第八十二話:崩れ去る設計図
第八十二話:崩れ去る設計図
絶望は、音もなく戦場を塗りつぶしていった。
時計塔の階下からは、さらなる鉄靴の響きが津波のように押し寄せてくる。
デスナイトロードに続くのは、百体を超えるデスナイトの精鋭。彼らはエレンが命を削って維持していた弾幕の残滓を、盾を構えることすらなく、ただの霧雨を払うかのように正面から歩いて突破してきた。
「……そんな、こと」
エレンは震える背中を冷たい石壁に預け、力なく膝をついた。
サキモリから授かった「設計図」は、もはや見る影もなく引き裂かれている。どれほど効率的な弾道を計算しても、どれほど精密に急所を射抜いても、相手が「物理的・魔法的ダメージをほとんど受け付けない圧倒的な硬度」である以上、その理論は決定打を欠いた空論に過ぎなかった。
決して無敵ではない。エレンの矢は確かに漆黒の甲冑を捉え、微かな火花と傷を残している。だが、それはあまりにも頑丈すぎた。致命傷に至る前に、エレンの魔力と集中力が先に底をつく。それは「倒せない」ことと同意の、残酷な物理的現実だった。
「う……あ……ッ」
突如、エレンの世界から色彩が奪われた。
魔力枯渇。視神経を極限までブーストし、人間以上の広角視野と高解像度を維持していた「千里眼」の魔法補正が、燃料切れによって強制停止したのだ。
視界が急速に狭まり、暗転する。
実際には盲目になったわけではない。しかし、今まで全方位を完璧な情報として捉えていたエレンにとって、魔力の助けを失った本来の人間並みの視野は、まるで深い真夜中の底に突き落とされたような、不自由で圧倒的な暗闇に等しかった。
(視えない……。なにも、視えない……。サキモリ様の、世界が……消えていく……)
狭く、暗く、頼りない視界の中で、揺らめく鬼火だけが近づいてくる。
サキモリに教わった合理性も、必勝のロジックも、圧倒的な「硬度」と「質量」の前では、積み木細工のような脆い理論に過ぎなかった。
「……っ」
冷たい、硬質な感触が喉元に触れた。
デスナイトロードの大剣の先だ。氷のような鉄の冷たさが皮膚から伝わり、エレンの呼吸を止める。
勝利を確信し、覚醒の果てに最強の弾幕を築き上げたはずの自分が、今は武器すら持たず、ただ震えて死を待つだけの敗北者としてそこに転がっている。
(ごめんなさい、サキモリ様……。私は、あなたの盾には、なれませんでした……)
死を受け入れ、エレンがゆっくりと瞼を閉じた、その時。
『…………エ、レ…………』
混濁する意識の奥底で、ノイズにまみれた魔法通信の音が響いた。
それは、かつて一度も聞いたことのないほど弱々しく、沈黙の気配に満ちたもの。
遥か遠く、バルバロイの戦地。
自分と同じように、あるいは自分以上に過酷な絶望の中に叩きつけられ、敗北の淵に立たされている「管理者」の、消え入りそうな気配だった。
「……サキモリ……様……?」
暗闇の中、エレンの頬を一筋の涙が伝う。
クレイオスの空に、勝利の光はもうどこにも残されていなかった。
(第八十二話:完)




