第二十八話 神語り
今夜の修行が終わったので、ようやく足かせから開放され、道場からあたしの部屋に戻ってきた。
「……あんた、あれだけ女神さまから厳しくご指導を受けた後でも、終わってしまうとケロッとした顔をしてるのね。人知れず、ここまで厳しい鍛錬を積んでいたなんて、見なおしたわ」
恐らく、あたしの一番の取り柄は、どんなに辛いことがあっても、辛い時間が過ぎてしまうと、萎えた気力も元通りになるところだと思う。
武道は単調な訓練の繰り返すことで、少しずつ自分を磨いていく道だから、心身をどれだけ虐めても後に引きずらないあたしには、一番向いている道だと思う。
「この程度で音を上げるようでは、オレサマの弟子の資格なし! どうした、紅葉。臆したか?」
「滅相もございませぬ! 天城さんに負けぬよう、私も精進致します!」
「いいだろう。では、右手をオレサマの前に差し出せ」
紅葉ちゃんは跪くと、恭しく女神さまに右手を差し出す。
女神さまが紅葉ちゃんの手のひらを指でなぞると、【月の女神】さまの神紋が浮かび上がる。
歪んだ五芒星の内側に、赤く燃える炎の目。
……なんで、五芒星が歪んでるのかしら?
「この神紋が入門のアカシだ。毎晩欠かさず拝め。さすれば、夢の中に、この部屋へと通じる扉が現れる。毎晩、修行のために、この部屋へ通うように」
「ご神命、確かに拝命いたしました!」
紅葉ちゃんは、あたしの部屋に直接やってこれるわけじゃないのか。
「立ち話もなんですから、お茶の時間としませんか?」
ちゃぶ台の上には、【蜘蛛神】さまが淹れて下さったらしいお茶が入った湯呑が並んでいる。
「じゃあ、僕はお茶菓子を用意するよ」
【邪気眼】が、どこからともなく取り出した羊羹をナイフで切り分けて、小皿に一切れずつ乗せていく。
【月の女神】さまが、ちゃぶ台の前に座ったので、あたしたちも続いて正座する。
紅葉ちゃんは、あたしの隣りに座ったので、ちゃぶ台だとちょっと狭いわね。
黒のアカシの力で、天城朔の幼女ボディへと変身する。
座高がちょっと低くなるけれど、狭いよりは良いわよね。
突然、変身したあたしを見て、紅葉ちゃんは、ギョッとした顔になり、あたしをマジマジと見つめる。
「……あんたには、驚かされっぱなしね。自分から話してくれること以外のことは詮索しないわ。約束通り、女神さまへの弟子入りの口利きの話を叶えてくれてありがとう。感謝してるわ」
「感謝されるほどのことじゃないわ。あんまり修行が厳しくて、紅葉ちゃんに恨まれるかもしれないしね。それより、いつまでも天城さんじゃなくて、朔とでも呼んで頂戴」
「分かったわ。朔。これから、よろしくね」
咳払いをして、【月の女神】さまが、皆の注目を自分に集める。
「ナクアだけでなく紅葉までもがここにやってきたので、世界の現状について説明しておこう。【悪しき女神】とは何者なのか? 何故、魔族は人間との戦いを止めないのか? 人間には伝えられていない真実を話そう」
唐突に、壮大な話を始める女神さまに、皆が一様に驚きの表情を浮かべる。
「【悪しき女神】とは、天城朔。そこにいるメスブタが不本意な結婚をした結果、生まれた邪悪な存在だ。メスブタ本人なのか、メスブタの子供か、あるいは子孫なのか? 詳細はオレサマにも分からないが、原因となったのはメスブタの所業だ」
「……ヌトスさん。そんなお話、今まで聞いてませんでしたわよ?」
「誰もオレサマに質問しなかったからな。質問されなければ、オレサマが打ち明ける気になるまで、神々も知らなくて当然だろう」
【蜘蛛神】さまが、凄まじい眼光で【月の女神】さまを睨みつけるけれど、【月の女神】さまは涼しげな顔で受け流す。
「女神さま、質問してもよろしいでしょうか?」
あたしがおずおずと【月の女神】さまに切り出すと、続きを促すように、【月の女神】さまは頷き返してくださる。
「あたしが、幸福な結婚をしないと世界が滅亡するというお話は、あたしが不本意な結婚をすると、未来に【悪しき女神】が生まれるからなのですか? 【悪しき女神】は大昔から存在したと聞かされておりますので、話に矛盾点があるのですが」
「九頭龍の神伝奥義は、時間を移動することが出来る。【悪しき女神】は、九頭龍の奥義を悪用し、この宇宙の過去に移動したのだ。だから矛盾はしない。メスブタが不本意な結婚をすると、もう一柱、この宇宙に【悪しき女神】が新たに生まれることになる。だから、メスブタに不本意な結婚をしてもらうと、この宇宙の皆が迷惑するのだ」
「では、朔さんにはお気の毒ですが、この場で死んでいただければ、【悪しき女神】が生まれることは無いのではなくて?」
【蜘蛛神】さまの物騒は発言に驚いて視線を合わせると……。
や、やだ……。
身体の震えが止まらない……。
【蜘蛛神】さまは、本気の殺意をあたしに向けている!
