第三十六話 魔導書
【月光の癒し手】により、豚頭と角頭を拘束していた粘糸が消えてなくなると、二人は身繕いをして立ち上がる。
「では~。わたくしも~。名乗らずには~。いられませぬ~。瑞穂内親王と~。申します~」
「で、殿下っ! このような者に名を明かされては!」
内親王殿下は、血相を変えて駆け寄る青い官服の少年を片手で制しながら。
「赤城国の~。鬼青嵐の雷名は~。わたくしの耳にも届いておりまする~。その孫であるならば~。わたくしと~。正義を~。一撃で~。倒す武威~。納得できまする~」
少年は、内親王殿下の横に並ぶと、悔しげに。
「私は、従五位上右兵衛佐秋津洲朝臣正義だ」
舌を噛むことなく、早口言葉みたいに長い名前を言い切ったよ!
従五位上は、貴族としての位階で、彼はおそらく、嫡男。
右衛門佐というのは、衛門府という役所の官職で、近衛騎士将軍みたいな役割。
秋津洲は、扶桑国で最も有力な宮廷貴族の姓。
彼は、血統書付きのエリートのようね。
右衛門佐なのに、あたしにあっさり負けてしまうあたり、宮廷貴族と士族では、武芸の力量に大きな差があるのかも。
角頭と互角に戦っていた、内親王殿下の方が強いのかもしれないわね。
右衛門佐である、秋津洲少年が付き添っているってことは、瑞穂内親王殿下は、間違いなく王族なんだろうけど。
どうしても、お顔が豚さんになってしまったのかしら?
「我は、魔導帝国皇太女、ルル・イエ・アルアジフ! 天城朔! キサマには言いたいことがある!」
お姫さまとお貴族さまのことを考えようとしてるのに、空気を読まない角頭が名乗りを上げる。
皇太女?
魔族の国って帝国だったの?
どんな政治体制なのか、人類側は把握してなかったみたいだけど。
「何かしら? 言うだけならタダだから、言ってみなさいよ」
「簒奪者を討つ準備が整うまでの間、我を保護せよ! 我が皇位に登極した暁には、望むがままの褒賞を与えようぞ」
豊満な肉体に、たわわに実ったメロンみたいな何かを揺らしながら、皇太女さまとやらが、偉そうに宣言する。
一時的亡命を希望するってことかしら?
「まて! 政治的な提案を、無位無官の少女にしてどうする! 私がキサマの身柄を預かり、光王陛下の裁可を仰ぐ!」
「フンッ! 力こそが、正義だ! 実力が伴わない官位など、知ったことか! この場で一番強い、この小娘こそが、今は我との交渉相手に相応しいのだ!」
秋津洲少年と、皇太女が睨み合い、一触即発の雰囲気になる、と思いきや。
「天城朔~。この件は~。わたくしの~。責任において~。貴女に~。お願いしたいと~。思います~。わたくしたちを~。倒した武威と~。まばたきする間に~。書架を修復した~。神通力~。頼もしいなり~」
内親王殿下のお言葉に、少年と皇太女が周囲を見渡すと、彼らが滅茶苦茶に散らかしたはずの書架は、あたしが神通力で、すっかり元通りに直して、整理整頓されている。
ドヤッ!
「まさか、いつの間に?!」
「わたくしを~。倒した~。電磁スパークは~。長浜流奥伝の技~。七歳で~。武術も~。神通力も~。大人顔負けの~。実力は~。確かなり~」
戦う意思を闘気として具現化する。
この世界の武術の基礎なんだけど、地球にそんなものは、フィクションにしか存在しないわけで。
九頭龍の初伝までは、時間がかかったけれど、闘気を扱うコツを覚えたから、長浜流はあっさり奥伝の技を伝授され、免許皆伝まで、もう少し。
九頭龍は、奥伝の奥義が、空中を歩くという非常識なものなので、まだ中伝だけどね!
「殿下の仰せならば。おい、天城とやら。殿下の御下命、ありがたく拝命せよ」
魔族の皇太女の身柄を預かれるのならば、魔族との和平交渉に、現実的な道筋が見えてくるかも。
内親王殿下とのコネも作っておきたいから、断る理由はないけれど、秋津洲少年が偉そうなのは、ちょっと気に入らないわね。
「内親王殿下の御下命、この天城朔が、拝命いたしました」
内心を隠して、臣従の礼をとる。
「おい、人間同士の話し合いは、もういいか?」
皇太女は短気なのか、声色から苛立ちを感じさせる。
「お待たせしたわね。貴方たちとは、話し合う機会を作りたかったの。でも、魔族を現実世界に連れ出したら、大騒ぎになりそうなのよね。貴女、変装とか出来る?」
皇太女は、ニカッと笑いながら。
「変装など、不要だ。今の我が身は、魔導書になっている。書物であれば、持ち歩いても問題なかろう」
あたしが返答に困っていると、皇太女が、あたしに右手を差し出してくる。
「簒奪者は、我の力を封印するために、この身を魔導書に変えてしまったのだ。魔導帝国ではなく、何故、お前たちの書架に置かれたのかは、我にもわからぬが。皇族の右手は、無条件の信頼の証だ。キサマに、我が命運を託す。我と契約し、我が復活の介添人となれ!」
握手してしまうと、彼女と契約とやらをしてしまう流れがきてるのか。
……正気度が、ごそっと削られそうなんですけど。
などと、ドン引きしてることを表情に出さないように注意しながら、胸を張りながら、皇太女と握手をかわす。
「改めて名乗るわ。あたしは、天城朔。朔と呼んでちょうだい」
「では、我のことは、ルルと呼べ。……流石に疲れた。後は頼むぞ」
ルル皇太女が、あたしの右手を強く握り返すと、彼女の姿がグニャリと歪み……。
あたしの右手に、ずっしりと重い古びた本が残った?!
落とさないように、左手も添えて、本といいますか、自称・魔導書を見てみると、見知らぬ文字なのに、魔導書の題名を理解できる。
その名は、魔物の咆哮。




