第一話:晩餐会の客
#犬神家の崩壊 #狂愛の神経結合 #アンウィーヴィング #ダークロマンス #サイコスリラー #近親相姦 #胸糞展開注意 #純愛と狂気 #グロ注意 #救いなどない
第一話:晩餐会の客
(POV:上塚 詩織)
夜の松濤は、まるで静寂の迷宮だ。アスファルトを叩く己の足音さえ、誰かの秘め事を暴いているような錯覚に陥る。
江戸が私の手を引く。鍛え上げられた肉体を包む高級な仕立てのスーツとは対照的に、彼の指先は氷のように冷たかった。目の前には、犬神邸の黒い鉄門が、地面から突き出した巨大な牙のように聳え立っている。
「緊張しているのか?」
江戸の声は低く、肌の上を這うベルベットのように滑らかだった。
「ただ……少し不釣り合いな気がして」
私はもっとも脆い「無垢な少女」の仮面を被って答えた。「あなたのご実家は、医学界でも高名な名家でしょう、江戸。私はただの、どこにでもいる退屈な娘だわ」
江戸はくすくすと笑った。それは安らぎを与えるはずの音なのに、なぜか私の項の毛を逆立たせる。
「心配ないよ、詩織. 父は新しい『検体』が大好きだし……母も、君のその美しい肌を気に入るはずだ」
音もなく門が開いた瞬間、鼻腔を突く匂いがあった。庭園の花の香りではない。何かの異臭を覆い隠すには強すぎるお香の香りに混じった、微かな消毒液の臭気。そして、ごく僅かな血生臭さ。
私たちは屋敷の中へと足を踏いれた。コロニアル様式の壁に長い影を落とす、薄暗い琥珀色の灯り。九頭竜――確かそんな名前の使用人が私たちを迎えた。彼は何も喋らない。糸をきつく引かれすぎた操り人形のように、硬直した動作で深く頭を下げるだけだ。その瞳は空虚で、まるで魂を吸い尽くされたかのようだった。
「父と母が食堂で待っている」
江戸に導かれ、十八世紀の解剖図が所狭しと飾られた薄暗い廊下を通り抜ける。
その時、私は感じた。粘りつくような――視線を。
天井の隅に目をやると、不可視に近い小さな監視カメラのレンズが静かに点滅していた。二階の固く閉ざされた扉の向こうから、飢えた獣の荒い鼻息が聞こえてくるような錯覚に囚われる。
食堂に到着すると、そこには犬神寛二郎と静香が既に席に着いていた。光り輝く銀のテーブルの上には、食べるには完璧すぎる料理が並んでいる。中央には、白い百合の花びらに彩られた、まだ血の滴るような赤い肉。
「上塚詩織さんか」
寛二郎の重苦しい声が静寂を切り裂いた。彼は普通のナイフではなく、冷たく光るメスを手にしてステーキを切り分けていた。「興味深い苗字だ. 知っているかね? 狼の縄張りに迷い込んだ哀れな羊は、最後には毛皮すら残らず食い尽くされるということを」
静香が、クリスタルグラスを繊細に鳴らして上品に微笑んだ。
「怖がらせないで、あなた。見てご覧なさい、なんて青白い顔. でも、とても美しいわ……。江戸、貴方は本当に……純粋な趣味をしているのね」
私は引きつる唇で微笑みを返したが、胃の奥からは激しい吐き気が込み上げていた。テーブルの下で、あり得ない感触を覚えたからだ。私の足が偶然江戸の足に触れた瞬間――そこには、もう一つの「足」があった。
長く垂れ下がったテーブルクロスの陰で、冷たく小さな足が、まるで愛撫するように江戸の脚を這い回っていたのだ。
私はテーブルの端にある、ぽつんと空いた席を見つめた。「病弱」だと聞かされていた江戸の妹、朱里の席のはずだ。
「朱里さんは、ご一緒されないのですか?」
この悍ましい気配から意識を逸らそうと、私はあえて尋ねた。
「彼女なら、ここにいるわよ、詩織さん」
静香が妙に色の濃い緑茶を啜りながら、淡々と答えた。
「朱里はいつもここにいるの。あの子はこの家の『目』だから。私たちが普段は見落としてしまうものを、ずっと見つめているのよ」
その時、私の小さなバッグの中でスマートフォンが短く震えた。見知らぬ番号からのメッセージ通知。私はテーブルの影で、祈るような心地で画面を開いた。
一行だけの、短い奇妙な文章。
『いま、貴女の心臓の色を見ているわ。綺麗な桃色。微かに翳るその色が、すぐに真っ黒に染まるのね』
弾かれたように顔を上げると、二階の僅かに開いた扉の隙間に、黒い着物を纏った、暗闇の中でらんらんと光る一対の瞳がこちらを見下ろしていた。
江戸がテーブルの上で、唐突に私の手を握りしめた. 爪が白く裏返るほどの異常な強さ。その瞳は、逃げ場を完全に塞ぐような執着で私を射抜いている。
「召し上がれ、詩織」
江戸が耳元で囁いた。「ここでの時間を、一秒残さず楽しんで。犬神の家からはね、誰も本当の意味で立ち去ることはできないのだから」




