第七十一話:削りの開幕「一対一〇万の現実」
第七十一話:削りの開幕「一対一〇万の現実」
バルバロイの国境線は、もはや地図上の境界ではなく、肉と鉄が激突する「擂り鉢」へと変貌していた。
開戦から数時間。太陽は天頂を過ぎたが、戦場に降り注ぐ熱気は増す一方だ。
サキモリの周囲には、すでに千を超える魔族の骸が転がっている。一本の『灰色の槍』が閃くたびに、異形の兵士たちは構造を破壊され、沈黙していく。
中学生が見れば、それは「無双」という言葉そのものに見えるだろう。だが、サキモリの脳内にある管理パネルには、冷酷な数値が並んでいた。
(……心拍数、一四〇を維持。筋肉の乳酸蓄積、許容範囲内。だが――)
サキモリは、迫りくる魔族の喉笛を最小限の動きで貫き、そのまま後方に蹴り飛ばす。
一撃一殺。一〇〇点満点の精密動作だ。
だが、どれほど完璧な処理を続けても、敵の物量は「一〇万」という暴力的な母数でサキモリを押し潰そうとする。
一〇〇点を取り続けても、敵の一〇万から引かれるのは、わずか一。
一歩踏み込むたびに、サキモリの体力は〇.一点ずつ、確実に削り取られていく。
「……鬱陶しいですね」
サキモリは、自嘲気味に呟いた。
最も彼を苦しめているのは、敵の刃ではない。自分自身が作り上げた「戦果」――すなわち、敵の死体だ。
かつて太平洋の孤島で戦った鋼鉄の兵器たちは、爆発すれば鉄屑となり、海に沈んだ。だが、目の前の魔族は生身の肉体を持っている。倒せば倒すほど、サキモリの周囲には肉の壁が築かれ、地面は脂と血で塗り固められていく。
グチャ、と。
サキモリが踏み出した右足が、死体と血の混じった泥に沈み、わずかにバランスを崩した。
そのコンマ一秒の「ラグ」を見逃さず、魔族の戦斧がサキモリの頭上から振り下ろされる。
「――構造の歪みを確認。再定義します」
サキモリは沈んだ足を軸に、無理やり体を捻った。
強引な旋回。本来なら膝を痛める非効率な動きだが、そうしなければ死ぬ。
槍の石突きで戦斧を弾き、返しの刃で魔族の心臓を抉る。
倒した。だが、サキモリの右膝には、鋭い痛みの火花が走った。
ストレージは空だ。この痛みを消すポーションは、もう一滴も残っていない。
(……物理的な環境が、私を敵として認識し始めましたか)
周囲を見渡せば、地平線まで続く黒い軍勢。
対して、サキモリの足場は、自分が殺した敵が築いた「不安定な肉の山」だ。
平坦だった野原は、今や迷路のように入り組んだ死体のバリケードへと姿を変えている。
サキモリは、血の池の中に突き刺さった槍を引き抜くと、一段高い死体の山へと飛び乗った。
眼下には、飢えた獣のような目で彼を見上げる魔族の波。
「……死体の上は、ひどく滑る。計算がズレますね」
サキモリは、乱れ始めた呼吸を無理やり整えた。
軍服の裾は血に濡れて重くなり、かつてない倦怠感が鉛のように手足にまとわりつく。
一〇〇点の戦いを続けても、環境そのものが「誤差」を強いてくる地獄。
だが、管理者の瞳から光は消えていない。
彼は滑りやすい肉の山の上で、再び槍を低く構えた。
地響きのような雄叫びと共に、第ニ波の数千が、サキモリの立つ「死の砦」へと一斉に牙を剥く。
一対一〇万。
削り、削られる地獄の開幕は、まだ序章に過ぎなかった。
(第七十一話:完)




