第二十七話 ポジショントーク 2
目が覚めると、見慣れた前世のあたしの部屋の天井が見えた。
腹筋の力だけで跳ね起きて、身支度を整えながらベッドから降りる。
ちゃぶ台の方に目を向けると、ムスッと不機嫌なお顔の女神さまが、右手の人差し指でちょいちょいっと、あたしを煽る。
さっさと来いってことよね。
そんな女神さまを横目に、【邪気眼】はニヤニヤと、【蜘蛛神】さまは平然を装いながらも口元を笑みで歪めている。
正面に、【月の女神】さま、右手側には【蜘蛛神】さま、左手側には【邪気眼】という位置取りで、あたしもちゃぶ台の前に正座する。
「紅葉とのやり取りは見ていた。口が軽いメスブタだな。使徒だと言い張れば、このような事態にはならなかったものを」
……困った。
流石に、この流れで「はい、喜んで」と返事をしたら、ぶん殴られるわよね。
「怨霊から紅葉を救った褒美に、今日はメスブタがオレサマに話しかけることを差し許す。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
……それは、ご褒美なのかしら?
業界? ではご褒美なのかもしれないけれど。
でも、反論して話を聞いてもらえなくなったら不味いわよね。
申し出を素直に受けよう。
「紅葉ちゃんとの会話をご存知でいらっしゃるのであれば、紅葉ちゃんが女神さまに弟子入りすることをお許しいただけないでしょうか?」
「紅葉には素質がある。オレサマが鍛えれば、あるいはメスブタよりも武の高みと上る可能性もあろう。しかし、強者は強敵を惹きつける。九頭龍の使い手となれば、平穏な生活とは無縁になるだろう」
紅葉ちゃんと相談してから、お返事します、などと先伸ばしすることは、女神さまの性格を考えると不可能でしょうね。
あたしの選択が、紅葉ちゃんの人生を変えてしまうと考えると、緊張から喉が渇く。
調息して、満月を観じる。
……気が付くと、目の前に湯気を立てる湯呑が置いてある。
「朔さんも難しい顔をしないで。せっかくの可愛いお顔が、台無しですわよ」
【蜘蛛神】さまが、お茶を淹れて下さったらしい。
目礼を送ってから、ありがたく、お茶を頂く。
「力なき愛は無力なり。愛なき力は暴力なり。……力愛不二という、地球の少林寺拳法の教えですが、紅葉ちゃんは、怨霊から鳥海さんを守ろうとする献身の愛はありますが、怨霊を倒す力は足りていません。強敵を前に無力であることは、戦う意志を持つ者にとっては、耐え難いことです。紅葉ちゃんの弟子入りのお許しを改めてお願い致します」
居住まいを正し、【月の女神】さまへ平伏する。
「良いだろう。紅葉の入門を許す。面を上げよ。すぐに紅葉を喚べ」
あたしが顔を上げると、女神さまは銀色に輝く大きな鍵をあたしに差し出す。
おずおずと鍵を受け取ると、目の前に突然、鍵穴が現れる。
「その鍵で、鍵穴を解錠せよ。さすれば、紅葉をここに喚び出せる」
「ちょっと、待った!」
空気を読まない【邪気眼】から、横槍が入る。
「この部屋に紅葉たんを喚んだら、朔たんの秘密がもっとバレてしまうよん? それでもいいのかなー?」
私に、もう迷いはない。
「中途半端に秘密がバレたままより、いっそのこと、秘密を共有してもらった方がいいと思うわ。あたし一人で抱え込むとボロが出そうだし」
「ふーん、そうかー。それが朔たんの選択なんだねー。そうだねー。弟子だって口が滑っちゃったしねえ」
嫌味な【邪気眼】を無視して、鍵穴に銀の鍵を入れて回すと、どこがでガチャリと音がした。
「あ、あれ? ここ、どこ?」
気が付くと、あたしの隣に、寝間着姿の紅葉ちゃんが立っていた。
……どうやって、ここに来たのかしら?
いつの間にか、あたしの手の中から、銀の鍵が無くなっている。
「オレサマが、【月の女神】であるヌトスだ。秋月紅葉、キサマは何故、力を求める?」
女神さまの名乗りを受けて、慌てて紅葉ちゃんが、頭を床に擦り付けんばかりに平伏する。
「そのご威光! まさしく、女神さまでいらっしゃる! 拝謁賜り、恐悦至極に存じ奉ります!」
「面を上げ、オレサマの問いに答えよ」
恐る恐る、紅葉ちゃんは顔を上げると、ごくんとつばを飲み込んでから。
「天城さんのお力添えにより、怨霊を撃退しましたが、何故、凪さまが怨霊に襲われたのか、全く理由がわからないのです。何故、襲うのか。そんな敵の来襲に怯える日々を過ごしたくありませぬ。我が身可愛さだけではございませぬ。怨霊や魔族に怯える民草を護る。この身を、破邪の剣と鍛える機会を頂戴したく存じます」
「良いだろう。キサマを我が弟子とし、世界最強の武術、九頭龍を伝授する。ただし! メスブタが三年以内に奥伝の許しを得なければ、二人共破門とする。良いな?」
ははあーっと紅葉ちゃんは平伏するけれど、メスブタってあたしのことよね?