「落ち着け、ナクア。メスブタを殺せば問題が解決するなら、最初からオレサマがぶっ殺しているぞ。何故、メスブタの幸福な結婚を、オレたちが望むのか? 不本意な結婚から、悪の権化が生まれたのであれば、幸福な結婚からは、強力な善性の存在が生まれる可能性が高いからだ。敵の数を増やさずに、味方を増やす。オレサマと【悪しき女神】は、お互いの勢力を強化するために、メスブタを巡って駆け引きをしているのだ。だから、メスブタを勝手に殺してもらっては困るぞ」
【月の女神】さまの説明を聞き、納得したのか、【蜘蛛神】さまから放たれる殺気が消える。
こ、殺されるかと思った。
がっくりと、倒れそうになるあたしの身体を、慌てて紅葉ちゃんが支えてくれる。
「ヌトスさんも時間を移動することが出来るのであれば、過去か未来の【悪しき女神】をどうにか出来ませんの?」
「九頭龍は時空間を超えた攻撃が可能だが、当然、時空間を超えた返し技や防御技が存在する。オレサマと【悪しき女神】の力が拮抗している現状では、やるだけ無駄だ」
時空間を超えた攻撃とか、トンデモないわね。
……あたしもいつか、そんな技を身につけることが出来るのかしら?
紅葉ちゃんにお礼を言ってから、居住まいを正して、お茶をいただく。
あったかくて、ほっとする。
「説明を続けるぞ。魔族が何故、戦いを止めないのか? それは、【悪しき女神】が招き寄せた【色】に、魔族たちの領土が汚染されつつあるからだ。汚染された領土を放棄しつつ、人間の領土を奪わなければ、魔族は滅亡する。だから、【色】を排除することができれば、人間と魔族との講和は不可能ではなくなる。オレたち神々は、直接地上の事情に干渉することが出来ないから、メスブタと紅葉が、【色】を何とかしてみせろ」
「【色】と言うのは、何者なんでしょうか? マガツカミですか? それとも、魔物か何かですか?」
「ガス状の何かのように見えるが【色】には、実体が無い。【色】が具体的に、どのような存在なのかは、オレサマにもわからん。わかっているのは、【色】に触れると、【色】と同じ色に染められて、変質してしまうことだ。マガツカミの中には、【色】に染められた元・神も存在する」
「神さままで変質させてしまう正体不明の何かを、人間が何とかすることが出来るのでしょうか?」
あたしの質問に対して、【月の女神】さまは、凄いパンチで返答する。
……すごく、痛いです。
「神の試練とは、出来るかどうかではない。やるか、やらないかの二択だけだと、何度も同じことを言わせるな!」
敵の数は減らしたほうが良いのは、あたしにも理解できる。
【色】を排除することができれば、魔族と話し合えるのであれば、貴重な情報なのは間違いない。
誰に相談したら、良いのかしら?
まだ、女神さまから教えてほしいことがある。
殴られた頭を撫でさすりながら、痛みを我慢して、あたしは質問を続ける。
「【悪しき女神】と、魔族の事情については、ご説明いただきました。他にも疑問があるのですが」
女神さまが視線で続きを促す。
「朝陽さまと陽月さまが、あたしの前世の名前である、高尾朔を知っていました。それだけでなく、前世の家紋まで。これは何故でしょうか?」
「メスブタの両親の加勢に出陣した時、オレサマが高雄朔と名乗ったからな。その話が、二人にも伝わったのだろう。家紋については、メスブタに返した鞘は、朝陽の夢の中に、メスブタが置き去りにしたものを回収したものだ。朝陽は、オレサマが鞘を回収する前に、夢の中で鞘に描かれた家紋を見て覚えていたのだろう」
「あの、女神さま……。何故、あたしの前世のフルネームを名乗られたのでしょうか?」
あまりの話に驚きながらも、大声にならないように質問を続ける。
「【悪しき女神】については、説明しただろう。天城朔は、極力目立たないほうが良いのだ。ならば、いっそのこと、高雄朔に注目を集めたほうが良かろうと判断した。それに」
女神さまは説明を打ち切ると、【蜘蛛神】さまを睨みつける。
「ナクアをこの部屋に入れてしまった以上、高雄朔の名前は、いずれ知られてしまう。ナクアはお喋りだからな」
【蜘蛛神】さまは、おほほと微笑みながら、懐から取り出した扇で顔を隠してしまう。
名前については、女神さまが名乗ってしまったのであれば、もうどうしようもないわね。
……でも、鞘が朝陽さまの夢の中にあったのは、もう昔の話。
朝陽さまって、そんな昔のことまで詳細に覚えてるのかしら?
「もうすぐ、夜が明けてしまう。最後に、一つ忠告しておこう。九頭龍は、百年前の関西動乱で失伝している。正統継承者とその弟子たちは、全員戦死したのだ。現実世界で九頭龍の技を使うのであれば、紅葉がオレサマから啓示を受けて技を知り、メスブタは紅葉から教わったことにしておけ」
「え? わ、私ですか?」
突然、話を振られた紅葉ちゃんは、呆気にとられた顔で、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「巫女王の有力候補である、紅葉が、オレサマから啓示を受けたと説明すれば、誰も疑問に思わないであろうし、紅葉に箔が付く。天城朔は、極力目立たないほうが良いと忠告しただろう。失伝した九頭龍を復活させた功績は、紅葉のものとせよ。これは、神命である」
などと言われてしまうと、あたしと紅葉ちゃんは、黙って頷くしかない。
「立派になった朔ちゃんに、何時か僕から話そうと思ってたのにな~。いや~、残念だね~」
ちっとも残念そうに聞こえない、【邪気眼】のボヤキを耳にしながら、あたしは夢の中の部屋から、現実へと覚醒した。




