第三十二話 仮想現実世界
成長の宴で醜態を晒してしまった結果、しばらく休暇をいただくことになった。
あたし自身、頭の中と気持ちの整理をしないと、朝陽さまと暁姉上にどのように接したら良いのかわからない。
「ようやく遊びに来てくれたわね。近侍ってそんなに忙しいお役目なの?」
五十鈴ちゃんとは、二年前に家に遊びに行くと約束していたのに、何だかんだで、今まですっぽかしてたのよね。
五十鈴ちゃんから、嫌味を言われても仕方がなく、あたしも素直に頭を下げる。
「ごめんね、五十鈴ちゃん。言い訳はしないわ。本当にごめんなさい」
五十鈴ちゃんは、これみよがしに、大きく肩をすくめてみせる。
「前世の頃から、朔ちゃんって変わってないわね。何かに夢中になると、他のことが見えなくなるんだもの。良いわ、だって朔ちゃんだものね」
ニカッと笑いながら、あたしの方をポンポンと叩いて許してくれた。
「朔ちゃんは、楽しみにしてたんでしょ? 【蜘蛛神天網】にアクセスして、内部の仮想現実世界に入ってみるのを」
【蜘蛛神】さまが管理している、【蜘蛛神天網】は、一般向けにも開放されている区画があり、夢棺と呼ばれるカプセルの中に入った人間の魂は、模倣体という仮初の身体を与えられ、VRMMOのような仮想現実世界を体験できるんだとか。
五十鈴ちゃんの案内でやってきた、夢棺が並べられた地下室。
……天城の別邸にあるものと、夢棺の形と色が違うわね。
地下室の中は、ひんやりと涼しいあたり、地球のサーバールームのような雰囲気に似てるのかな。
「朔ちゃんは、夢棺を使うのは初めてよね。ナクア神社から【蜘蛛神天網】の利用許可の証は貰ってきてる?」
「利用許可の証って結構高いのね。ビックリしたわ」
ナクア神社で、金貨二枚を寄進してきました。
日本円に換算すると、二十万円ぐらいになるのかな?
「不正使用を防ぐために、許可制になってるのよ。異世界でも、お金持ちと貧しい人では、情報格差が生まれるのは、やるせない気持ちになるわね」
専門の技術者しか製作できない夢棺は、更に高価で、金貨二十枚が相場なんだとか。
「じゃあ、利用許可の証を、夢棺にかざして貰えるかしら? 朔ちゃんの利用登録をするから」
五十鈴ちゃんの指示通りに、折りたたんでいたアホ毛を頭から伸ばして、目の前の夢棺の前にかざしてみる。
……。
……。
アホ毛のせいで、気まずい沈黙が!
「ね、ねえ。朔ちゃん。今、髪の毛がするする伸びたように見えたんだけど」
「……あたしは髪の毛に、【蜘蛛神】さまの加護を受けているから、髪の毛が証として扱われるそうなのよ」
「……そうなんだ。【蜘蛛神】さまのご加護なら、仕方がないわよね」
ツッコミを入れずに、そっと、あたしのアホ毛から視線をそらす五十鈴ちゃんの優しさが胸に刺さる!
しばらくすると、目の前の夢棺が、私を招くように裂け目をゆっくりと大きく広げる。
「認証が終わったようね。じゃ、中に入って」
五十鈴ちゃんに言われるまま、中に入ってみる。
夢棺の外観は、大きな繭なんだけれど、中は思ったより広いなあ。
奥に背中を預けると、あたしの身体に合わせて内部が変形したのか、背中からの感触が快適になる。
この体勢なら、ずっと中に入ったままでも疲れそうにないわね。
耳がもぞもぞする感触。
どうやら、蜘蛛の糸があたしの耳の中に入ったらしい。
……扶桑人の耳の中がどうなっているのか、深く考えないことにしよう。
世の中には知らないほうが、幸せなことがあるに違いないもの。
繭の裂け目が閉じていき、中が暗くなる。
「私も追いかけるから、待っててね」
五十鈴ちゃんの声が遠くなっていく。
奇妙な浮遊感を感じながら、意識を手放した。
気が付くと、何やら見覚えのある部屋の中。
あれ?
これって、もしかして!
前世の、五十鈴ちゃんの部屋じゃない!
現代日本にしか存在しない、ノートパソコンがテーブルの上に!
本棚やクローゼットとか、どこからどう見ても、五十鈴ちゃんの部屋だ!
