第四十話 奥伝
紅葉ちゃんも、あたしの部屋にやってきたので、関係者一同で情報交換をした。
ルル皇太女を見て、紅葉ちゃんは、仰天していたけど、自分より弱そうなので、怖くはないみたい。
あたしが中伝の修行をしている間に、彼女は初伝の印可を受けているのよね。
あたしより、修行のペースが早い。
スポンジが水を吸い込むように、紅葉ちゃんの飲み込みは早い。
うかうかしていると、あたしより先に、紅葉ちゃんが、奥伝の印可を受けてしまうかも。
あと1年以内に、あたしが奥伝の印可を受けないと、二人共破門になってしまうのよね。
【月の女神】さまが、前言を翻すことはないでしょうから、あたしもいよいよ正念場だ。
「メスブタが、古本を手に入れたこと。【悪しき女神】に露見したやも知れぬ。今夜、メスブタが奥伝の試験に合格しなければ、紅葉共々、破門とする!」
「ヌトスさん、わたくしの管理に問題があるとでも?」
ハイライトが消えた瞳で、【月の女神】さまを見つめる、【蜘蛛神】さま。
怖い。
「神々の世界に、偶然など無いだろう。全ては必然。メスブタがたまたま図書館に立ち寄った日に、皇太女の古本が、たまたま発見されて、メスブタと契約した。………いったい、どこの誰に都合が良い筋書きだと言うのだ?」
【月の女神】さまは、ムスッとへの字口で、【蜘蛛神】さまを睨み返す。
女神さまたちの視線が、文字通り火花をちらして交差する。
「ルル皇太女が、【蜘蛛神天網】に居たこと、確かにわたくしも把握しておりませんでした。誰が彼女の魔導書を持ち込んだのか、精査することと致します」
根負けしたように、【蜘蛛神】さまが折れると、【月の女神】さまの眼光は、あたしに向けられる。
「皇太女を古本から開放するには、契約者たるメスブタが、彼女の心象世界で、全ての呪いに打ち克たねばならぬ。最低でも奥伝に至らねば、話にならん!」
言いたいことは、嫌になるくらい分かるんだけど、空中を歩くなんて、どうやったらいいのか、これまでの修行から、全く見えていない。
でも、期限が今夜と区切られてしまったなら、やるしかない。
「はい、喜んで!」
奥伝の認定試験は、道場で行われることになった。
ルル皇太女には、日本式の武道場は珍しいらしく、落ち着きなく周囲を見渡している。
「では、試験を開始する!」
【月の女神】さまが、銀の鍵をガチャリと回すと、ルル皇太女の足元の床が抜ける。
え゛!?
「う、うわああああぁあああああああぁぁ~!」
なすすべも無く、床下? に落ちたルル皇太女の悲鳴が、どんどん遠くなっていく。
「では、メスブタは古本を追いかけて、回収しろ。急がないと追いつけないぞ」
事前準備も無しで、無茶振りされて、涙目になるあたし。
ぼやぼやしてると、本当に追いつけなくなる。
ルル皇太女が消えた、真っ暗な穴に、慌てて飛び込む!
周囲は真っ暗闇で、ルル皇太女の姿が見えない!
調息して、心の中に満月を観じる。
心のなかの満月の光を頼りに、ルル皇太女の気配を追いかける。
“観えた”!
ルル皇太女は、背中から、翼のような何かを広げて、必死に羽ばたこうとしているようだけど、落下速度を殺すことも出来ず、頭から真っ逆さまに落ちていく。
九頭龍の修行の際は、神通力の行使を禁止されているので、あたしも【月光の翼】で飛ぶわけにはいかない。
“壁”を足場にして、必死に虚空を駆け抜けるあたしをあざ笑うかのように、ルル皇太女の姿がどんどん小さくなっていく。
物が落ちる速度より早く走っているはずなのに、追いつけないどころか、置き去りにされるなんて!
長浜流の初伝の奥義は、ローラースケートによる、水上の滑走。
中伝の奥義は、履物に拘らない、自由な滑走。
九頭竜と長浜流の中伝奥義を併用すれば、壁を滑るように走ることが出来るのに!
アホ毛を“くの字”に曲げて、毛先に闘気を集中。
頭の後ろ目掛けて、全力で闘気を放射する。
これで、少しでも加速して!
必死に駆け続ける間に、少しずつ、ルル皇太女との距離が近くなってる!