まだ初伝なのに、三年で奥伝の許しを得ないと破門とか。
……あたしだけの問題じゃなくなった。
これより、一層、鍛錬に励もう。
「紅葉。面を上げよ。この場にいる者たちを紹介する。お前の隣にいる人間が、天城朔という名のメスブタだ」
メスブタと聞いて、紅葉ちゃんが引きつった顔をするけど、女神さまは気にしない。
「お前から見て、右側に座っている女神が、【蜘蛛神】、左手に座っているバカはバカだ」
「ヌトスたん、ボクのことは、可愛く【邪気眼】って呼んでほしいな~」
「馴れ馴れしく、オレの名前を呼ぶな! 汚らわしい!」
女神さまのスゴイパンチを受けて、【邪気眼】は、壁にたたきつけられて、ぎゅうと呻きながら、床に突っ伏した。
紅葉ちゃんは、つかの間、呆然としたものの、居住まいを正して、今度は【蜘蛛神】さまの前で平伏する。
「あら、堅苦しい挨拶は不要ですわ。わたくしはナクア。よろしくお願い致しますわ。あちらで伸びているのは【邪気眼】。ただのお馬鹿さんですから、気にしないようにね」
「は、はあ。ありがとうございます。……しかし、【邪気眼】?」
あれ?
紅葉ちゃんの反応を見ると、【月の女神】さまと、【邪気眼】の姿は、高雄朔そっくりには見えないのかしら?
「紅葉。キサマには、今、この場にいる者たちの姿がどのように見えるのか。メスブタに話すことを禁止する。早速、修行を始める。紅葉は今夜は見学だ。メスブタが無様にのたうち回る姿を目に焼き付けておけ」
……紅葉ちゃんは、名前で呼んでもらえるのに、あたしはメスブタ呼ばわり。
この格差は、いったいどうなっているのかしら。
【月の女神】さまに先導され、あたしたちは道場へと移動した。
紅葉ちゃんは、日本風の武道場を見るのは初めてなので、物珍しそうにキョロキョロしている。
「今のメスブタの力を試す。中伝の試験を開始する。これは奥伝の技を使っても良い。好きなように足掻いて、紅葉に手本を見せよ」
……奥伝どころか、中伝の技も教わってないんですけど。
「……はい、喜んで」
「試験開始!」
【月の女神】さまが、銀の鍵をガチャリと回すと、あたしの周囲だけ、床が消えた!
お、落ちる!
悲鳴を上げながら、奈落の底へと落ちていくあたし。
道場の天井が、どんどん遠ざかっていく!
「自由落下の状態から、オレサマの元へと駆け上がれば合格だ。さっさとやれ」
駆け上がるも何も、足場がないじゃない!
調息して、満月を観じる。
暗闇の中、目の前に、壁があった!
闘気を込めた手刀を壁に叩きつけたら、壁は凹まないし、反動もない。
まさしく、ぬかに釘。
何も手応えがないから、落下の速度を殺すことが出来ない!
しかも、ぬるぬると滑って、掴まることも出来ない。
気が付くと、道場の床に叩きつけられていた。
……すごく痛い。
「おい、メスブタ。キサマ、やる気があるのか? 今までオレサマから、何を教わった!」
困った!
なすすべも無く、落っこちただけだし、何も弁解が出来ない。
「ふむ。修行の内容が手ぬるかったようだな。おい、メスブタ。今夜から、キサマは逆立ちして修行しろ。両足で立つことを禁止する」
女神さまの一声で、あたしの足首が太い足かせで拘束される!
「中伝の技は、四肢を使い、床だけでなく、壁や天井をも足場とし、立体的な機動で敵を蹂躙する。メスブタは歩法に拘るあまり、両腕の使い方がなっとらんな」
足かせをはめられた状態で、逆立ちしながら女神さまのシゴキに耐えろとおっしゃる?
「はい、喜んで」
と答えるしか無いけど、出来るのかよ!
「朔さん。あたくしからも、課題を出しますわ。アホ毛を制御できなくて困ってたみたいですけど、あたくしの加護を受けた髪の毛は、手足のように自由自在に動かせるものですのよ」
足かせをはめられて、寝そべるあたしの前に、【蜘蛛神】さまは、赤と白のお椀を並べてみせる。
中にはそれぞれ、赤いビー玉と白いビー玉が入っているのが見える。
「髪の毛でビー玉を掴んで、赤いビー玉は白いお椀へ。白いビー玉は赤いお椀に寄り分けなさい。髪の毛だけでは不便なら、お箸を使ってもいいですわよ。ただし、髪の毛でお箸を使うこと」
髪の毛でお箸とか、ちっともハードルが下がってないじゃない!
「出来るかどうかではない。やるか、やらないか。神の試練とは、この二択だ。紅葉よ。この言葉を覚えておけ」
女神さまたちの無茶振りは、今に始まったわけじゃない。
やってやろうじゃないの!
逆立ちではまともに移動することも出来ず、【月の女神】さまにはボコボコにされ、アホ毛はピクリとも動かず、【蜘蛛神】さまは、これみよがしにため息を吐いてみせた。