「あはっ、驚いたでしょ」
背後からの声に振り返ると、いつの間にか、五十鈴ちゃんの姿が。
「ここは、私の“個室”よ。【蜘蛛神】さまの巫女の特典ね。巫女の許可無く、無断で入ることが出来ない場所だから、前世のあたしの部屋を再現してみたの」
「五十鈴ちゃん、巫女だったの?」
あたしの問いに、一瞬だけ五十鈴ちゃんの表情に影がよぎる。
五十鈴ちゃんは笑顔を取り繕いながら。
「お母さんを探すには、情報通の【蜘蛛神】さまにお仕えするのが一番だもの。もう長いお付き合いになるわね」
長い付き合いね。
五十鈴ちゃんの事情を、【蜘蛛神】さまは、どこまでご存知なのかしら?
「出かける前に、朔ちゃんのステータスを確認しておいたほうが良いかな」
独りごちながら、五十鈴ちゃんは、しなやかな指をノートパソコンのキーボードの上に走らせると。
あ、なんか目の前に出てきた!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
名前:天城朔
称号:メスブタ
種族:扶桑人
性別:メス
耐久力:39
神通力:252
正気度:801
褒賞点:0
加護
【月の女神】 †神の命令† 【星の女神】 【豊穣の女神】 【蜘蛛神】
特殊技能
月輪観 高尾流古武術 月光加持 神通力超回復力 怨霊耐性 九頭龍 長浜流
逆立ち走行 アホ毛
所持品
なし
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
何よ、これ!
ゲームのステータス画面みたいじゃないの!
「ステータスは、本人と【蜘蛛神】さま、そして【月の女神】さまにしか見えないの。大雑把に説明したほうが良いかな?」
「お願い」
戸惑うあたしを見て、優しく微笑みながら、五十鈴ちゃんが説明を始めてくれる。
「耐久力は、模倣体が、どれだけダメージに耐えられるかの目安なの。これがゼロになると模倣体が壊れてしまうの。安全な場所なら、現実に戻るだけだけど、危険な場所だと死んでしまうから気をつけてね」
「非致傷設定がない場所が、危険な場所って解釈で良いのかしら? 戦場みたいなとことか」
「その通りよ。ゲームならヒットポイントみたいなものね。朔ちゃんは、危険な場所に出入りする機会があるはずだから、耐久力の残りには注意してね」
命がかかっていることだから、しっかり覚えておこう。
「次に、神通力。これは、朔ちゃんが、どれだけ強力な神通力を行使できるかの目安なの。何か、神通力を行使するたびに減っていて、ゼロになると気絶してしまうわ。神通力も使いすぎに注意しないと、危ないわよ」
今まで、神通力をバンバン連打して、気を失ったのは、七五三の時のアレぐらいかな?
「現実の世界では、神通力の残量なんて、気にしたことがないんだけど。ここと現実とでは事情が違うの?」
五十鈴ちゃんは、頭を振りながら。
「神通力については、現実もここも同じよ。朔ちゃんが神通力の使いすぎで、なかなか気絶しないのは、特殊技能の恩恵らしいわね。”前の朔ちゃん”からは、神通力の回復速度が上昇する特殊技能を持ってるって聞かされたけど。どうかな? ”今の朔ちゃん”も、その技能を持ってるのかな?」
特殊技能ねえ。
神通力回復力超強化ってのがそうなのかしら?
何が特殊で、何は一般的な技能と判別してるのか、よくわからないけれど、逆立ち走行だの、アホ毛だなんて技能は、ちょっと特殊すぎてヤバイ。
高尾流古武術って、これ、誰かに見られたら、あたしが高雄だってバレちゃうじゃん!
「ねえ、五十鈴ちゃん。あたしのステータスって、本当に他人からは見えないの?」
「人間には見えないわよ。見ることが出来るのは、【蜘蛛神】さまと【月の女神】さまだけよ」
五十鈴ちゃんの説明を聞いて、安堵の溜息をつくあたし。
これは、隠し通さないと!
「続けるわよ。加護というのは、朔ちゃんが、神さまのような、人智を超えた存在から恩恵を受けていると、表示されるの。生まれた時の守護神さまと、七五三で加護を受けた神さまのお名前が表示されているでしょ?」
女神さまたちの名前は、五十鈴ちゃんの説明通りだけれど、†神の命令†って誰よ!
見てるだけで、なんか痛々しい名前なんですけど!
……痛々しい名前?
もしかして、【邪気眼】の本名がこれなのかな?
堕天使の名前が、神の命令ってのは、よくわからないわね。
神さまに命令されてるなら、堕天使じゃなくて、天使じゃないのかしら?
「朔ちゃん、急にぶつぶつと独り言を始めたけど、大丈夫?」
五十鈴ちゃんは、気遣うように、あたしの顔を覗き込んでくれるけど。
邪気眼について、五十鈴ちゃんに話しちゃって良いのかしら?