あたしに気がついたのか、ルル皇太女が切羽詰まった悲鳴を上げる。
「おい、早くなんとかしてくれ! これ以上加速すると、摩擦熱で、我が燃えてしまう! 魔道書になった我は、熱に弱いのだ!」
真っ暗闇を走り続けているから、あたしと彼女の相対速度がわからないけれど、摩擦熱が発生するなんてどんだけ!
宇宙から飛び込んでくる、隕石じゃないのよ!
紡錘形をイメージして、両手を前に突き出して、闘気で全身を覆う。
少しでも、空気抵抗を減らして、もっと速く走らないと!
無我夢中に走り続ける間に、何か見えない“壁”を突き破った感触とともに、鼓膜が破けそうな大きな音が鳴り響く!
壁、そうだ、壁だ!
空気の壁をイメージして、全力で蹴り飛ばす!
後方に放射する闘気で更に加速!
ルル皇太女を追い越して、彼女を抱きとめる。
クルリと反転して、空気の壁を蹴り、思い切って、空気を足場にして、全力ダッシュ!
初伝の奥義で、水滴を足場に出来るならば、奥伝の奥義なら、気体を足場にすることができたんだ!
こんなの、頭の中で、どんだけ理屈をこねくり回しても、思いつくわけ無いじゃん!
あっという間に、虚空から駆け抜けることに成功。
あたしの周囲から衝撃波が道場に広がり、道場の中が無茶苦茶に!
……これって、ソニックブームってやつかしら?
などと余計なことを考えたのが失敗だったのか、天井にぶつかってしまった。
危なかった!
アホ毛を広げて、あたしとルル皇太女の身体を護らなかったら、ぺちゃんこになるところだった!
ルル皇太女を抱えたまま、空中で一回転して、道場の床に降り立つと、足から力が抜けてしまい、へたりこんでしまうあたし。
超音速で空中で走るとか、九頭龍って非常識すぎる!
「ふんっ! メスブタも、ようやく理解したか。音の壁を足場に出来ることに気がつくことが出来るかどうか。これが、この試験の肝要だ。メスブタはこれで卒業だ。天城朔! キサマに、九頭龍奥伝の印可を与える! 右手を差し出せ!」
言われるままに、右手を女神さまに差し出すと、手の甲が熱くなり、神紋が、黄色に輝く。
「あの……。女神さま? 今、あたしの名前を呼びました?」
あたしの耳がおかしくなったのかしら?
「奥伝なら、一人前として扱うしかあるまい。今夜から、キサマは一端の九頭龍の戦士。だが、奥伝も通過点にすぎん! 天城朔! これからも、泣いたり笑ったり出来なくなるぐらい、絞ってやるから、覚悟しておけ!」
「あら、ヌトスさんがデレたのかしら?」
ソニックブームなんて、屁でもないのか、ホコリ一つついてない清浄な姿の【蜘蛛神】さまが、イイ笑顔で、【月の女神】に茶々を入れる。
「デレてなどおらん! 公正に評価しただけだ!」
赤面してるのかと期待したけれど、【月の女神】さまは、いつも通りの仏頂面。
これは、デレなんかじゃないでしょ。
「朔! おめでとう! これで、あたしたちが、九頭龍の使い手であることを、世間に公表できるようになったわ!」
【月の女神】さまの影から、紅葉ちゃんが笑顔で駆け寄ってきてくれる。
あたしが奥伝の印可を受けるまでは、現実世界で、九頭龍の技を使うことは、禁止されてたのよね。
図書館では使ってしまったけれど、五十鈴ちゃんしか見てなかっただろうから、多分、セーフ?
隠し事は少ないほうが、精神的なストレスが減って、ありがたいわ。
「朔さん、紅葉さん。喜ぶのは当然でしょうけれど、まずはルル皇太女を介抱したほうが良いのではなくて?」
あたしの腕の中で、目を回しているルル皇太女。
あれ?
呼吸してないような?
「こ、こここっこんな時は、心臓マッサージしたらいいのかしら? それとも、人工呼吸?」
あたしがパニクっている間に、テキパキと紅葉ちゃんが、ルル皇太女を神通力で、癒やし、事なきを得た。
月輪観が無いと、平常心を見失うあたしは、まだ精神的な修行が足りてない。
非常識な強さは手に入れたけれど、猛省しないと。
中身アラサーのあたしが、精神年齢が低いはずの紅葉ちゃんより落ち着きが無いなんて、流石に恥ずかしいもの。




