたしの湯呑みに、お茶を淹れてくれる。
「昼間は悪かったわね。朔が突然男の子になって、私も混乱してるのよ。気を悪くさせてしまって、本当にごめんなさい」
上目遣いで、こちらにちらちらと視線を向けながら、紅葉ちゃんが謝ってくれたので、あたしも、これ以上は拘らないことにする。
「いいのよ、紅葉ちゃんが男の子が苦手だってことは、前々からわかってたことだし。お兄さんであるところの葵君や、主君の凪君とは勝手が違っても仕方がないよ」
「サクちゃんてば、この世界では、まだ七歳なのに、あんなに性誘引物質をばら撒いてたし、紅葉ちゃんが戸惑っても仕方がないよ」
「そうよ、仕方がないのよ、ってリズちゃん、ちょっと待って? 性誘引物質って、あたしには身に覚えがないんですけど、なんの話なの?!」
「誘引物質ってのはね、動物を引き寄せる効果を持った物質のことだよ。性誘引物質という言葉より、性フェロモンの方がわかりやすいかな?」
ドヤ顔で解説してくれるリズちゃんが、何を言っているのか、ちょっとわからないんですけど。
「フェ、フェロモン? なにそれ! 全く心当たりが無いんですけど!」
「フェロモンってなに?」
「性的に惹きつける臭いのことって説明でなんとなくわかってもらえるかな? 精通の後から、特に強くなってるみたいだね~。正直なところ、ボクもクラクラしてしまいそうだったよ」
リズちゃんは、あははは~と白い歯を見せながら笑ってるけれど、ちっとも笑えない話なんですけど!
「ゲフンゲフン、ごめんね、サクちゃん。当事者には笑い事ではないよね。ボクもちょっと配慮が足りなかったよ。本当にごめん」
突如、真剣な眼差しになると、深々と頭を下げてくれるリズちゃんを呆然と見つめてしまうあたし。
「フェロモンって……。次から次に、どうしてあたしばかりこんなひどい目に会うのかしら」
紅葉ちゃんが、あたしのことを臭いって言ってたのは、フェロモンの匂いを嫌がっていたという説明がついてしまうけれど、心情的には納得できる話ではなく。
涙で視界がぼやけてくる。
涙もろかったわけじゃないけれど、この世界は、生まれ変わって七年が経過しても、あたしには異世界過ぎて、ついていけない!
「落ち着け、契約者よ! 汝に泣き顔など似合わぬぞ! 我が契約者なれば、苦境など笑い飛ばしてみせよ!」
今までおとなしくしていた、ルル皇太女の檄に、皆の視線が彼女に集まる。
「契約者が強くなれば、女の体を取り戻せるのであろ? なら、泣く前に、契約者にはやるべきことが、はっきりしているではないか!」
「良いことを言うわね。私たちは、そのために、こうして朔の夢の中に集まったのよ」
「そういえば、あたしが夢の中に入ってくるまでの間、何を話し合ってたの?」
あたしの疑問に、紅葉ちゃんは懐紙であたしの涙を拭ってくれながら答えてくれる。
「どうしたら、朔が今以上に強くなれるかについてよ。異世界から、魔法少女が来てくれたんだから、もっとよい修行場所があるじゃない」
「ルル皇太女の心象世界。これまでは先に進めなかったようだけれど、これからは違うよ。蛇遣座の加護を受けた、このボクがついているんだからね!」
魔法少女のお約束なのか、わざわざ立ち上がって決めポーズをとるリズちゃんの姿を見て、あたしも自然に笑顔になる。
「月の女神さまも、決して朔を見捨ててしまったわけではないのよ。私との修行を開始する前の一時間だけなら、私も朔の修行に立ち会っても良いって言ってくださったの」
「準備ができ次第、我が心象世界への立ち入りを許可する。契約者が強くなる過程のついででも良い。我を封印から解き放ち、現世に生身で顕現できるようにしてたもれ」
ルル皇太女の言葉に、ハッとしてしまうあたし。
謀反で国を簒奪され、生身の体から魔導書へと姿を変えられてしまったルル皇太女の方が、あたしよりも苦しい思いをしているのよね。
そんな彼女の前で、泣き言なんてもう言うのはやめよう。
さようなら、涙。
よろしく、勇気。
あたしは前に進まなければ!