……とりあえず、棚上げしておこう。
「心配かけて、ごめんね。大丈夫よ。正気度とか、褒賞点というのは何なのかしら?」
五十鈴ちゃんは、あたしから顔を離して、ノートパソコンの元に戻りながら。
「正気度というのは、朔ちゃんが、どれだけ正気なのかの目安よ。これが、ゼロになってしまうと、発狂してしまうから、注意してね。非致傷設定の場所でも、正気度がゼロになってしまったら、廃人になってしまうわよ。一般の人には、耐久力より大事な項目ね」
「発狂したくないんですけど。何をどうすると、正気度が減るようなことになるのかしら?」
五十鈴ちゃんは、悪戯っぽく、コロコロと笑う。
「怖いもの知らずの朔ちゃんでも、発狂するは、やっぱり怖いわよね。ごめん、笑っちゃダメなんだけど、ツボに入っちゃって」
五十鈴ちゃんは、しばらく笑い続けてから、誤魔化すように咳払いをする。
「精神的なショックを受けるようなことがあると、正気度が減ってしまうわ。ビックリした程度なら平気だけど、魔物や怨霊に遭遇した時は、普通の人だと、ごっそりと正気度が減ってしまうの。あとは、そうね。ふくびきを回し過ぎると、正気度が減ってしまうから注意して。朔ちゃんは、ムキになりやすい性格だし」
「ふくびきって、ガラガラと回すアレよね? 福引なのに、福を引くんじゃなくて、発狂しちゃったら、本末転倒じゃない!」
「ふくびきも、やり過ぎなければいいのよ。ただ、射幸性を煽るふくびきもあるから、未成年は、保護者か守護神さまの同意がないと、ふくびきを回せない決まりになってるの。大人でも、ふくびきを回しすぎて、正気度を減らしすぎると、守護神さまが止めてくれるみたいだから、実際に、ふくびきで発狂してしまう人は、あまりいないんだけどね」
発狂しそうになるまで、回したくなる、ふくびきって一体何?
怖すぎるんですけど。
「この世界のふくびきって、どうしてそんなに物騒なの?」
「褒賞点の説明につながるのだけれど、【蜘蛛神天網】の中で、守護神さまに貢献すると、褒賞点が自然に貯まっていくの。この褒賞点を通貨のように、商店街で買い物するのに使ったり、ふくびきなどのサービスを受ける時に消費することになるの。ここまでは、いいかしら?」
褒賞点は、仮想通貨みたいなものなのかな?
「褒賞点があるなら、ふくびきを回しても、正気度が減るのはおかしくない?」
「困ったことに、褒賞点が無くなったあとも、正気度を消費しながら、ふくびきを回し続けることが出来るのよ。だから、神さまが制限してるの」
あんまりのお話に、頭が痛くなったので、こめかみを指先でマッサージしてみる。
「どうして、そんな無茶してまで、ふくびきを回すの? そんなにスゴイものが当たるの?」
五十鈴ちゃんは、真顔で、ゆっくりと頷きながら。
「その通りよ。褒賞点との交換だと高額なスゴイ何かが、ふくびきで当たることがあるの。朔ちゃんなら、武具に興味あるでしょ? レアな武具は、【蜘蛛神天網】から、現実世界に持ち出せるものもあるのよ。しかも、一般に出回っているものより上質で、特別な力が宿っていたりとか。最高レアの武具なら、現実の世界で、高額で買い取ってくれる士族がいくらでもいるからね。士族だけでなく、一攫千金を狙う人も無茶に回すことがあるわのよ」
「リアルマネートレードが出来るから、ソーシャルゲームのガチャみたいなのを必死に回す人がいるわけね。把握したわ」
弘法筆を選ばず。
どんなに優れた武器でも、使いこなせなければ、無用の長物。
あたしは、地道に自分を鍛えていこう。
……スゴイ武具には、正直、興味があるけれど。
「あらかた説明も終わったし、そろそろ出かけようか? おすすめスポットは、商店街、試練の洞窟、あとは図書館かな」
ゲーム的な世界なら、商店街とか、試練の洞窟なんてものがあっても不思議じゃないけれど、図書館?
「図書館なんて、近代的なものが存在するの? 赤城国にも、そんなものはないのに」
五十鈴ちゃんは、平然と。
「書物は、高価だし、保存も大変だからね。でも、【蜘蛛神天網】の中なら、電子書籍のように管理して、閲覧させることも出来るのよ。凄いでしょ?」
試練の洞窟も気になるけれど、そこは入ったら、しばらく出てきたくなくなるような、危険スポットな予感がするわね。
「じゃあ、図書館に案内してくれる? 異世界の図書館がどんなところが、楽しみだわ」
「了解。では、あたしの手を握ってってね。跳躍!」
視界が一瞬暗転したけれど、気が付くと目の前には、白亜の立派な建物が。
赤城城よりも、大きな建物は、初めて見るわね。
五十鈴ちゃんに手を引かれながら、あたしたちは図書館の入口へと向かった。




