第八十五話:臨界の多層防御
第八十五話:臨界の多層防御
「……ッ、ぐ!」
白銀の門に、これまでの金属音とは一線を画す「地響き」が鳴り渡った。
牛魔族の尖兵――その巨躯から繰り出される突進は、サキモリの理論を以てしても「受け流し」きれない異常なエネルギーを秘めていた。
ベクトルの誘導が間に合わない。角度を変えて逃がそうにも、相手の質量があまりに巨大すぎて、逸らした先の空間ごと叩き潰される。アリサの足元、強固な石畳がバキバキと音を立てて陥没した。
「……仕組みが通じないなら、数で受け止めるまで!」
アリサは即座に術式を切り替えた。
一枚の盾で防ぐことを放棄し、概念盾「アイギス」を何重にも、薄い膜のように重ね合わせる「多層防御」を展開。
ドォォォォン!
牛魔族の角が、一枚目のアイギスを紙細工のように粉砕する。だが、その背後には既に二枚目が、そして三枚目が控えている。
一枚が砕ける瞬間に、衝撃の数パーセントを物理的に摩耗させ、次の層がそれを受け止める。砕けては再生し、砕けては補填する。それは、アリサの魔力と牛魔族の馬力、どちらが先に尽きるかを競う残酷なリソース戦だった。
「だ、団長! 鼻血が……!」
背後の兵士が悲鳴を上げる。
多層防御の維持は、アリサの精神に凄まじい負荷を強いていた。血管が浮き上がり、魔力の逆流による過負荷で、鼻筋を紅い線が伝う。
「……まだ……まだよ! まだ、盾はある!」
視界が真っ赤に染まり、耳鳴りが思考を邪魔する。それでもアリサは叫び、盾を握り直す。
彼女の手元で、アイギスが砕けるたびに「パリン」と虚しい、しかし美しい結晶の音が響き、即座に新たな光がそれを補完する。
その輝きは、絶望の闇に抗う最後の灯火に見えた。
(……一枚でダメなら十枚。十枚でダメなら百枚……サキモリ様、私は、あなたの合理を『根性』で支えてみせます……!)
一歩も引かない。その不屈のヒロイズムに、恐怖で足が止まっていた兵士たちが再び剣を握り直す。アリサがその身を削って作り出す数秒の猶予が、彼らにとっての唯一の生存圏だった。
「おおおおおおおッ!」
数え切れないほどの激突の末。
ついに、アリサの眼前にいた牛魔族の第一陣が、その異常な突進力を使い果たして膝をついた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
アリサの肩が、壊れた蛇腹のように激しく上下する。
甲冑の隙間からは汗が滝のように流れ、全身を焼くような熱が襲う。
かろうじて第一陣を押しとどめた。だが、アリサが自身の内側を探ると、そこにあるはずの魔力の泉は、既に底に沈む泥が見えるほどに枯れ果てようとしていた。
そして、最悪の沈黙が訪れる。
敵軍の奥深く。地平線を背に、第一陣よりも遥かに巨大な「影」が、ゆっくりと動き出した。
(第八十五話:完)




